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2014年2月 5日 (水)

鉄道論

1887年(明治20年)に日本陸軍参謀本部が明治天皇に日本の鉄道のあり方について上奏した。この内容が興味深い。以下骨子。

  1. 鉄道の路線決定は戦時輸送に配慮しなければならない。
  2. 単線の鉄道は不可。
  3. 軌道幅は広軌を採用すべし。
  4. 路線は海岸線から3キロ以上離して敷設せよ。

当時の参謀本部長は1879年に就任した山県有朋が健在だった。おまけに1885年にはドイツ陸軍参謀本部長のモルトケ将軍が推薦するメッケルが参謀少佐として参画していた。上記の上奏は、ドイツというよりプロシア陸軍の考え方をそのまま踏襲したものだ。

日本の鉄道は英国からの技術導入で産声を上げたのだが、この時点ではすでにプロシア流の考え方にシフトしていた。普墺戦争や普仏戦争の目覚しい戦果から、鉄道の軍事利用が不可欠の考え方に傾斜していた。英国は鉄道の母国ではあるけれど、それはあくまでの産業革命のツールであって、軍事利用は置き去りになっていた。島国英国の国防の中枢はあくまでも海軍であった。同じ島国の日本が国防面でも陸軍主導なのはひとえにプロシア留学経験者が主流になっていたせいだ。

陸軍参謀本部の上奏は無敵の説得力だった。しかし帝都と関西を結ぶ鉄道は内陸を通らずに太平洋側を走ることになった。理由は単純。財政難だ。内陸を通すのは技術的な難易度が高く、建設費が高くつく。開通済みの新橋横浜間の有効利用も出来る東海道ルートが採用された。

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