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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2013年10月31日 (木)

スポーツの助け

世の中「ブンデスリーガ」や「ドイツビール」に言及するサイトや書物は多い。けれどもその両者が同時に結び付けて論じられることは少ない。今回ブログ「ブラームスの辞書」では、現代ドイツのビール事情を手早く俯瞰するためのツールとしてサッカーを用いた。大好きなサッカーを切り口にすることで、ビールに対する親しみにが深まった。我ながらよい着眼だった。

さらに同じプロスポーツの立場から、メジャーリーグベースボールに横展開して、アメリカのビール事情にも理解を深めることが出来た。根っこでドイツとつながっていることがわかった。

特集全体の長さから見れば、サッカーは前菜で野球はハーフタイムだ。話はこれからである。

2013年10月30日 (水)

そして誰もいなくなった

産業革命で加速した近代化は、アメリカのビール業界の競争を激化させた。欧州のようなビール醸造の深い歴史を持たないアメリカに、英国やドイツからもたらされたビール醸造は、古いしきたりや慣習にとらわれずに、資本原理あるいは市場原理で発展していった。巨大な装置産業としての側面をあらわにし、最新鋭の巨大工場を効率よく稼動させればさせるほど利潤を生んだ。そして巨大な鉄道網とマーケティング、弱肉強食の離合集散だ。

禁酒法撤廃、第二次世界大戦を経てビール業界の寡占化が進んだ。大きいことはいいことだったのだ。最終的な勝ち組は以下の3社。

  1. アンホイザーブッシュ
  2. ミラー
  3. クアーズ

ところが寡占化の勝ち組のはずの3社だが、1位のアンホイザーブッシュは2008年にベルギーのインベブ社に買収され、2位のミラーは英国のSAB社に、3位クアーズもカナダのモリソンに吸収された。銘柄は残っているものの会社は事実上存続していない。今アメリカ系ブルワリーで元気なのは地方に根付いたマイクロブルワーばかりという現実。

2013年10月29日 (火)

ビール特集100本

アラビアンナイト計画明けの企画には気を使った。企画を出し尽くしてのヘロヘロ感を読者に悟られてはいけないからだ。満を持して用意したビール特集は昨日の記事で100本に到達した。

ビールネタ100本到達の記念に、私が自分で買い求めたビールたちの画像をアルバムで公開することとした。左サイドバナーを下に少々スクロールしていただき、「掛け軸」の上に貼っておいた。

自分で買ったビールを携帯電話で撮影したもの。掲載はドイツとオーストリアのビールに限り、少々のコメントを加えた。ブラームスがこれらのうちいくつを賞味したかと想像しながら眺めていると退屈しない。

サッカーの欧州チャンピオンズリーグ、MLBワールドシリーズたけなわのスポーツの秋。観戦のお供にビールはピタリとはまる。

2013年10月28日 (月)

ユーロラガー

文字通りに解すれば「欧州のラガー」なのだが、何のことだかわからない。これには少々の解説が要る。もともとラガーはバイエルンに起きた下面発酵による長期熟成ビールだ。無論いわゆる「ビール純粋令」の影響下にある。ところがアメリカに渡ったドイツ人醸造家は、新大陸の好みに合わせて改良を加え、副原料を用いて麦芽を置換する。ライトな味わいになる上に、透明度の上がるから瓶ビールにはうってつけだ。これをアメリカンラガーといい、新大陸の市場を席巻し世界一のビール生産国になった。アメリカを象徴するスタイルになるのだが、「ビール純粋令」的にはアウトだ。

当地アメリカで競争と寡占が進み、欧州では考えられないようなメガブルワリーの主力品種が、今度は欧州に逆流するようになる。この逆流アメリカンラガーが欧州では「ユーロラガー」または「インペリアルラガー」と呼ばれることになる。アルコール度低め、淡色で軽い口当たりがドイツ以外の若者層には受けたが、ドイツ人は「こんなものイエローウォーターでビールではない」とダメだしをかます。

2013年10月27日 (日)

アメリカンラガー

文字通り「アメリカのラガー」だ。「ラガー」は貯蔵を意味するドイツ語から発生した用語。本家の英国から見た下面発酵ビールのことだが、それが移民とともにアメリカに渡り、別ジャンルとして派生した。概ね軽快で苦味が少なく、さわやかでアルコール分が低いのが特徴。アメリカ初のラガーは1848年フィラデルフィア発祥と判明しているが、不思議なことにアメリカンラガーの発祥は闇に包まれている。1860年頃と言われているが詳しいことは不明だ。

アメリカンラガーの特徴は先に述べたとおりだが、これを原料面から見てみると意外なことが判る。麦芽以外の原料が大量に用いられているということだ。一般には副原料と呼ばれる「米」「コーン」「デンプン」が一部麦芽に置き換えられている。これが先に述べた味の特徴のもとになっている。これら副原料は麦芽より安価だから、置き換えはただちにコストダウンになる。日本のラガーは、副原料の使用という点から見ればアメリカンラガーに属する。日本と違ってこれら副原料に表示義務はないから、表示だけを見ても判りにくいようになっている。

コストダウンになるのは良いことなのだが、米やコーンスターチなどの副原料は、デンプンを糖化するための酵素の力は落ちる。だから糖化力を補うための助剤を添加することがあるという。

飲む側の好みにマッチしたことも手伝ってあっという間にアメリカビールの主流になったが、困ったことにドイツのビール純粋令から見ると異端である。ドイツ出身者が多かった醸造家にとって、アメリカンラガーの創始者として名乗り出ることは、純粋令違反の先頭を切りましたと告白するに等しい。だからアメリカンラガーの発祥は不透明なのだ。加えてアメリカの表示義務が「副原料」に及ばないこともこれを助けていると感じる。

2013年10月26日 (土)

内陸産業

欧州3大ラガーにドルトムントを加えた4つをもって大陸ビールの4大生産地と位置付けられている。

  • ミュンヘン
  • ピルゼン
  • ウィーン
  • ドルトムント

この4つの都市を眺めていて気づくのは港湾都市がないことだ。みんな内陸都市。そういえばアメリカのビールどころセントルイスやミルウォーキーも内陸だった。ビールの欠かせない原料が穀物であることを考えると、ビールどころが穀倉地帯の中央にある方が理にかなっている。その穀物が自給できずに輸入でまかなうとなれば港湾立地が有利だが、19世紀欧州は主原料は醸造所の近隣に依存した。

ハイネケンのアムステルダム、カルルスベルクのコペンハーゲン、ギネスのダブリン、ホルステンのアルトナなど港湾都市でありかつビールどころにもなっている例もあるが、一般に海は原料の供給地にはなり得ない上に、販売面でも空白域になる。原料の輸入と製品の輸出が重きを成す以前は、ビールは内陸産業だったのだと思う。

とりわけ物流だ。ビールの運搬物流は何かと厄介だ。狭い欧州はともかく、全米に販路を広げるには、海岸沿いよりも中央部の方が、物流費が安く済むはずだ。

2013年10月25日 (金)

ドイツ移民

1830年からの20年間革命に絶望してドイツからアメリカに150万人が渡ったといわれている。この中にビール醸造の技術者がかなりの数混じっていたとされている。彼らは主にミネソタやウィスコンシンに散らばっていった。ラガービールの醸造で有名になったのが、ウィスコンシンのミルウォーキーだ。五大湖沿岸は貯蔵に適した洞窟が多かったと伝えられている。

  • バプストビール ヤコブ・ベスト
  • シュリッツ ヨゼフ・シュリッツ
  • ミラー フレデリク・ミラー

ミルウォーキーから全国に巣立った醸造家だが、名前を見ての通りドイツ系だ。セントルイスでおこったバドワイザーの創始者アドルフ・ブッシュもまたドイツ系である。

ミルウォーキーに本拠を置く野球チームのロゴには、頭文字「M」の下に大麦の穂が描かれている。

2013年10月24日 (木)

創業者

アメリカ3大ブルワリーの創業者を調べてみた。

  1. Eberhard Anheuser 1805年9月27日ドイツBad Kreuznachの生まれ。ブラームスも訪れたことのある保養地だ。1843年に米国に移住。石鹸製造で財をなし、1860年に倒産しかけた小さな醸造所を買い取った。
  2. Adlphus Busch 1839年7月10日ドイツRheine近郊のVilla Lillyの生まれ。1857年に米国に移住しEberhard Anheuserの娘Lillieと結婚し、共同経営者となる。1877年には全米で32番目の売り上げを誇る醸造所になった。1876年に「バドワイザー」を発売し、1879年には社名をAnheuser Buschに変更した。
  3. Frederick Johan Miller 1824年11月24日ドイツ南西部のリートリンゲンで生まれた。1849年ジグマリンゲンのロイヤルブルワリーで醸造責任者になった。1854年に米国に移住。ミルウォーキーに入植。1855年に閉鎖中の醸造所を買い取ったのがMiller社の発祥だ。
  4. Adolph Herman Joseph Coors 1847年ドイツ生まれ。1868年米国に移住。1873年コロラド州デンバーで創業。

3大ブルワリーの創業者が皆ドイツ出身だったという話。

2013年10月23日 (水)

アメリカ3大ブルワリー

まずは下記をご覧いただく。

  1. セントルイスカージナルス ブッシュスタジアム
  2. ミルウォーキーブルワーズ ミラーパーク
  3. コロラドロッキーズ クアーズフィールド

メジャーリーグのチームにそのホームスタジアムを記した。どれもビール会社に由来する名前を有している。ブッシュスタジアムはバドワイザーで名高いアンホイザーブッシュ社でここはアメリカ第一位のビール会社。ミラーパークは第2位のミラー社に因む。第3位のクアーズ の主力工場はコロラド州デンバーにある。

アメリカのビール産業は桁はずれに大きい。アンホイザーブッシュ社の生産量は120億リットルとも言われている。ドイツ首位のエッティンガーは6億リッターだった。世界最大と目されるクアーズコロラド工場は、単独で29億リットルを生産する。球場のネーミングライツなんぞ朝飯前ということだ。この3社創業者はみなドイツ移民なのだが、やることはすっかりアメリカ風だ。

2013年10月22日 (火)

セントルイスカージナルス

アメリカメジャーリーグ所属のチーム。前身はセントルイスブラウンソックスという。1876年にオランダ人の酒場経営者が球団を買収した。その理由が面白い。彼がセントルイス市内で経営していた酒場は、試合のある日に売り上げが伸びると気づき、球場でビールを売ったら儲かると考えて球団買収に踏み切ったという。すがすがしいばかりのプラス思考だ。

時はめぐって1853年アンホイザーブッシュ社は同チームを375万ドルで買収。その同じ年に同社はビール国内販売首位に躍り出た。同時にホームスタジアムも買収しBuschスタジアムと名づけた。スタジアムごと買ったので、ネーミングライツよりはスケールが上だ。

試合当日に酒の売り上げが伸びるとという発見、スポーツ観戦とビールの相性に抜け目ないビジネスマンが気づかぬはずがない。おそらくサッカーと同じだ。

明日からワールドシリーズ。一昨日昨日とアメリカ最大のブランド・バドワイザーを話題にしてきた。さらに申せば10月13日10月18日には、展開中のテーマ「ビール」とは直接関係しないメジャーリーグネタを発信した。それもこれも本日の記事のための下準備だった。明日からのワールドシリーズで、ボストンレッドソックスと対戦するセントルイスカージナルスは、ビールとの関係が深く、掘り進めるとドイツとの関係まで浮かび上がる。ビール特集の中で是非とも言及したいと発信のタイミングを考えていた。それが今日だ。セントルイスカージナルスががワールドシリーズに進出してくれることを前提に準備をしてきたが、それが報われた。

明日からしばらくアメリカのビールネタを続ける。

2013年10月21日 (月)

ブナの木片

バドワイザーを生産するのは「Anheuser-Busch」という会社だ。スペリングから見て、何やらドイツっぽい雰囲気が漂っている。1850年の創設だ。本社はミズーリ州セントルイス。元々ドイツ移民の子孫が多く居住する地域だが、同社の醸造部門のスタッフにはドイツ訛りの英語を話す人が多いといわれている。

一部の品種では発酵タンクの中にブナの木片を入れるらしい。これがバイエルンやピルゼンにも伝わる伝統的な手法だ。「ブナ」というのがすこぶるドイツ的だ。ドイツ語でブナは「Buche」という。ドイツの森林は本来ブナが優勢な広葉樹が中心だ。ボヘミヤやバイエルンの森では今でもブナが普通に見られる。

これを北米でのビール生産においても踏襲しているというのが興味深い。

2013年10月20日 (日)

ブジェヨヴィツェ

チェコ・ボヘミア南部の町。オーストリアのリンツの北80knにある。「Budejovice」と綴る。赤くした「e」の上に「レ点」状の記号が付く。チェコ語の発音を無理矢理カタカナにすると「ブジェヨヴィツェ」になるらしい。1526年チェコ王国の君主がこの地のビールをいたく気に入り、王室御用達とした。ピルスナーの最高峰の位置を「ウルクェル」と争うという位置づけにある。

話は飛んで1880年米国。アメリカ北東部はもともとドイツ系移民の子孫が多く住んでいる関係で、ビールの人気が高かった。欧州を席捲したピルゼンビールの勢いは北米にも及んでおり、とりわけピルスナーウルクェルの独壇場だったという。本日話題のブジェヨヴィツェの人気は本国ほどでは無かったことに目をつけたアドルフォス・ブッシュという醸造家が自社商品の商標に採用した。ただしチェコ語をそのままの流用ではまずいと思ったのか、これをドイツ語読みに変えた。つまりこれが「Budweiser」の起源である。

ブジェヨヴィツェはドイツ人にとっても厄介だったことがわかる。商標の関係で「Budweiser」は欧州では販売されていないから、ブラームスが「Budweiser」を飲んだ可能性は低い。

2013080819280000_1←チェコの本家ブジェヨビチェ。

2013080819322000 ←これはアメリカのバドワイザー。

2013年10月19日 (土)

Weihenstephan

「ヴァイヘンシュテファン」と読めばいいと思う。「シュテファン」は人名だ。人名が地名語尾になるケースは非常に珍しい。「Weihen」は「祀る」だから「シュテファンを祀る」の意味だ。ミュンヘンの北東およそ35kmのフライジンクという街の西郊にある小高い丘の名前である。

725年この地区をキリスト教化するために遣わされたコルピニアンという修道士が修道院を建設した。やがて9世紀にはビールの醸造が始まった。院内にホップ農園が併設されていたらしく、ビールへのホップ添加を最初に試みた可能性さえあるという。

この修道院こそがミュンヘン工科大学醸造学部の前身である。ドイツのビール技術者の登竜門とも聖地とも位置付け得る存在だ。ドイツが東西に分かれていた当時、西側に存在した唯一のといっていいビール醸造系の教育機関だったこともあって、志ある若者が数多く門を叩いたが、無事卒業にたどり着くのは半分に満たなかったという。

晴れて卒業するとブラウマイスターの称号が認定される。国家認定の醸造技師である。

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2013年10月18日 (金)

カタカナ標記にご用心

アメリカメジャーリーグはシーズンも大詰め。両リーグともチャンピオン決定シリーズが佳境だ。

アメリカンリーグのチャンピオンシップシリーズは、上原・田澤の両日本人投手を擁するボストン・レッドソックスと、デトロイトタイガースの対戦。タイガースはシャーザーとバーランダーの2枚看板。スペルは「Scherzer」「Verlander」となる。ほのかにドイツを思わせるスペリングなだのが、シャーザーは、まだしもバーランダーには違和感満載だ。「ヴァーランダー」ではないのかと。ドイツ語なら「フェアランデル」になるはず。

対するボストンレッドソックスのエースはバックホルツ投手だが、「Buchholz」と綴られる。「Buch」は「本」で、「Holz」は「木材」だ。

ナショナルリーグにもあった。セントルイスカージナルスの押さえのエースが「ローゼンサル」投手なのだが、スペルは「Rosenthal」だ。ドイツ語で「薔薇の谷」である。「Thal」は「Tal」(谷)の古形で、1912年の正書法改正まで用いられていた。地名と人名は改正後も廃れずに今でも使われている。ドイツからアメリカへの移民の多くが19世紀に発生したから、正書法改正より前に「Thal」という名前もろとも米国に渡っていたと思われる。

現在MLBにはヒスパニック系の選手が目立つが、よくよく見るとドイツ系の名前の散見される。

2013年10月17日 (木)

Weltenburger

ビールの銘柄。「ヴェルテンブルガー」とでも読んでおく。ヴェルテンブルク修道院で醸造されたビールだ。アンデックスやヴァイヘンシュテファンと並ぶ歴史を誇る。現在も醸造を続ける修道院としては世界最古とする向きもある。創設は750年で1050年にはビール醸造が始まったという記録が残る。

ドナウ川がアルトミュール川と合流する直前に、「Donau Durchbruch」を通過する。切り立ったがけに挟まれた切通しだ。その切通しの南端最上流部の東岸に屹立するのがヴェルテンブルク修道院。現代の道路地図を見ても便利な場所とは言えない。当時はもっと「陸の孤島」状態だったはず。修道院の立地としては好適だ。

こちらのビールは現代のコンペでも優秀な成績を収めている。相当田舎だったので、ブラームス在世当時、都会で売られていたかどうか不明。

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2013年10月16日 (水)

アンデックス

ブラームスが1873年の夏をすごしたミュンヘン南のトゥツイング。そこから北西におよそ12km行ったところに、アンデックスAndechsという街がある。そこの修道院が実は古くからのビールの産地になっている。1080年には既に文献に出現するほか、15世紀半ばにはビールの生産が確認されている。いわば名醸地だから、長い夏の滞在の間ブラームスが1度くらい出かけた可能性がある。褐色でアルコール度数の高いドゥンケルが有名だ。

1886年5月18日森鴎外の「独逸日記」の記述では、鴎外が友人をさそってアンデックスに出かけた様子が描かれる。ミュンヘンからシュタルンベルクまで列車を使い、そこから12kmほどの道のりを歩いたとある。途中で4つ5つの村を通ったとされている。標高80mの丘の上に修道院があり、そこの醸造管長が太っていたと証言する。働くものは皆黒い法衣をまとっていたとも書いている。まさに修道院ビールだ。

あまりにも飲みすぎたので返りは馬車だったらしい。

2013年10月15日 (火)

押韻の痕跡

パウラナー社が発売したドッペルボックは「救世主」を表す「Salvator」というネーミングが巧妙だったこともあって人気が出た。競合他社は続々とマネをした。商標権という概念の無かった時代には、みな「Salvator」を名乗った。だから鴎外が「Salvator」と明記しても、これが直ちにパウラナー製だと断言できない。

商標権の概念の浸透とともに、後発各社は「Salvator」という名前を諦め独自のネーミングに走った。

  1. Bambergator Fassla社
  2. Celebrator Ayinger社
  3. Jubilator Maxlpain社
  4. Maximaor Augstiner社
  5. Mobilator Gottmansgruner社
  6. Optimator Sraten社
  7. Triumphator Lowenbrau社

という具合。語尾の「-ator」は人を表す接尾語。これは巧妙だ。「Salvator」の知名度があまりに高いから、それにあやかっている。消費者にとっても語尾に「ator」のある銘柄を見れば、それがドッペルボックだとただちに判るという利点もある。

さてさて「a」を抜いた「tor」は、単独では「門」の意味だが、サッカーの世界では「ゴール」という意味。語幹に響きや意味のよい言葉を捜して語尾にはサッカーという競技の目的というべき「Tor」を従わせるのだから、かなり縁起がいいはずだ。

2013年10月14日 (月)

ドッペルボック

森鴎外の「独逸日記」が明確にビールの銘柄に言及するケースは少ない。本日はその例外を紹介する。1887年3月11日ミュンヘン在住中の鴎外は、友人と連れだって郊外のツァッツヘルケラーを訪問した。そこで「Salvatorbier」を飲んだとはっきり書いてある。

サルバトールというのは現在ではミュンヘンのパウラナー社が発売する銘柄で、その起原は17世紀の修道院ビールに遡る。事実上世界初のドッペルボックだ。褐色でアルコール度数高めのこのビールはドイツ中で売れたために、たちまちライヴァルが類似品を出す。「サルヴァトール」に習って商品名の末尾に「トールtor」をつけることが習慣になった。だから鴎外は日記の中で「サルヴァトール」を指して「特種なビール」と呼んでいる。

1853年当時サルヴァトールのアルコール度数は5.8%だったが、1878年には6%にエスカレートし、現在のドイツの法律では7%が義務付けられている。

2013年10月13日 (日)

もしかしてウムラウト

アルファベットの「A」「U」「O」の上に点が2つ横並びに添えられることがある。「ウムラウト」と呼ばれるドイツ語の変母音のことだ。ブログ「ブラームスの辞書」ではこれが現れると困る。ウムラウト文字が打てないからだ。しかたなく該当の文字を赤く色付けしてごまかしている。

世の中事情は似たもので、ドイツのウムラウト3種を、ウムラウトの「・・」を用いないで標記する国際的な取り決めがある。ウムラウトが現れたら、「・・」抜きの該当文字を記し直後に「e」を据える。「ae」「ue」「oe」でそれぞれウムラウトを表す。

今をときめくメジャーリーグ今季最高のクローザーは、ボストンレッドソックスの上原浩治投手だ。日本人なら「ウエハラ」で何の問題も無いのだが、現地のアナウンサーは「ユイハラ」と発音しているように聞こえる。

まさかと思うことがある。

上原をローマ字にしてみるといい。「Uehara」となる。冒頭の「Ue」はまさに「U」のウムラウトになる。ドイツ系の住民が多いアメリカ北東部にあるボストンの街で、「Ue」とスペリングされたら「ウエ」と発音せず、ウムラウト風に「ユイ」となるのは無理もない話だと思う。

同様に日本語単語のローマ字標記を考える。標記中の語尾以外に「ae」や「oe」が含まれる単語は、ドイツ語の影響のある地域ではウムラウト風に発音される可能性がある。

さて、本日話題の上原投手所属のボストンレッドソックスは、ワールドシリーズ進出をかけて、今日からデトロイトタイガースとアメリカンリーグチャンピオンシップを戦う。彼らの優勝はシャンパファイトで祝われる。祝勝会で振り掛けあうのはビールではなく、シャンパンだ。

2013年10月12日 (土)

液体のパン

ワインがキリスト教の教えの中では「キリストの血」とされ、キリストの肉体とされた「パン」とともに重要な位置付けにあること周知の通りである。

実はビールにも似た側面がある。ビールは「液体のパン」と認識されていた。酔いと清涼感を得る嗜好飲料ではなく、栄養源という側面が今よりもずっと前面に押し出されていた。修道士たちの修行で断食はもっとも厳しい難行だったが、断食中も液体は摂取できると解釈されて、ビールは断食の枠外に置かれていたらしい。

「パンとワイン」という取り合わせは「ビールとワイン」という取り合わせに容易に読み替えられた。

一方中世におけるビール製造の拠点だった修道院では、パンとビールの製造が同じかまたは隣合わせの部屋で行われていたという。どちらも製造の過程で麦と酵母を扱うということが要因だったと思われる。

2013年10月11日 (金)

修道院とビール

修道士たちが身を粉にして働き、敬虔な祈りと厳しい戒律の中で自給自足生活をする場が、修道院だったが、中世以降貧しい人々の救済も大きな役目になってゆく。カトリックの勢力圏においては、いくつかの有力修道院の世俗的な影響力は、一部の貴族よりも強大化した。

放浪者や巡礼者が1日200人以上修道院を訪れて施しを乞うた。それを自給自足でまかなうとなると奇麗事ばかりでもなかったらしい。ワインやビールの消費量は半端なものではなかった。ワインやビールの歴史の中で修道院の話を避けて通れぬというわけだ。

厳しい戒律が建前の修道士だが、中にはビールを飲みすぎる者もいたようだ。飲み過ぎに対するペナルティが遺されている。

  1. 賛美歌を歌うとき舌がもつれる→12日間パンと水のみ
  2. 嘔吐→30日間パンと水のみ
  3. パンを嘔吐→90日間パンと水のみ

パンは聖なる食べ物だから、それだけ重いペナルティになっている。

2013年10月10日 (木)

メルツェンビール

「Marzenbier」(aはウムラウト)と綴る。「三月のビール」と直訳出来る。ビールの仕込みは秋から春にかけて行われる。雑菌の繁殖が旺盛な夏はビール製造に向いていないということなのだろう。だから3月に仕込まれるビールはとりわけ念入りに仕込まれる。夏をやり過ごさねばならないから品質管理を徹底せねばならないということで、「3月に仕込まれるビール」は高値が付いた。

昔はそれでも夏に酸敗してしまう場合もあったから、首尾よく夏を越えることが出来たらそれは神の恵みに等しいということになる。オクトーバーフェストは無事に夏を乗り切ったビールを皆で賞味するという性格を帯びている。みんなで飲んで樽を空にしないと次の仕込みが出来ないからというジョークもあながち的外れとも言えない。

1839年にミュンヘンの醸造家が、ウィーンから持ち帰った技術で編み出したのが現在のメルツェンビールで、一部ではウィナービールと同一視されている。

2013年10月 9日 (水)

先駆者シュパーテン

シュパーテンはオクトーバーフェストへの出店権を持つミュンヘンの醸造所。起源は1397年に遡るが醸造所の体裁を整えたのは19世紀になってから。17世紀に共同所有者だったシュパエトという人物に因んで、似た響きで覚えやすいシュパーテンになった。スペードの意味もあるし、スコップの意味もある。19世紀にガブリエル・ゼドメイルの功績でめきめき力をつけた。

1875年リンデが発明したアンモニア式冷凍機の第一号機が設置されたのがシュパーテンだった。オクトーバーフェスト用のビールを初めて醸造したのもシュパーテンだ。フェスト開幕はミュンヘン市長による口開けなのだが、それはいつもシュパーテンの樽と決まっている。

今や4大ビールメジャーの一つとなったデンマークのカルルスベルクは、シュパーテンの酵母をコペンハーゲンに持ち帰ったことから始まっている。

何かと由緒正しいのだが。今ではアンホイザーブッシュインベブの傘下に収まっている。

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2013年10月 8日 (火)

嫁の実家

リヒャルト・シュトラウスの話。彼の妻の実家が実は、オクトーバーフェストへの出店権を持つ名門ハッカープショールの経営者一族だったらしい。だとすると相当な名門。リヒャルト・」シュトラウスはビール飲み放題だったに決まっている。

名作オペラ「薔薇の騎士」は、妻の実家に献じられたという説もあって確認中。

2013年10月 7日 (月)

ホフブロイ

「Hofbau」(aはウムラウト)と綴る。記事「アインベック」の続きだ。アインベックへのビール代の支払いに業を煮やしたバイエルン公国ウイルヘルム5世が、領内での生産に踏み切った話だ。そのために設立されたのが「Hofbrau」つまり「王室醸造所」だ。現在では州立醸造所になっている。作ったビールを飲ませる店が「Hofbrauhaus」(ホフブロイハウス)である。2500名ほど収容できる洞窟状のビヤホールを想像するとよい。ヒトラーがしばしば演説をするなどナチスに贔屓にされていたことでも有名だ。オクトーバーフェストの出店権を持っている6社の一つだ。

1864年などしばしばブラームスもミュンヘンを訪れているから、絶対に賞味したに決まっている。

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2013年10月 6日 (日)

ピルスナーウルクェル

現在の世界のビールの本流のピルスナービールの元祖。「ウルクェル」は「Urquell」と綴られる。「Ur」は原典版を表す「Urtext」の語頭にも見られる。「Quell」は「川の水源」や「資料の引用元」を意味する。「Urquell」はそれらを合成して「元祖」たる位置付けをことさら強調しているようにも見える。

醸造所の名前はピルゼンスキー・ブラズドロイという。チェコ語で「ピルゼンビールの源泉」という意味だ。1842年創立だが、最初の生産が10月5日だったとされ、バイエルンの下面発酵酵母が密かに盗み出されたという噂も付いて回る。同じ酵母を使いながら、ピルゼンが鮮やかな淡色になったのは、ひとえにピルゼンの軟水のせいといわれているが、最近の研究では麦芽の焙煎技術の進歩も一枚噛んでいる。

発酵は蓋のない木桶、熟成は内側にタールを塗布したオーク樽というのが伝統的な製法だが、最近ではステンレスタンクになったらしい。

ドヴォルザークを訪問したプラハで、ブラームスが飲んだビールがピルスナーウルクェルだった可能性もある。

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2013年10月 5日 (土)

アインベック

「Einbeck」と綴られるニーダーザクセン州の都市。ハノーファーの南50kmという位置は微妙だ。ベンラート線よりギリギリで北にある。もし南にあったら「Einbach」となっていた可能性が高い。

既に14世紀から上面発酵でビール醸造が始まっていたとされており、ハンザ同盟の諸都市では評判の高いビールだった。当時まだ単なる田舎ビールの産地だったバイエルンにおいてもすこぶる評判がよく、飛ぶように売れた。バイエルン宮廷でも膨大な量が消費された。当地のバイエルン公国はビール代の支払いに悲鳴を上げるありさまだった。対外債務である。

1589年バイエルン公国のウィルヘルム5世は一計を案じ、アインベックから職人を招いて同ビールを領内で醸造することにした。バイエルン領内では下面醸造に転換されて完成したのが、「Bock」と呼ばれる独特のビールで、これがやがて本家アインベックを凌ぐ人気を獲得する。ブラームスの時代はボックといえばバイエルンという世間の認識になっていたハズだ。

「Einbeck」の語頭「Ein」が冠詞とみなされた結果、語幹の「Beck」が独立し、バイエルン風に訛って「Bock」になったという。「Bock」は「雄羊」だから、ラベルに雄羊がデザインされていることが多いという。

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2013年10月 4日 (金)

ミュンヘン宮醸

1896年1月のライプチヒでミュンヘンビールが浸透していたは既にしておいた。実はそこからさらに11年前にも興味深い記録がある。

森鴎外の「独逸日記」1885年9月30日の記述に「ミュンヘン宮醸を飲む」と書かれている。原文のスペルは「Munchner Hofbrau」となっている。これが有名なミュンヘンホフブロイハウス宮廷醸造所のビールだと解して間違いない。

記述では銘柄は書いていない。「ボック」「ドッペルボック」「ヴァイツェン」「メルツェン」など名物ビールが多いので特定できない。

実は注目点は他にある。この時期鴎外はライプチヒ在住だった。この記述はライプチヒ市内の酒店に友人と出かけた場面だ。つまりミュンヘン特産のビールを飲ませる店がライプチヒにもあったということだ。3大ラガーはピルゼンの一人勝ちだと書いたが、ライプチヒから見て、ピルゼンの倍の距離にあるミュンヘンのビールが普通に飲まれていたという貴重な証拠だ。

2013年10月 3日 (木)

式年遷宮

昨夜、伊勢神宮では神様が引越しをした。古来伝わるしきたりで20年に一度社殿が立て替えられる。昨夜は新しく立て替えられた社殿に、神様が引っ越す儀式が執り行われた。

20年に一度というのが本日の肝。今回の遷宮は62回目で前回は1993年だったという。ということは、つまり次回63回目は2033年ということになる。ブラームス生誕200年のメモリアルイアーだ。

ブログ「ブラームスの辞書」が順調に更新を重ねて行けば、その年の5月7日にめでたく大願成就となっているはずだ。ゴールの日の記事に本日のこの記事をリンクさせようと思う。

伊勢神宮のご加護を。

2013年10月 2日 (水)

ミュンヘンの威光

音楽之友社刊行「ブラームス回想録集」第1巻123ページ。ジョージ・ヘンシェルは、生前のブラームスと会った最後の機会について言及している。1896年1月ライプチヒの話。レストランで楽しい会食のひと時を過ごした。ブラームスは驚くべき量のビールを消費したと証言している。

そこで飲まれたビールが美味なるミュンヘンビールだったと書かれている。ライプチヒのレストランでミュンヘンビールが供されていたということだ。3大ビールと言われたミュンヘンとウィーンは、ピルゼンの一人勝ちを許すことになったが、この頃ミュンヘンはピルゼン式の淡色ビールを開発して巻き返しを図っていた。ミュンヘンからおよそ300km離れたザクセン王国のライプチヒで、評判を博していた証拠だ。ライプチヒからの距離ならピルゼンのほうが圧倒的に近いのに、ピルスナーを差し置いてミュンヘンビールが飲まれていたということになる。

2013年10月 1日 (火)

利尿作用

ビールを飲むとトイレに立つ頻度が多くなることはみなわかっている。それを学問めかしていうとこうなる。

森鴎外は、ミュンヘンでペッテンコーファー教授の指導を得ながら「Uber die diuretische Wirkung des Biers」という論文を書き上げた。日本語で「ビールの利尿作用に関する研究」という。5人の被験者空腹時にビール、アルコール水、ホップ液、水を飲ませて尿の量を比較したものだ。鴎外は「利尿作用」は「ビール特有」ではなくて、アルコールの作用だと結論つけている。指導講師レーマンが学会でこれを発表し喝采を得たと明治19年11月29日の「独逸日記」で自慢している。

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