純粋令の落とし前
原料に「大麦麦芽、ホップ、酵母、水以外使ってはならぬ」という「ビール純粋令」について回る疑問がある。小麦を使ったヴァイスビアの存在と矛盾せぬかという疑問だ。これについて歴史を遡りながら考察する。
<純粋令以前>
ビール純粋令成立前、ドイツ各地では、上記4原料以外の原料も用いられていた。副原料の使用には寛大だったと言える一方で、悪質な混ぜ物も横行していたので、それら粗悪品を取り締まる目的で、さまざまな法令が国ごとに定められていた。それらの徹底振りは一様ではなかった。問題の小麦ビールは、バイエルン地方で古くから作られていた。悪質な混ぜ物ではないれっきとした地ビールだ。
<ビール純粋令>
1516年バイエルン王国で成立。その対象範囲は当然バイエルン王国内にとどまっていた。話題の小麦ビールは現代風に申せば「上面発酵」で作られるのだが、当時はそうした区別はなかった。ビール醸造に例の4原料以外を使うなということなら小麦はアウトだが、宮廷醸造所と一部の修道院では特例として小麦ビールが作られ続けた。
<ドイツ帝国>
普仏戦争に勝利してドイツ帝国が成立した際、ドイツ全土を対象とした醸造関連法規が整備されることとなり、その中に純粋令が投影することになる。プロイセンを初めとする北ドイツでは、純粋令的にはアウトの副原料を用いた醸造が一般に行われていたから、純粋令の全国拡大は厄介な問題だった。そこで折衷案として浮上したのが醸造方法の違いに着目することだった。「上面発酵」と「下面発酵」だ。純粋令の原料制限は下面発酵でのみ有効とすることで妥協が図られたのだが、ややこしいことにバイエルン州だけは、頑なにこれを否定し、上面でも下面でも4原料に制限することになった。上面発酵で作られる小麦ビールは本来アウトなのだが特例という微妙な位置。
<ワイマール体制>
第一次大戦後に成立したワイマール体制にバイエルンが参加する際に再び、純粋令ネタが蒸し返されたが、結局従来通り、「全国:下面発酵のみ」「バイエルン:上面も下面も」という体制が続いた。やはり小麦ビールは浮いた存在のまま存続する。
<ヨーロッパ共同体>
1987年、ビール純粋令が非関税障壁と認定された。純粋令の対象範囲は、「ドイツの醸造所がドイツ国内向けに製造する場合」に限定されることになった。
<ビール酒税法>
1987年の裁定を受けてドイツ政府はビール酒税法を改正し、純粋令の考え方を取り入れた。現代まで続く以下の枠組みが法的に完成することになる。
- 上面発酵 小麦など副原料の使用を認める。
- 下面発酵 大麦麦芽、ホップ、酵母、水に限る。
小麦ビールの特例状態が解消されたことになるのだが、バイエルンはもっと頑なだった。小麦ビールの特例状態の解消以外は、依然として上面下面とも4原料以外は使わぬという自主対応を貫いている。ビール酒税法の記述はさておき、バイエルンだけは旧純粋令を遵守するということだ。原産地呼称維持制度上の「バイエルンビール」はそうした姿勢の追認である。
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