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2014年2月13日 (木)

ゴットハルトトンネル

記事「命拾い」でビスマルクが鉄道に一方ならぬ関心を持っていた話をした。アルプスの南、イタリアに抜ける鉄路は、戦略上かなり重要だった。ナポレオンの対英経済制裁の大陸封鎖では、むしろドイツが深刻な影響をこうむった。生き馬の尻目を抜く時代、北海やバルト海の港湾を英国あたりに封鎖されたら、大変なことになる。

そのリスクを考えるとイタリアに抜ける鉄道には政治的に重要な意味がある。対仏政策を押ししすめればイタリアとはいずれ同盟関係になる。イタリアに抜ける鉄路の確保は最重要案件だ。

イタリアとスイスの国境にあるサンゴタール峠を貫通するトンネルを堀って鉄道を通す計画が1871年にイタリアで承認された。これがドイツ名でゴットハルトトンネルだ。完成のあかつきには、当時として世界最長のトンネルになる。イタリアでの計画成立にビスマルクが暗躍したという。敷設に必要な費用の半分をイタリアが出し、残り半分をスイスとドイツが折半すると決められた。1882年に10年の工事をもって完成すると、ドイツからイタリアに物資がなだれ込んだ。石炭と鉄を中心に流通量の圧倒的多数をドイツが占めた。総工費の4分の1を負担して、流通の動脈を確保したことになる。

ゼメリンク視察の経験が脳味噌の片隅にあったに決まっている。この年以降の夏、イタリアに避暑に赴くブラームスがこのトンネルを通った可能性がある。とりわけイタリアから避暑地トゥーンに入った1888年はまず間違いなくここを通っている。

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