ウィーンのピルスナー
ブラームスの日常の証言者が、ブラームス愛飲のビールの銘柄には言及しないと嘆いたが、唯一の作曲の弟子イエンナーが貴重な証言を残してくれている。
ブラームスに弟子入り後の日常を記した中に、ウィーン滞在中は12時半になると連れ立って「赤いハリネズミ」に昼食に出かけたと証言する。そこでは決まってグラス1杯の「ピルスナービール」または2~3杯の赤ワインを注文したと添えられている。
おぉおってなもんだ。
ウイーン、ミュンヘン、ピルゼンが下面発酵酵母によるビールつまりラガーの三大生産地であることは既に何度も述べてきた。このうちチェコのピルゼンが、同地の水に由来する淡色ビールを発売して、瞬く間に欧州を席捲した結果、ウィーンとミュンヘンがピルゼンに圧倒されたしまうというのが19世紀後半の流れだった。ピルスナーというのはピルゼンのことであるから、ウィーン在住が長いブラームスでさえ、ウィーナーを飲まずにピルスナーを飲むことが日常化していたというこの証言は、つくづく貴重である。1888年2月の時点で既にウィーンにもピルスナーが浸透していた証拠になる。
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