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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2014年1月31日 (金)

兵器としての鉄道網

ナポレオン戦争の戦後処理ウィーン会議において、ドイツの台頭を歓迎しない列強の思惑により、小邦分立が意図的に維持されたドイツは、小さいながらも主権を伴った国々の集合体となった。だから鉄道の敷設も小邦ごとに独自に進められた。

実はそのことが普仏戦争では有利に働いたとも言える。フランスやオーストリアは、古くから強大な中央集権国家が綿々と維持されてきた。だからパリやウィーンの国内における位置付けはまさに別格だった。それゆえ鉄道の路線は首都から放射状に発展した。一方のドイツの鉄道は小邦分立だったから、放射状にはならずに網の目状になった。ドイツ国内の任意の2点を結ぶ路線がいつもほぼ最短ルートで存在した。同時に複数の迂回ルートも設定できた。迂回ルートの存在は物資や兵員を目的地に下ろした後の空の貨車を、送り返すのに役立つ。必ずしも複線を必要としなくなるからだ。国境あるいは最前線に沿って大量輸送を短期間に実現するにはうってつけである。

フランスではこうは行かない。放射状に伸びているということは、どこに行くにもパリを経由せねばならないということだ。空の車両の回送でさえ律儀に首都を経由する必要がある。路線網の実態で既に大差が付いていた上に、プロイセンは雌雄を決する最終決戦の場を、早くからゼダンと定めて、綿密な戦時ダイヤを設定し効率輸送に特化した。普仏戦争開戦までの35年間に、ドイツ鉄道の総延長は19000kmにも達していた。

フランスとドイツの違いを少々大袈裟に述べた。

実際に決定的な差を生み出したのは、戦争の動員に鉄道を使ってやれという意思の有無だった。

2014年1月30日 (木)

ハンブルクの出遅れ

記事「鉄道敷設ラッシュ」をよくご覧いただく。ブラームスの故郷ハンブルクの名前が無い。1840年のドイツの鉄道路線図には記載が無い一方、1845年の路線図には載っているから、この5年の間のどこかでハンブルクに鉄道が敷かれたのだと思う。それはまた後ほど。

特に興味深いのは、1845年の路線図において、ハンブルクから伸びる鉄道は全て北に向かう。このことは重要だ。エルベ川に鉄道橋がかけられていなかったということだ。橋が無いだけではない。エルベ川に沿って北西や南東に向かう路線も無い。この時点でハンブルクからの鉄道は北海に向かう鉄道だけだった。エルベ川の水運との競合を避けているように見える。

そういえば、ハンブルクに限らず、ブレーメン、キール、ロシュトクなど北部の港湾都市の名前がコッソリ抜けている。

2014年1月29日 (水)

鉄道敷設ラッシュ

ドイツの鉄道を敷設順に10番目まで列挙する。

  1. 1835年12月07日 ニュルンベルク-フュルト 6km。バイエルン王国のルートヴィヒ鉄道。ドイツ初の鉄道となる。同線はその後営業中止になり、線路が撤去されているので、現代の同区間と同じではない。
  2. 1837年04月24日 ライプチヒ-アルテン 11km。ザクセン王国鉄道。アルテン駅は謎。愛用の「鉄道地図」に記載がない。撤去済みの線や廃駅までも全部記載されている地図なのだが、ライプチヒ周辺に「Arthen」という記載が無い。愛用の道路地図にはマッヘルンの南西にピッタリに地名が記載されているが、鉄道地図で確認が出来ていない。本記事のリストにある駅名で存在が確認出来ないのはここだけ。
  3. 1837年11月23日 フローリツドルフ-ドイツヴァグナム 13km。フェルディナンド北部鉄道。オーストリア初の鉄道。今のウィーン郊外。
  4. 1838年10月29日 ベルリン-ポツダム。プロイセン初の鉄道。
  5. 1838年12月01日 ブラウンシュヴァイク-ヴォルフェンビュッテル11.9km。ブラウンシュヴァイク公国国有鉄道。ドイツ初の国有鉄道。
  6. 1838年12月20日 デュッセルドルフ-エルクラート 8.6km。
  7. 1839年06月29日 マグデブルク-シェーネベック 14.9km。
  8. 1839年08月02日 ケルン-ミュンガースドルフ 6.7km。
  9. 1839年09月01日 ミュンヘン-ロッホハウゼン 12.8km。
  10. 1839年09月26日 フランクフルト-ハッタースハイム 12.6km。
  11. 1839年09月02日 マンハイム-ハイデルベルク 18.5km。バーデン公国鉄道。

3番目にオーストリアが入っているので11番目まで記載した。興味深いのが軌道の幅。上記11番バーデン公国鉄道の1600mmをのぞいて全部1435mmの標準軌だ。日本の新幹線と同じである。むしろ例外だったバーデン公国鉄道は、1854年にほぼ1年の歳月と莫大な費用をかけて、標準軌への改修を行っている。乗客は文句を言いながらも歩いて乗り換えてくれるのに対し、貨物は無言だがけして乗り換えてはくれないというのが最大の理由らしい。

シューベルトやベートーヴェンは間に合わなかった。シューマン、メンデルスゾーンあるいはショパンは生前に鉄道を見ている。長生きしたリストやワーグナーは鉄道の恩恵を十分に受けた。でブラームスは鉄道網を体験していたという時代感覚である。自動車の普及あるいは航空機の出現を待つ間、鉄道は移動手段の主役だった。

本日の一覧表の素晴らしいところは、これらは全てやがて幹線と呼ばれることになる路線の一部だということだ。ブラームスはこれら全てを列車で通ったと思っていい。

2014年1月28日 (火)

機関車の愛称

鉄道初期には、機関車の数もそう多くはなかったから、1両ごとのに愛称がつくことも多かった。北海道を走った「弁慶号」「義経号」などが有名だが、ドイツでも機関車に愛称をつけることがあった。

1835年12月7日に開通したドイツ初の鉄道に投じられた機関車は「アドラー号」といった。「鷲」の意味である。鷲はドイツを象徴する鳥である。1839年に完成したドイツ国産機関車第1号は「サクソニア」と名付けられた。「ザクセン」のラテン語形だ。アルプス越えのゼメリンク鉄道用機関車のコンペに勝ったのは「ババリア号」で、これは「バイエルン」のラテン語形だったが、構造が複雑で実用面に疑問符がついたたために、改良型の「カペレン」に取って代わった。これは星座の「カペラ」だ。

一方オーストリア初の鉄道では開業時に6両の機関車が英国から輸入された。

  1. アウストリア
  2. モラヴィア
  3. ヴァルカン
  4. ヴィンドボーナ
  5. ヘラクレス
  6. サムソン

このうち5と6は、力のありそうな神話の登場人物だが、残りは地名だ。「アウストリア」は「オーストリア」で、ドヴォルザークが泣いて喜ぶ「モラヴィア」、「ヴァルカン」はヴァルカン半島で有名な地域名。「ヴィンドボーナ」はウイーンの古名だ。

走る地域の事情を思い切り背負ったネーミングが微笑ましい。

2014年1月27日 (月)

国産機関車

ドイツ初の鉄道が1835年12月に開通した時、使用された機関車は英国のスチーブンソン社製だった。1825年に世界初の鉄道が開通した時に機関車を供給した会社だ。スチーブンソンは元々鉱山技師だ。英国の炭鉱では鉱山に付き物の湧水の排出に蒸気機関を使うことで産業革命が進んだから、蒸気機関のノウハウは鉱山技師が持っていたのだ。

機関車ばかりではなく、レールも英国に依存していたという。さらには枕木やバラストまでも輸入したという笑えぬ話も一部では伝えられている。鉄道をインフラ整備の根幹として位置付けようとするとき、とりわけ機関車とレールを国外に依存するのはリスクが大きい。それらが国産化されてこそ、国内産業が発展するのだ。

早くも1839年には機関車の国産化に成功する。ドレスデンで作られた「サクソニア号」だ。1840年代には機関車の製造メーカーが10社以上あったとも言われている。

2014年1月26日 (日)

産業革命と鉄道

産業革命について、その発祥の地イギリスとドイツを比較しておく。

イギリスでは1760年から1830年が産業革命の時期と定義されている。綿工業の機械化として起こった。植民地から原料を調達し、製品を植民地に売るというルーチンだ。動力に蒸気機関が採用されエネルギーとしての石炭が脚光を浴びる。「原料」「製品」「石炭」という物資の大量輸送のニーズが発生した。先に発生した巨大な物流ニーズの解決策として登場したのが鉄道だ。

ドイツでは、1834年の関税同盟から1873年のバブル崩壊までが産業革命とされている。鉄道の開通は産業革命の冒頭に発生する。

イギリスにおいては産業革命の仕上げとして鉄道が出現するのに対し、ドイツではその産業革命を鉄道が先導したということに他ならない。鉄道の敷設によって生じる莫大な鉄鋼需要が、産業革命を牽引した。ドイツにおける鉄道のニーズとは、プロイセン主導によるドイツ統一の悲願とともにあった。周囲を列強に囲まれたドイツでは、限られた兵員を効率的に移動配置する必要に迫られた。その答えが鉄道網だったという訳だ。

2014年1月25日 (土)

青島ビール博物館

終わったはずのビール特集を蒸し返している。

昨日、中国・青島から帰国した。帰国日のあわただしい中、少しだけ青島ビール博物館に立ち寄ることが出来た。同社の創業は1903年創業だから今年が111年目にあたる。創業100年を記念して2003年に創業の地に作られた博物館だ。1898年以降青島はドイツの租借地だった関係で、ビールの需要があった。作られたのはもちろんドイツ風のラガーだ。

駆け足での見学だったが、素晴らしかった。昨日の午後から春節の休館に入る予定だったので、見学できたのは幸運だ。現役の工場の敷地内でありそれが、同時に創業の場所だということで、ただならぬ風格があった。展示された古い機械には「Siemens」の刻印もあった。そりゃもう面白くて面白くて時間が経つのも忘れた。キリがないので画像で紹介することにした。

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これは正門の看板。↑

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チケット。↑

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昨日はちょうど私の誕生日。↑

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市街には、旧ドイツ総督府の跡や、砲台の跡も残されていると聞いていたが、時間が無いのでこちらを選択した。正解だった。

2014年1月24日 (金)

音楽一家

我が家のことだ。

今日は私の誕生日である。モーツアルトと3日違いでシューベルトとは7日違いだ。その要領で家族の誕生日付近を探る。

  1. 私 モーツアルトと3日違い。シューベルトと7日違い。
  2. 長男 バッハと6日違い。
  3. 長女 ベートーヴェンと6日違い。
  4. 次女 ドヴォルザークと2日違い。
  5. 亡き父 ブラームスの命日と一致。
  6. 亡き妻 ストラヴィンスキーと2日違い。Rシュトラウスと4日違い

少しずつズレているところが我が家らしい。プラス思考するなら、一致しているよりも記事が稼げる。それぞれの日に記事が書ける上に「少しずれてる。惜しい」という記事まで書ける。変に一致しているよりお得だ。

我が家は音楽一家。

2014年1月23日 (木)

実地査察

ニュルンベルクで午後まるまるの自由時間をどのように使うか悩んだ。ICEに乗って隣町に行くことに決めたのだが、その街をレーゲンスブルクにした理由に触れておく必要がある。

街にはドイツ最古のソーセージ屋台がある。何よりドナウ川を見ることができるのが大きい。日本からの飛行機がフランクフルトに近づくとき、ハンブルクの上空でエルベ川を超える。このときに飛行機の窓から眼下のエルベ川を撮影しておいた。デュッセルドルフ、ケルン、ボンではライン川を眺めることが出来るから、無理してドナウを見に行くことでドイツ3大河川を全部カメラに収めることが出来るというおバカな企画だ。

これらに加えて決定打となった事情がある。

1896年5月22日静養先のバートイシュルでクララ・シューマンの訃報を受け取ったブラームスはただちにフランクフルトに向かうのだが、ヴェルスで乗り換え損ねて、リンツまで乗り過ごしてしまう。そこからもう一度ヴェルスに引き返してフランクフルトに向かったわけだ。

そこからフランクフルトまでの道のりの中に、今回出かけたレーゲンスブルク-ニュルンベルク間が含まれる。私がレーゲンスブルクからニュルンベルクに戻る帰路は、クララ死すの悲報に憔悴したブラームスの列車行と一致することになる。もちろん当時はICEではないから、もっと時間がかかったはずだ。

2014年1月22日 (水)

取材旅行

2012年3月次女の部活動のドイツ公演にくっついて行くツアーに参加した。旅程表を隅々まで見渡しても、鉄道との接点はない。バスが走る道の傍らを偶然列車が通るという程度が関の山だった。ブログ「ブラームスの辞書」の記事安定確保のため、何としてもまとまった量の鉄道ネタを仕入れるのが不可欠と思い、周到に準備した。

行程中最長の自由時間は4月2日午後のニュルンベルクなのだが、あいにく月曜日となり、鉄道博物館は休みだ。幸いホテルが同博物館から徒歩5分の距離であることに救われた格好。4月1日のニュルンベルク公演の前に着替えたい人が多く、ホテルに戻って1時間のお色直しタイムが設定された。出発前に配られた旅程表には無かったことだ。これ幸いとばかりに私と長男はホテルを抜け出し鉄道博物館に一目散だった。展示を一通り見て、ショップで買い物を45分でこなしてホテルにそ知らぬ顔で戻った。

で虎の子の自由時間半日は、ICEに乗ってレーゲンスブルクに出かけた。ICEに乗りたい一心なので、ニュルンベルク起点で一駅でよかった。

6回迎える朝全てで早起きをして駅を訪ねた。駅の写真、列車の写真をとりまくった。ケルンでは世界遺産大聖堂の堂内見学もそこそこに切り上げてケルン中央駅に突入するという、神をも恐れぬ暴挙に出た。市の表玄関なのに無人駅のレヴァークーゼンやローテンブルクは楽しかった。路面電車や地下鉄にも乗った。このほど始まった鉄道特集のあちこちにそうした取材の成果をちりばめておいた。

2014年1月21日 (火)

Rail Travel Map Deutschland

昨年春のドイツ旅行中に買ったお土産だ。ニュルンベルク駅構内の書店。当初トーマスクック社製を探していたが、見当たらず、バイルシュタイン社製のものを買い求めた。これがまたお宝。広げると新聞紙2枚分程の大きさになるが、日常はたたんだままで十分。

  • ドイツの道路地図は日本でも手に入る。ブラームスの伝記や歴史本を読む際に手元に置いている。大抵は道路地図でも用が足りるのだが、道路が全く描かれていないというのはシンプルでいい。先般紹介した「Eisenbahnatlsa」にめぐり合うまでは一番頼りにしていた。

  • 2014年1月20日 (月)

    鉄道関連の楽曲

    音楽ブログたるものもっと早く記事にしておかねばならなかった。鉄道特集の冒頭を飾ってもいいハズなのだが、ズルズルと遅れてしまうあたりブログ「ブラームスの辞書」の音楽系ブログとしての限界を垣間見せる。

    ワルツやポルカには鉄道に題材を求めた作品が見られる。以下一部を紹介する。

    <ワルツ「蒸気機関車」>1835年ヨーゼフ・ランナー作曲「Dampf-Walzer」 オーストリアに鉄道が開通する2年前の作品だ。鉄道は人々にとっての一大関心事だったからそれにさっそくあやかったということなのだろう。

    <ワルツ「鉄道の楽しみ」>1836年ヨハン・シュトラウス1世作曲「Eisenbahn-Lust Walzer」 

    <「蒸気鉄道ギャロップ」>1838年ヨゼフ・グングル作曲「Eisenbahn-Dampf Galopp」

    <「機関車ギャロップ」>1838年フィリップ・ファールバッハ作曲「Lokomotiv-Galopp」

    <ポルカ「ミュンヘンからの挨拶」>1860年ヨセフ・シュトラウス作曲「Gruss an Munchen」 これには少々の説明が要る。1860年ウィーンーミュンヘン間が鉄道で結ばれたことを祝賀する意図がある。

    <ポルカ「観光列車」>1864年ヨハン・シュトラウス2世作曲「Vergnugungszug」 1854年に開通した初のアルプス越え鉄道のセメリンク鉄道開通10周年記念作品である。

    <パシフィック231>スイスの作曲家オネゲルによる作品。231は機関車の動輪の車軸配置を意味するほどのオタクさがたまらない。蒸気機関車の発する音の忠実な再現になっている。

    <鉄道の歌>なんとなんとベルリオーズだ。1846年の作品でop19-1を背負う。パリとリールを結ぶ北部鉄道の開通を祝して作曲されたらしく、開通式において演奏されたという。

    ブラームスやドヴォルザークに明らかにそれと判る作品がないのが残念だ。

     

    2014年1月19日 (日)

    確認が必要

    独和辞典で「Bahn」を引いてみる。しっかり「鉄道」の意味がある。「Eisenbahn」から「Eisen」が脱落しても「鉄道」を意味するということだ。「Bahn」という単語は1830年に英国で世界初の鉄道が開通する前からとっくに存在していた。英国から鉄道を移入したドイツでは「Railway」の訳語として「Eisenbahn」を採用する一方、単に「Bahn」でも鉄道を指すようになったが、本来「bahn」は、「進路」「コース」「車線」「道」の意味だった。

    1853年10月ブラームスの来訪を受けたロベルト・シューマンは、新音楽時報にセンセーショナルな紹介文を寄稿した。そのタイトルが「Neue Bahn」だった。日本の書物はこれを「新しい道」と訳していることが多い。

    本日の疑問は、この訳についての話。まさかとは思うが「Neue Bahn」の「Bahn」が「鉄道」の意味だったということはないだろうな。というお叱り覚悟の疑問。

    少なくともこのときシューマンは鉄道を知っていた。既にデュッセルゴルフには鉄道も走っていた。さらにドイツ中が鉄道建設ブームの真っ只中だった。各地で鉄道が建設され、派手な完成式典が行われ、連日それがニュースになっていた。邦訳を見る限り「新しい道」には、「鉄道」を直接指し示す言い回しは見当たらないけれど、ブラームスの登場が、進出ラッシュの鉄道になぞらえられていたなどということはあるまいな。

    2014年1月18日 (土)

    ドイツ鉄道の父

    フリードリヒ・リストFriedrich Lists(1789-1846)は、ヴュルテンブルク州ロイトリンゲン生まれの経済学者。思想的には反メッテルニヒだったために米国に亡命。やがてザクセン王国米国領事となる。1825年にザクセン王国に帰国。スティーブンソンの推薦もあって同国の鉄道敷設を指導する。1833年には「ザクセン鉄道体系」という論文を発表した。まだドイツに1mもレールが敷かれていない段階での先見的な論文だ。ドイツ国内の鉄道網をどのように整備発展させるべきかを詳細に論考し、路線の選定にとどまらず、収支見込にまで踏み込んでいる。ザクセン王国の官僚でありながら、その視点は全ドイツを見据えたものだったために次第にザクセン王国内で孤立するに至った。

    1846年にピストルで自ら命を絶ったが、その後のドイツの鉄道は彼の論文の通りに敷設されていったことで、先見性が再評価されるに至った。

    2014年1月17日 (金)

    6044kmの明細

    記事「鉄道網の発達」の中で、1850年のドイツ鉄道の総延長が6044kmだと書いた。愛読中の「ドイツ鉄道地図帳」の序文の中に1850年現在の鉄道地図が載っていた。気づいたことをいくつか。

    1. ベルリンから放射状に、ハンブルク、ドレスデン、ハノーファー、ハレ、フランクフルトアムオーデルに延びる鉄道が開通していた。
    2. ハノ-ファーを経由してケルンにも到達していた。
    3. フランクフルトアムマインには繋がっていなかった。
    4. ニュルンベルクミュンヘンは結ばれていた。
    5. フランクフルトアムマインからバーゼルまで結ばれていた。
    6. ベルリンからミュンヘンは直結されていなかった。
    7. 現在のバイエルン州内の東西を結ぶ鉄道は未完成だった。

    ブラームス17歳の時点で、まだまだ不便とはいえ、主要都市は何とか結ばれていた状況だが、プロイセンとバイエルン王国は、鉄道で結ばれていなかったということだ。

    2014年1月16日 (木)

    鉄道網の発達

    音楽の友之社刊行の「作曲家◎人と作品シリーズ」ブラームスの95ページに興味深い記述がある。1865年2月2日の母の死以降、ブラームスはほぼ1年間ウィーンを空けて演奏旅行に没頭する。

    • 1865年04月 カールスルーエ
    • 1865年05月 リヒテンタール(バーデンバーデン近郊)
    • 1865年06月 バーゼル(スイス)
    • 1865年10月 カールスルーエ
    • 1865年11月 バーゼル、チューリヒ、ヴィンタートゥール
    • 1865年12月 カールスルーエ、マンハイム、ケルン、デトモルト

    96ページには、これらの精力的な活動を鉄道網の発達が支えたと明記している。

    • 1840年 549km
    • 1850年 6044km
    • 1870年 19575km

    具体的なキロ数を挙げて鉄道網の充実振りに言及している。本文でわずか3行でその後深く掘り下げられることはない。そのことを徹底的に実感するために延々と鉄道ネタを追求するようなものだ。伝記を執筆するような音楽の学者さんに鉄道ネタの掘り下げまで求めては申し訳ないからだ。ブラームス好きであり鉄道好きでもある私の出番だ。

  • 2014年1月15日 (水)

    黄鶴楼

    李白の七言絶句。「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に往くを送る」

    故人西の方黄鶴楼を辞し

    煙花三月揚州に下る

    孤帆の遠景碧空に尽き

    唯見る長江の天際に流るるを

    李白が親友の孟浩然を送るために詠んだ。「春眠暁を覚えず」で有名な孟浩然さんだ。黄鶴楼は中国・武漢に現存する建物。古来送別の席で歌い継がれてきた名句でもある。

    友人が海外赴任のため間もなく旅立つ。もちろん栄転。めでたい8割、さびしい2割だ。話が決まって以来、仲間を集めて飲み会を重ねてきた。そう、彼は次女のオケに属するメンバーの父親だ。次女たちオケを追い掛け回すうちに意気投合した。震災の影響もささやかれる次女たちの代は、いつもよりメンバーが少ない中、応援する親の熱気は例年にも負けることは無かった。そうした熱気を代表するご夫婦だ。娘らの演奏を肴に飲む会がいつの間にか定着し、当の娘の引退後も、後輩の演奏を口実に集まり続けた。全くもって学生時代のノリ。何かと人見知りな父親たちが会社を忘れて集う。つくづく凄いオケだ。子どもたちを大人にしてくれる上に、大人を子どもにしてくれる。

    ブラームスのご加護を。

    2014年1月14日 (火)

    先に言い訳

    鉄道特集は、ドイツ鉄道の勃興期がブラームスの生涯と重なることだけを頼りに、記事を重ねて行く。ドイツ鉄道ネタである限りきっとどこかでブラームスに繋がっていると信じる立場だが、最早信仰の自由の域にドップリだ。19世紀後半のドイツを生きた作曲家だからこそ、それが許容出来るハズという屁理屈が心地よい。

    ところが、ブラームスの情報を真面目に収集しても、鉄道との接点がそうあちこちに転がっているわけではない。書物だろうとネットだろうと、伝記も音楽史も、あるいはドイツ史だってこの点については、がっかりするほど寡黙だ。

    そこを無理やり記事にするのがブログ「ブラームスの辞書」だ。これこそが鉄道ラブの証明だ。あるいは私がどれほどブラームスを好きかの証だ。もしかするとドイツ贔屓も関わっているだろう。ブラームスと鉄道の直接の接点などと気張らずに、ドイツの鉄道全般と開き直ることで、気持ちに余裕が生まれる。

    先にお断りしておきたい小市民。

    2014年1月13日 (月)

    ビールから鉄道へ

    ブログ「ブラームスの辞書」の展開の話。お気づきの諸兄も少なくあるまい。先日幕を下ろした「ビール特集」の終盤近く、12月7日の鉄道記念日を筆頭にいくつかの鉄道ネタを配置した。実はこれが、次なる「鉄道特集」の準備だった。ビールと鉄道の密接な関係を仄めかす導入部のつもりだ。

    「ビスマルク」「ビール」「鉄道」には共通点がある。事実上それらはブラームスの時代を効率よく映し出す鏡だ。ビスマルクの時代はブラームスの生涯と重なり、同時にビールや鉄道の勃興期にもなっている。ブラームスと直接関係の無い記事でも、無理を承知で発信する理由はそこにある。「鉄道」はその第3弾となる。

    加えて「鉄道」には「ビール」「ビスマルク」との決定的な違いがある。私自身が幼い頃から「鉄道」が好きだったとうことだ。その起源はブラームスへの傾倒以前に遡る。ブラームスと鉄道の接点は欧州に限られるから、日本の鉄道の知識では限界がある。ここ最近欧州の鉄道事情を調べることで、昔の感覚を思い出した。

    既に今日の段階で用意した記事が170本ある。もちろん全てがブラームスと直接関係するわけではないが、楽しさは規格外である。順調に公開が進んだとしてゴールは夏になる。

    2014年1月12日 (日)

    一年の歳月

    昨日、第13回千葉県管弦打楽器コンペティションを聴きに行った。次女の後輩たちを応援する目的だった。高校アンサンブルの部11組の演奏を聴いた。

    次女本人は今や受験レースのホームストレッチだ。幸い娘がメンバーにいない分肩の力を少々抜くことが出来た。後輩たちは、スークとチャイコフスキーの弦楽セレナーデを、相変らずの独特なトーンで鳴らしてくれた。よしよし。

    気にいったのはドヴォルザークのアメリカ四重奏曲のファイナーレを弾いた学校。私の脳味噌にはドヴォルザーク補正がかかっているからかもしれぬが、楽しめた。ドヴォルザーク特有の屈託のない疾走感を支えるセカンドとヴィオラの独特の刻みの感じが嬉しいばかりだ。その子らは自分がソロに回ると、少し体をひねってさりげなくアピールするのが粋な感じ。

    ああ。

    思えば昨年次女たちがブラームスのピアノ五重奏に挑んでから1年たったということだ。シューマンのピアノ五重奏に挑んだ子達の姿を見て感慨にふけった。今年の演奏団体は小学校、中学校、高校合わせて46組なのだが、ブラームスは一組もなかった。やはり異例だったのだろう。昨年のあのブラームスの威容と1年の歳月を思い遣るひとときだった。

    2014年1月11日 (土)

    Eisenbahnatlas

    ご機嫌な書物。「アイゼンバーンアトラス」は「鉄道地図帳」とでも解せばいい。ドイツの鉄道情報を収集しているうちに、めぐり合った。少々高かったけれど鉄道特集の参考資料として購入した。ケルンに本社をおく、「Schweer+Wall」という出版社から刊行されている。もちろん記述は全てドイツ語なのだが、地図の凡例さえ覚えてしまえば、ハードルはぐっと下がる。用も無いのに眺めているだけで楽しい。いくらでも発見がある。

    いやはやご機嫌。素晴らしい内容だ。この度開催の「鉄道特集」になくてはならない基礎資料である。この地図帳無くしては書けなかった記事が30本はある。たとえば記事「Warsteiner」のやけに詳しい情報は、この地図帳の賜物である。

    ドイツ版のほかに、オーストリアとスイスとイタリア、ベネルクスがある。全部欲しいのだけれど、ひとまずドイツ版とオーストリア版を入手した。

    この先の鉄道特集の記事の中で、これらの地図帳の素晴らしさを紹介することになる。

    2014年1月10日 (金)

    ブラームスと鉄道

    ドイツ初の鉄道は1835年12月7日に開通したルートヴィヒ鉄道だ。ニュルンベルク-フュルト間6kmである。ここから大発展を遂げたドイツ鉄道の総延長は1900年の61209kmで頂点を迎える。その後は両大戦で敗戦国になったこともあり領土の喪失が続いたから、このときの総延長がピークだった。現在の総延長は4万kmと少々。ちなみに日本の鉄道総延長は2万数千といわれている。ドイツの国土が日本の8割の面積だということを考えると、かなりな密度だ。

    初の鉄道が1835年でピークが1900年というのが絶妙だ。この65年間はブラームスの生涯と驚くほど重なっている。ブラームスの64年の生涯はドイツ鉄道勃興の歴史と、時期的には完全に重なっていると申し上げてよい。

    当初の鉄道は、貨物輸送が中心で、旅客は二の次だったし、運賃も高かったから、庶民が直ちに鉄道旅行を楽しんだわけではないが、ブラームス好きたるもの少しは心にとめておきたい。だから次は「鉄道特集」

    写真はハンブルク中央駅。

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    2014年1月 9日 (木)

    ビール特集総集編

    「ビール」の総集編をお届けする。いやはや長かった。その上やや唐突なエンディング。それは訳アリだから、十分に満足だ。

    1. 2013年07月11日 打ち上げのビール
    2. 2013年07月12日 ブラームスとビール 伝記上の言及は薄い。
    3. 2013年07月13日 暑さの単位 ミュンヘンの習慣。
    4. 2013年07月14日  お盆のファンタジー16 ビールでおもてなし。
    5. 2013年07月15日 ビールの牙城 成人一人一日あたりの摂取量。
    6. 2013年07月16日 学生歌の中のお酒 何と言ってもビール。
    7. 2013年07月17日 3年越しの収穫 予告されていたビール特集。
    8. 2013年07月18日 ビールを読む ご機嫌の書物。 
    9. 2013年07月19日 惜しむらくは デトモルトでブラームスが言及されない。
    10. 2013年07月20日 世界ビール大百科 いささかアメリカ目線。
    11. 2013年07月21日  上面発酵と下面発酵 酵母の違い。
    12. 2013年07月22日 ビール純粋令 1516年制定の古法。
    13. 2013年07月23日 食糧政策 純粋令の背景。
    14. 2013年07月24日  ビール純粋令Ⅱ 改訂によりホップを追加。
    15. 2013年07月25日 ビール純粋令Ⅲ 小麦ビールは野放し。
    16. 2013年07月26日 ビール純粋令Ⅳ 全文和訳は貴重。
    17. 2013年07月28日 4大ビールメジャー 弱肉強食のビール市場。
    18. 2013年07月29日 ビアダービー ドイツのビールメーカー上位15社。
    19. 2013年07月30日 銘柄ランキング 銘柄別ベスト10。
    20. 2013年07月31日  各国ビール事情 世界各国のビール市場。
    21. 2013年08月01日 無理やりビアライゼ ドイツ旅行とビール。
    22. 2013年08月02日 胸スポ ユニフォームの胸に描かれるスポンサー。
    23. 2013年08月03日  ネーミングライツ 本拠地の名前。
    24. 2013年08月04日  サッカーをどうする ビールとサッカーのコラボ。
    25. 2013年08月05日 ジュピラーリーグ ベルギーの1部リーグ。
    26. 2013年08月06日 ガンブリヌスリーガ チェコの1部リーグ。
    27. 2013年08月07日 ビールかけ 勝利の儀式にも大人の事情。
    28. 2013年08月08日 ビアリーガ① ビール会社のスポンサー。
    29. 2013年08月09日  ドルトムンダー ドイツ随一の醸造都市。 
    30. 2013年08月10日 シャルケ ダービーの相手。
    31. 2013年08月11日  ビアリーガ② ブンデス2部のスポンサー。
    32. 2013年08月12日 ビアリーガ③ ブンデス3部のスポンサー。
    33. 2013年08月13日  もう一つのブンデスリーガ オーストリアの事情。
    34. 2013年08月14日 比較対照 自動車とウエアのスポンサー。
    35. 2013年08月15日 ブログ開設3000日 記念の乾杯。
    36. 2013年08月16日 Jリーグの事情 Jリーグとビール。
    37. 2013年08月17日 プレミア開幕 イングランドの事情。
    38. 2013年08月18日 リーガエスパニョーラ 勢いでスペイン。
    39. 2013年08月19日 エールディヴィジ オランダはどうなっているか。
    40. 2013年08月20日 スーパーリーグ スイスのドイツ語圏は。
    41. 2013年08月21日 ザンクトガレン スイス王者との蜜月。
    42. 2013年08月22日 レギオナルリーガ ドイツ4部はアマチュア。
    43. 2013年08月23日  レギオナルリーガ北部  
    44. 2013年08月24日 レギオナルリーガ北東部 旧東ドイツへようこそ。
    45. 2013年08月25日 レギオナルリーガ西部
    46. 2013年08月26日 レギオナルリーガ南西部 
    47. 2013年08月27日 レギオナルリーガバイエルン バイエルン州リーグ。
    48. 2013年08月28日 ドイツ農業協会 DLG。
    49. 2013年08月29日  DLG Genuss Guide Bier 2013  本場のビアガイド。
    50. 2013年08月30日 トップブランドのご乱心 エッティンガーの気紛れ。
    51. 2013年09月01日 何ともはや アマチュア8部をサポートする。
    52. 2013年09月02日 クライスリーガ 9部をサポートする会社の話。
    53. 2013年09月03日 水のこと 水はビールの命。
    54. 2013年09月04日 ドイツ硬度 水の硬軟。
    55. 2013年09月05日 ラテンの事情 イタリアとフランス。
    56. 2013年09月07日 ビアラベル ビールラベルの傾向。
    57. 2013年09月08日 ビアグルッペン ビール企業体の実態。
    58. 2013年09月10日 独立系 いわゆるプライヴェートブラウエライ。
    59. 2013年09月11日 OG 初期麦汁濃度。
    60. 2013年09月13日 ボックキアラ クララの誕生日に。
    61. 2013年09月14日 逆引きビアリーガ ビール&サッカーの総集編。
    62. 2013年09月15日 飲んだ可能性 創業年でソートする。
    63. 2013年09月16日 Meininger 第4交響曲初演の打ち上げで。 
    64. 2013年09月17日 パワーポイント 私だけのビール図鑑。
    65. 2013年09月18日 大人の自由研究 ビールとサッカー。
    66. 2013年09月19日 ビアリーガ効果 サッカーとビールの相関は面白い。
    67. 2013年09月20日 16歳以上 ドイツでの飲酒解禁年齢。
    68. 2013年09月21日 オクトーバーフェスト本日開幕。
    69. 2012年09月23日 ミュンヘンの6大メジャー オクトーバーフェストへの出店権。
    70. 2013年09月24日 テント一覧 オクトーバフェストのテント。
    71. 2013年09月25日 テレジア牧 鴎外のオクトーバーフェスト。
    72. 2013年09月26日 パウラナー ドイツで最初に飲んだビール。
    73. 2013年09月27日 3大ラガー ミュンヘン、ウィーン、ピルゼン。
    74. 2013年09月29日 ミカエルからゲオルグ ビールを仕込むタイミング。
    75. 2013年09月30日 カフェミネルヴァ 「うたかたの記」冒頭。
    76. 2013年10月01日 利尿作用 森鴎外の論文。
    77. 2013年10月02日  ミュンヘンの威光 1896年1月のライプチヒにて。
    78. 2013年10月04日 ミュンヘン宮醸 鴎外の証言。
    79. 2013年10月05日 アインベック ミュンヘンホフブロイの手本。 
    80. 2013年10月06日 ピルスナーウルクェル 元祖ピルゼン。
    81. 2013年10月07日 ホフブロイ バイエルン宮廷直轄。
    82. 2013年10月08日 嫁の実家 ハッカープショール。
    83. 2013年10月09日 先駆者シュパーテン フェストの口開け。
    84. 2013年10月10日 メルツェンビール 「3月のビール」
    85. 2013年10月11日 修道院とビール ビールにかかわる戒律。
    86. 2013年10月12日 液体のパン キリスト教におけるビールの位置づけ。
    87. 2013年10月14日 ドッペルボック パウラナーの大黒柱。
    88. 2013年10月15日 押韻の痕跡 ドッペルボックの語尾。
    89. 2013年10月16日 アンデックス 鴎外ゆかりの修道院。
    90. 2013年10月17日  Weltenburger 渓谷の修道院。
    91. 2013年10月19日  Weihenstephan こちらも修道院。
    92. 2013年10月20日 ブジェヨヴィツェ バドワイザーの由来。
    93. 2013年10月21日 ブナの木片 バドワイザーの伝統。
    94. 2013年10月22日 セントルイスカージナルス 祝ワールドシリーズ開幕。
    95. 2013年10月23日 アメリカ3大ブルワリー ホームグランドの名前。
    96. 2013年10月24日 創業者 アメリカメジャーの創業者たち。
    97. 2013年10月25日  ドイツ移民 ミルウォーキーの事情。
    98. 2013年10月26日  内陸産業 ビール産業の立地。
    99. 2013年10月27日 アメリカンラガー 副原料の使用。
    100. 2013年10月28日 ユーロラガー アメリカンラガーの逆流。
    101. 2013年10月29日 ビール特集100本 余裕の到達。
    102. 2013年10月30日 そして誰もいなくなった ビールメジャーの凋落。
    103. 2013年10月31日 スポーツの助け 観戦の友。
    104. 2013年11月01日 バンベルク 名物ラオホビール。
    105. 2013年11月02日 ホップ ドイツは世界一のホップ産地。
    106. 2013年11月03日 ハラタウ地方 世界一のホップ地帯。
    107. 2013年11月04日  ハットトリック 帽子を贈る。
    108. 2013年11月05日 さあ湖を渡ろう ホップ収穫歌。
    109. 2013年11月06日 ビールの色合い さまざまな色。
    110. 2013年11月07日 再びカール大帝 ビール生産の奨励。
    111. 2013年11月08日 ヴァイキング ビール経済。
    112. 2013年11月09日 フリードリヒバルバロッサ 最古の都市法。
    113. 2013年11月10日 商人の名前 トーリアの商人。
    114. 2013年11月11日 ドイツビールの起源 おそらくはホップ添加以降。
    115. 2013年11月12日 ビール史の断絶 直列年表の罠。
    116. 2013年11月13日 ベルジアンレース ジョッキ内部の泡の痕。
    117. 2013年11月14日 植民地獲得競争 遅れてきたドイツ。
    118. 2013年11月15日 酸敗 ビール製造の失敗。
    119. 2013年11月16日 ビアフォンファス 樽入りのビール。
    120. 2013年11月17日 今更ですが 父とビール。
    121. 2013年11月18日 ビールと産業革命 3大発明とビール業界の興隆。
    122. 2013年11月19日 ビール酒税 日本の高課税。
    123. 2013年11月20日 第三のビール 麦芽不使用。
    124. 2013年11月21日 リンデ製氷機株式会社 アンモニア冷凍機の発明。
    125. 2013年11月22日 ラーデベルガー ザクセン王室ご用達。
    126. 2013年11月23日 ブラックベルベット ビスマルクお気に入りのカクテル。 
    127. 2013年11月24日 ビスマルクお気に入り 貴人漂流譚か。
    128. 2013年11月25日 故郷のビール ハンブルクのホルステン。
    129. 2013年11月26日 ウイーンのビール 今や絶滅危惧種。
    130. 2013年11月27日 晩酌の中身 ヘンシェルの証言。
    131. 2013年11月28日 ウイーンのピルスナー イエンナーの証言。
    132. 2013年11月29日 ヴィクトリアプルゼニ CL予選D組の因縁。
    133. 2013年11月30日 カルルスベルク デンマークの多国籍企業。
    134. 2013年12月01日 ハイネケン オランダの多国籍企業。
    135. 2013年12月02日 ビアドルフ 無礼講。
    136. 2013年12月03日 泰然自若 Bierruhe。
    137. 2013年12月04日 ビール関連単語集
    138. 2013年12月05日 ビール関連地名 
    139. 2013年12月06日 ビール関連姓 苗字の羅列。
    140. 2013年12月07日 最初の積荷 ドイツ鉄道最初の貨物。
    141. 2013年12月08日 ブラマ ブラジルの事情。
    142. 2013年12月09日 猫の死因 漱石の命日。
    143. 2013年12月10日 ブルメナウ ブラジルのドイツ人街。
    144. 2013年12月11日 忘年会ラッシュ 鴎外の年末。
    145. 2013年12月12日 12という霊数 ピルスナーと「12」の関係。
    146. 2013年12月13日 ビール恋しや ワーグナーとビール。
    147. 2013年12月14日 レーマーピルス フランクフルト名物。
    148. 2013年12月15日 ルス 上面発酵ビールのレモネード割り。
    149. 2013年12月16日 アルトビア デュッセルドルフ名物。
    150. 2013年12月17日 ベルリナーヴァイツェン 上面発酵ビールのレモネード割り。
    151. 2013年12月18日 アイスビール 凍結による雑味除去。
    152. 2013年12月19日 エアブロイ ミュンヘン空港の醸造所。
    153. 2013年12月20日 ラーツケラー 市庁舎の地下。
    154. 2013年12月21日 岩倉使節団とビール プロイセンと英国の話題。
    155. 2013年12月23日 スピットファイア ボトルオブブリテン。
    156. 2013年12月24日 ハウストゥルンク 現物支給。
    157. 2013年12月25日 コクとキレ 味わいの尺度。
    158. 2013年12月26日 純粋令の落とし前 純粋令と小麦ビール。
    159. 2013年12月27日 パスツール 低温殺菌法の考案。
    160. 2013年12月28日 EKU Kulminator28 アルコール度数ドイツ最強。
    161. 2013年12月29日 原産地名称保護制度 特産物の保護。
    162. 2013年12月30日 ケルシュ ケルン特産のハイブリッド。
    163. 2013年12月31日 ケルンの範囲 ケルシュの領域。
    164. 2014年01月02日  アイゼンバーンケルシュ ブラジルの銘柄。 
    165. 2014年01月03日 世界のビール図鑑 アメリカ目線が気になる。
    166. 2014年01月04日 Gruss Gott バイエルンの挨拶。
    167. 2014年01月05日 Warsteiner 唯一の醸造所駅。
    168. 2014年01月06日 リターナブル 瓶はエコ。 
    169. 2014年01月07日 ビールと鉄道 濃い関係。
    170. 2014年01月08日 鉄道輸送の証拠 ミュンヘン発ライプチヒ。
    171. 2014年01月09日 本日のこの記事。

    2014年1月 8日 (水)

    鉄道輸送の証拠

    1880年代以降、ライプチヒでミュンヘン産のビールが浸透していたことについては、ブラームスの伝記と鴎外の「独逸日記」が証言してくれている。この両都市の距離はおよそ400km強だ。鉄道出現以前、ビール輸送が馬車依存だった時代、ビールの供給は醸造所から50km以内という制約があった。悪路の馬車輸送は振動による品質の低下を招くからだ。「馬車で1日の距離」というのが経験的な限界だったという。

    ミュンヘン産のビールがライプチヒで普通に供されていた事実そのものが強く鉄道輸送の介在を示唆している。この両都市に関する限り水運は望めない。部分的な馬車輸送と1回以上の積み替えが必須になる上に、1日では届かない。

    ミュンヘン産ビールが鉄道でライプチヒに届くまでの経路は下記のように推定できる。

    1. ミュンヘン
    2. フライジンク
    3. ランズフート
    4. レーゲンスブルク
    5. ニュルンベルク
    6. バンベルク
    7. ザールフェルト
    8. ナウムブルク

    上記1ミュンヘンから上記5ニュルンベルクは、現在なら迷わずインゴルシュタット経由にもなりそうだが、ICE専用線なので当時は開通前だった。アンスバッハ駅で積み替えまたはスイッチバックが発生するので貨物輸送には不向きでもあり、レーゲンスブルク経由だと推定出来る。上記7ザールフェルトのあたりで蛇行するほかは、無理なくライプチヒに届く。

    2014年1月 7日 (火)

    ビールと鉄道

    ブラジルのブルメナウ市に「アイゼンバーン」(鉄道)という醸造所があると書いた。鉄道がビール産業に与えた影響は大変大きい。

    ドイツでは産業革命を鉄道が牽引した。これが英国との大きな違いだと説明される。産業革命によって発生した分厚い労働者層がビール消費の急先鋒になった。

    それまでビールと言えば「地産地消」が当たり前だった。醸造所から半径にしておよそ50kmが、その販売圏だった。馬車で1日の距離だと考えていい。でこぼこの道をビヤ樽満載の馬車が、それほど早く走れるわけではないのだ。

    鉄道はこの制限を大きく打ち破った。桁ハズレの輸送力だ。醸造所から遠く離れた場所に安全に大量のビールを輸送できる。プロイセン改めドイツ帝国はビスマルクとモルトケの発案で網の目のように鉄道が敷かれたから、ビール業界にとっての市場は一気に国全体になった。

    現在ドイツ第2位の生産量を誇るビットブルガー社は、どこで調べたか「ビールを最初に鉄道輸送した会社」だと自賛している。彼らの本拠ビットブルクが独仏国境に近いことが重要だ。独仏国境は当時のドイツ帝国にとって最重要の監視ポイントだ。大軍をいつも駐留させていたから、ドイツのあちこちから物資が大量に流れ込んだ。もちろん鉄道を使ってだ。軍事物資を積んできた大量の貨車が、帰ってゆくときそこにビールを積めばいい。巨大な流れに逆らう方向の流通は料金面で優遇されることもある。だからビットブルガー社の言い分に説得力がある。

    その昔ワイン生産は輸送に有利な大河川の近辺に発達した。ボルドーやラインがその代表だが、鉄道がその代わりに躍り出た。ダルムシュッテッター社は、ラベルに機関車がデザインされている。

    2014年1月 6日 (月)

    リターナブル

    ビールを取り巻く諸事情で、ドイツと日本で大きく違うのは缶ビールだ。ドイツでは樽か瓶が主流で、缶をあまり見かけない。家庭での飲用に関する限り日本では缶が主役に見える。場所を選ばぬ手軽さが受けていると説明されるが、ソフトドリンクで猛威を振るうペットボトルはとんと見かけない。

    ドイツの瓶好きにはドイツらしい理由がある。回収洗浄により繰り返し使用できる瓶はエコだと看做されている。洗浄するには水が要ることを差し引いてもリターナブルが支持されている。瓶ならば何でもいいかといわれるとそうでもないところがまたドイツらしい。醸造所から半径400kmを超える領域からの瓶回収は、物流上発生する炭酸ガスなどの関係で、環境保護面からマイナスになると試算されている。

    ドイツの中堅ブルワリーは、輸送インフラには困らない現代においても、自社製品のデリヴァリーを一定の範囲内に制限しているケースがほとんどだ。巨大プラントをフル稼働することで得られる最大利潤よりも、デリバリー範囲内での需要を無理なく満たすという前提から経営規模が決められている。ビールはドイツ産業界の例外だ。

    2014年1月 5日 (日)

    Warsteiner

    ドルトムントの東南東10kmの一帯にアルンスベルクの森が広がっている。ルール工業地帯を貫流するルール川の水源でもある。その南の端には標高500前後の山々が東西に連なっている。Warsteinはその北側斜面に位置する小さな街で、ドイツで5番目のビール会社Warsteinerが本拠を置く。すぐ南の山を越えるとそこにはメシェデの街があり、Veltins社が醸造所を構えている。早い話が水に恵まれているということだ。

    さて、ヴァルシュタインに続く鉄道は、すぐ南の山を越えようとはせず、北側およそ30kmのリップシュタットまで伸びてそこで東西に走る幹線に接続している。だからヴァルシュタインは北から伸びてきた鉄道の終着駅になる。少なくとも道路地図ではそう見える。

    鉄道専門の地図をあたると、線路はさらに5kmほど南に延びている。驚いたことにその終点に「Warsteiner Brauerei駅」がある。直訳すると「ヴァルシュタイン醸造所」駅だ。残念ながら乗客を乗せない貨物専用線。どう見ても醸造所からビールを運び出すことが目的だろう。Warsteinerはドイツではよく見かける。数少ないナショナルブランドだ。鉄道を使って全国に配送しているのだろう。ルフトハンザの機内で飲んだ。

    不思議なのは他に5社ほど存在する全国メーカーの本社付近には、この手の専用駅は発見できない。他の名前のついた駅の引込み線なのか、トラック輸送なのかは判然としないが、「Brauerei」という名前のついた駅はドイツ中でここだけだ。

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    2014年1月 4日 (土)

    Gruss Gott

    2年前のドイツ旅行最後の夕食はニュルンベルクだった。洞窟風の居酒屋。最後の夕食とあって多くの人がビールを注文した。しばらくしてウエイトレスさんが両手一杯にジョッキを持ってきた。「Bier」といいながら長男と私の間からテーブルにビールを置く。ドイツ語にも慣れてきたメンバーが「Danke」と声をかけている。

    私は長男と示し合わせた実験を試みた。ビールを置いてテーブルを離れようとするウエイトレスさんに「Gruss Gott」と声をかけた。「u」はウムラウトになる。カタカナで無理やり表すと「グリュースゴット」という感じ。バイエルン方言で「こんにちは」の意味とされるが、利用範囲はもっと広くて挨拶のシチュエーション全般で使える万能語。列車内の狭い通路ですれ違うときにも使える。車掌が検札のために車内に入って来るときも。駅の案内所で係りの人に声をかけるときも「すみません」のニュアンスでピッタリだ。別れ際「ありがとう」の意味でも違和感が無い。

    私から「Gruss Gott」と声がけされたウエイトレスさんの反応は劇的。満面の笑顔でこちらに振り向いて「Gruss Gott」と答えてくれた。長男と顔を見合わせて効果の程を喜んだ。彼らからすれば日本人がバイエルン方言で呼びかけてくれるなど想定外だったに違いない。事前にこのバイエルン方言については調べていたが、やっぱり現地方言で声をかけると喜ばれる。なんだかビールがうまかった。バイエルン地方にお出かけの予定がある方はご記憶を。

    2014年1月 3日 (金)

    世界のビール図鑑

    ネコパブリッシュ社から2010年に出版された本。今日本語で読める最も詳しいビール図鑑だと思う。編集主幹はティムハンプトンという人物。世界のビール会社1700社ほどが紹介されている。代表的製品がカラー写真で掲載されていてラベルを見ているだけで楽しい。加えて創業年を初めとする簡単なコメントが添えられている他、所在地、ホームページアドレスが漏れなく載っている。

    あまたある会社のうちどこを載せてどこを載せないのかの基準は必ずしも明らかではないが、そうした「出たとこ勝負感」もまた貴重だ。たとえば日本のメーカーは20社掲載されているが、いわゆる有力5社からはたった1社が写真無しのその他扱いで収載されているだけである。

    さて、本文はまず主要5カ国から記述される。アメリカ、ドイツ、イギリス、ベルギ-、チェコだ。筆頭のアメリカは169社が収載されている。ドイツは147社だ。現在ドイツには1500のビール会社があるとされているから、およそ1割弱が載っている計算になる。先も申したとおり何が基準かは必ずしも明らかではない。生産量ドイツ最多のエッティンガーが載っていない。バイエルンミュンヘンをサポートするパウラナーもない。ドイツビール生産高15傑のうち、収載があるのは、やっと過半数の8社。企業規模はあまり関係がないようだ。生産高世界第一位の中国からはわずか4社が取り上げられているに過ぎない。

    元々米国目線の書物なのだろう。ドイツの某醸造所の紹介記事に「ブラックフォレスト」(Black forest)という表現があった。前後の文脈からこれは、いわゆる「黒い森」でドイツ語でいう「Schwarz Wald」のことだとわかるのだが、翻訳にあたっては「シュバルツヴァルト」もしくは「黒い森」とでもしてもらいたいところだ。いきなり「ブラックフォレスト」と言われても当惑するばかりだ。本当にためになって楽しい図鑑なのだが、読み込んでゆくと、最早ドイツ補正かかりまくりの脳味噌にとっては、さりげないところのアメリカ目線が妙に気になる。

    2014年1月 2日 (木)

    アイゼンバーンケルシュ

    「Eisenbahn Kolsch」と綴るビールの銘柄。「Eisenbahn」は「鉄道」を意味するのだが、醸造所の名前でもある。これがまあ驚きの連続だ。Eisenbahn社は2002年にブラジルのブルメナウ市で創業した気鋭の醸造所。同社の住所はWeissenbachだからどこまでもドイツ風だ。

    ケルシュという名乗りはドイツにおいては産地統制呼称だ。ケルン市近郊の一定の地域で決められた製法で作られたビールだけが「ケルシュ」を名乗ることが出来る。本日話題の「アイゼンバーンケルシュ」はブラジル産でありながら堂々と「ケルシュ」と名乗っている。

    欧州から遠く離れた南米大陸、しかも陽気なブラジルだから、お目こぼしがあるものと思われる。見返りもある。来年のワールドカップでは、ブラジルを訪れたドイツ代表をケルシュで応援するに違いない。

    2014年1月 1日 (水)

    祈り

    あけましておめでとうございます。

    1. マスカーニ作曲歌劇「カバレリアルスティカーナ」より「間奏曲」
    2. ドヴォルザーク作曲序曲「謝肉祭」

    次女たちの後輩37代38代は昨年末12月29日第20回オーケストラフェスタ最終日、各校演奏の大トリとして上記2曲の演奏を許された。

    演奏に先立つ部長の挨拶の中で昨年8月に急逝した同校の前校長先生のために「間奏曲」を演奏すると宣言した。続く「謝肉祭」はオーケストラフェスタ20回のお祝いと、お集まりいただいた皆様の新年が素晴らしいものになるように弾くと約束した。心底から湧き上がる自然な言葉で、演奏前に引き込まれた。今にして思えば、この挨拶から音楽が既に始まっていた感じ。仲間がステージ上に揃う。気がつくと弦楽器のメンバーの前に譜面台が無い。「ああ暗譜なんだな」とため息。指揮者が全員を立たせ、コンミスと握手していよいよ始まる。

    長い。

    指揮者がタクトを上げない。時間にして10秒ほどなのかもしれないが、やけに長い沈黙。咳をする者もなく会場全体がただ息を呑む10秒間。「間奏曲」冒頭のフレーズを準備する極上の沈黙だ。指揮者がメンバーが、故人に思いを馳せていたと考えるべき敬虔な時間だった。前校長先生だけではない。メンバーの中には、昨年祖父母を亡くした生徒もいたと聞く。大切な人への感傷を各々の立場で思い遣る演奏。そういう意味では「私事」の演奏なのだ。そうした個の思いを、普遍的な芸術として聴衆に還元出来るのかという一抹の不安も胸をよぎった。

    不安は杞憂。あの演奏を言葉で表現しようとするのは最早無理だ。それではブログにならないから無理やり申せば「生き死にを背負った演奏」だ。大切な人の死に臨み、その人を思い、悲しみ、慈しみ、無常と向き合ってやがて前を向く。さらにその思いを音楽に載せよう決意し、多数の大人を含む聴衆に伝えようと必死になる。そうした果てに辿り着いた笑みのある演奏。「青春真っ只中の16~17歳の乙女たちの部活」だと高をくくっているのは恥ずかしいだけだ。指揮者を信じ、仲間を信じ、音楽を信じ彼女らなりに「人の死」と精一杯向き合った結果が音になったと解さねば説明がつかない。

    ああ伝わったとも。思い出すだけで目頭が熱い。

    証拠はある。第一ヴァイオリンが、ピアニシモを引き伸ばして曲が終わる。指揮者の手がゆっくりと下りたのに、拍手が来ない。「今年亡くなった前校長先生に捧げる」と宣言したのが、嘘でないどころか、全聴衆から拍手さえ奪い去った娘たちの真心。泣きながら弾いている生徒もいた。娘たちの追悼の意思が聴衆に伝わったと見るべきだ。私だって拍手する気満々だった。隙あらば「ブラヴォー」かます覚悟さえできていた。でも手が動かなかった。声が出なかったと告白する。

    拍手を封じられた沈黙の中、まるで交響曲の楽章間のように管楽器の生徒が「謝肉祭」に向けて淡々と席を移動する。会場は水を打ったまま。

    程なく指揮者のタクト一閃で、キレッキレの「謝肉祭」が放たれる。「これが私らの音楽なんです」「さっきは私事ですみません」「どうか楽しんでください」とばかりにかすかな笑みさえ浮かべた子どもたち。どんな細かな音符までもおろそかにしない縦横無尽のアイコンタクト。中間部のフルート、イングリッシュホルン、独奏ヴァイオリンのソロが水際立っていた。でもね。ソロの出来より、アンサンブルの温かさの方が勝っていたような気がする。子どもが必死に伝えようと思っていた物のほうが、個別のソロの出来より尊いって思える演奏だった。

    さっきまでの「間奏曲」とは、対照的な推進力なのだが気迫と申すにはあまりにも優雅。後から「謝肉祭」を聞かされてみて、最初の「間奏曲」との対比に二度驚かされるという緻密な構成というべきか。昨年4月に楽器を始めた生徒もいるという事実は、最早風化直前だ。

    自分の娘は引退してこの中にはいないのに、ご覧の通りの熱狂だ。いろいろ考えたが、あの演奏の記憶を残さずして何がブログかと思い至って記事にした。あの演奏を肴にならいくらでも語り合っていられる。自分が子どもたちの思いを受け止める耳を持っていたことを誇りに思う。娘がいるいないは関係ない本当の音楽。一生語り継ぐべき演奏。

    これがまだ、3月の欧州公演、5月のスペシャルコンサートに向かう坂道の途中でしかないとは、なんて幸せな子どもたち。

    一昨年のオケフェス

    昨年のオケフェス

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