命拾い
宰相就任後、ビスマルクは少なくとも2回暗殺未遂事件に巻き込まれている。1866年と1874年だ。2回ともビスマルクは命に別状なく、政治生命は保たれたばかりか、事件を巧みに利用して反対派に圧力をかけた。
実は命拾いがもう一度あった。プロイセン宰相就任の10年ほど前、ドイツ連邦議会プロイセン公使時代、ビスマルクはオーストリアに視察を挙行した。当時佳境にさしかかっていたゼメリンク鉄道の工事現場を訪れたのだ。世界で初めてアルプスを越える鉄道だから、トンネル、鉄橋などの当時最先端の鉄道技術の粋を集めた工事。
海の無い内陸の帝都ウィーンから、他国の土地を踏まずに港に出たいハプスブルク家は、現イタリア領のトリエステまでの鉄道を計画した。その鉄道の難所がゼメリンク峠だ。直線で21kmの距離にその倍のレールを敷いて越える難工事で、およそ20000人が作業にあたり約700人が犠牲になった。
その視察の折に事故が起きた。ビスマルクが歩む足場が崩れたのだ。近くの岩棚にしがみついで危うく難を逃れたらしい。このときビスマルクが落命したら世界史は少し変わっていたかもしれない。
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