ハンブルクの出遅れ
記事「鉄道敷設ラッシュ」をよくご覧いただく。ブラームスの故郷ハンブルクの名前が無い。1840年のドイツの鉄道路線図には記載が無い一方、1845年の路線図には載っているから、この5年の間のどこかでハンブルクに鉄道が敷かれたのだと思う。それはまた後ほど。
特に興味深いのは、1845年の路線図において、ハンブルクから伸びる鉄道は全て北に向かう。このことは重要だ。エルベ川に鉄道橋がかけられていなかったということだ。橋が無いだけではない。エルベ川に沿って北西や南東に向かう路線も無い。この時点でハンブルクからの鉄道は北海に向かう鉄道だけだった。エルベ川の水運との競合を避けているように見える。
そういえば、ハンブルクに限らず、ブレーメン、キール、ロシュトクなど北部の港湾都市の名前がコッソリ抜けている。
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