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2014年2月 1日 (土)

鉄道は国家なり

ビスマルク率いるプロイセンは事実上「鉄道は国家なり」の様相を呈していた。ドイツ統一に至るプロイセンの戦いにおける鉄道の役割については既に述べたから本日は、統一後のドイツ帝国について述べる。

ドイツ帝国は大小さまざまの領邦が、プロイセン主導で統括されたものだ。それまでの各領邦には、私鉄を中心に自前の鉄道があった。ビスマルクは統一後の帝国憲法草案に鉄道国有化の理念を盛り込んだ。4条と41~48条の各条に事細かに規定されていた。国内の鉄道のあり方を憲法で規定するというのは異例だ。ビスマルクはまさに「鉄道は国家なり」を実践しようとしたのだ。

ドイツ統一においてはプロイセンの主導に従った各領邦だったが、この帝国国有化には断固抵抗した。各領邦は、域内の私鉄を国有化して、帝国国有化に対抗したのだ。最終的にビスマルクが全鉄道の帝国国有化を断念し、プロイセン内の国有化に注力した。

それでもドイツの鉄道は領邦の枠を超えて事実上ドイツ国鉄として機能した。その鍵は軌道幅だ。シュヴァーベンの一部を除く全域が全て1435mmの標準軌だったことが、思いのほか円滑な貨物輸送を可能にした。当時の主役は申すまでもなく蒸気機関車。電化前だ。電化していないことが実はポイントだったりする。軌道幅さえ合えば縦横に通行が可能だ。電化ではなかなかそうはいかない。交流直流などの電化方式や電圧、サードレールかパンタグラフかという集電の問題もある。蒸気機関車なら信号方式と軌道幅の統一で事足りる。

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