魯境の鉄路
おそらくシベリア鉄道のこと。森鴎外の「独逸日記」1887年12月28日の記事に出現する。鴎外が上司の石黒某の演説を要約した中の言葉。だから鴎外の語彙というよりも上司の語彙なのだと思う。ちくま文庫の注も沈黙しているので仕方なく類推する。
これが開通したら東洋と西洋の交流がますます盛んになると言っているから、シベリア鉄道で間違いない。
シベリア鉄道は20世紀にはいった1904年に全通するが、19世紀後半には既にプランがあちこちで取りざたされていた。鴎外の留学時代にはまだ完成していなかったから「シベリア鉄道」という名称はまだ一般化されていなかったが、概念だけは確立していたものと考えられる。
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