鉄道連隊
千葉に長く住んでいるから半ば当たり前になってもいるが、千葉は旧日本軍の遺構が数多く残されている。歩兵学校、戦車学校、高射砲学校などの跡地が文教施設に転用されている。私の母校は小中高とも軍隊の跡地に立っていたし、長女の高校も次女の高校もそうだった。鉄道連隊跡もそうした遺構の一つだ。
第一連隊は今のJR東千葉付近。小学校のころ遠足に出かけた千葉公園は、鉄道連隊作業場の跡地だ。缶蹴り遊びで身を隠したのが橋脚の跡だったりする。そこから少しはなれたところに旧国鉄のレールセンターが戦後まで使われていた。私が通った高校の裏にあって、たまにディーゼル機関車が貨車を挽いて走っており、授業中に汽笛が聞こえた。
第二連隊は今のJR津田沼駅前。千葉工業大学の正門が当時の連隊の正門だったという。第一と第二の両連隊を演習線が結んでいた。JR総武線よりはかなり内陸寄りだ。道路として妙に直線が続くその廃線跡の舗装道路を自転車で走り回ったものだ。千葉県内の鉄道は、JR私鉄とも鉄道連隊の演習線が起源になっているケースが多い。
鉄道連隊の創設は1896年だ。日清戦争後の大陸進出をにらむ意図があったことは明らかだ。関東大震災後の復旧に活躍したとも言うが、本来の任務は戦場や征服地における鉄道の敷設や復旧にある。退却する軍隊は鉄道を破壊するのが鉄則だったからだ、こうしたコンセプトはドイツを見習ったものとされている。軌道幅、機関車などの機材はドイツの影響が大きいそうだ。
映画「戦場にかける橋」で有名な泰緬鉄道は、千葉や津田沼から転営した第5連隊と、第9連隊が敷設したものだ。タイとミャンマーを結ぶから泰緬だ。捕虜を使役したことは事実だが、主体はあくまでも日本側。映画のように爆破されることはなく、現在も使用されている。ビルマ側から着工したのが第9連隊で、タイ側から第5連隊が工事を進めた。クワイ川(現地ではクウェイに近い)に架橋したのは第5連隊だ。全長428kmをわずか10ヶ月で完成にこぎつけた。ドイツの影響というなら「第五、第九」と聞くとドキドキしてしまう。
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