アンハルターバーンホフ
正確には「Berlin Anhalter Bahnhof」という。ブラームスの生きていた時代、ベルリンの表玄関という位置づけだった。首都ベルリンからは放射状に鉄道が延びており、駅は方面別に分かれていた。「アンハルター」というのはベルリン市内の地名ではなくて、「アンハルト方面に向かうためのターミナル」という意味になる。方面別にターミナルを設置し、そこに行き先に因む名前を付けるのが当時のしきたりだったらしい。
アンハルト方面駅は数あるターミナルの中でも最高の格式を誇り、いわば表玄関という位置づけだったが、第二次大戦の爆撃で破壊され、ベルリンが東西に分断されたせいもあって再建されていない。
森鴎外の「独逸日記」には以下の通り出現する。
- 1884年10月18日
- 1884年10月20日
- 1885年05月30日
- 1886年02月23日
- 1887年09月16日
このほか単に「停車場」と書かれている中で、実際にはアンハルターバーンホフだったケースも少なくないはずだ。当時プロイセンと並ぶ雄邦と言えば、1にバイエルン、2にザクセンだった。この両者の首都ミュンヘンと、ドレスデンに行くための路線こそが大動脈だった。その大動脈の起点がまさにここアンハルターバーンホフである。経済的には重要だったハンブルクは、軍事的政治的にはこれらに劣る。
ウィーンにいたブラームスがベルリンを訪問する場合、ウィーンからプラハ、ドレスデンを経由してアンハルター駅に入るのが常識的なルートだ。
明治時代、日本からドイツを目指す旅行者は大抵、アンハルター駅に第一歩を刻むことになる。彼らの上陸地はフランスのマルセイユで、列車に乗り換えてシュトラスブルク、カースルーエ、ヴュルツブルクを経てベルリン・アンハルターに着く。
コメント