ドイツ鉄道の父
フリードリヒ・リストFriedrich Lists(1789-1846)は、ヴュルテンブルク州ロイトリンゲン生まれの経済学者。思想的には反メッテルニヒだったために米国に亡命。やがてザクセン王国米国領事となる。1825年にザクセン王国に帰国。スティーブンソンの推薦もあって同国の鉄道敷設を指導する。1833年には「ザクセン鉄道体系」という論文を発表した。まだドイツに1mもレールが敷かれていない段階での先見的な論文だ。ドイツ国内の鉄道網をどのように整備発展させるべきかを詳細に論考し、路線の選定にとどまらず、収支見込にまで踏み込んでいる。ザクセン王国の官僚でありながら、その視点は全ドイツを見据えたものだったために次第にザクセン王国内で孤立するに至った。
1846年にピストルで自ら命を絶ったが、その後のドイツの鉄道は彼の論文の通りに敷設されていったことで、先見性が再評価されるに至った。
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