所要時間
ブラームスの時代に鉄道が急速に普及し、音楽家の活動範囲が目に見えて広がったことは、よく知られている。ドイツ国内はおろか欧州での移動時間が目覚しく短縮したのだが、実際にどれくらいの時間がかかったのかはよくわからない。当時の時刻表を入手出来ればいいのだが、そうもいかない。
森鴎外の「独逸日記」の記述はそういう点でも貴重だ。4年間の在独期間中に精力的に国を飛び回っているばかりか、その全てが鉄道でしかも几帳面に発着の時刻が記載されている。本日はその全てを一覧化してみる。
- 1884年05月22日 ベルリン発14時30分→ライプチヒ着17時35分 3時間05分
- 1885年05月12日 ライプチヒ発08時30分→リーザ着10時15分 1時間45分
- 1885年05月12日 リーザ発10時25分→ドレスデン着12時00分 1時間35分
- 1885年05月14日 ドレスデン発20時00分→ライプチヒ着22時15分 2時間15分
- 1885年05月26日 ライプチヒ発11時00分→ベルリン着15時30分 4時間30分
- 1885年05月30日 ベルリン発14時30分→ライプチヒ着17時30分 3時間00分
- 1885年08月27日 ライプチヒ発11時25分→マッヘルン着12時00分 35分
- 1885年10月11日 ライプチヒ発18時15分→ドレスデン着20時30分 2時間15分
- 1885年12月30日 ライプチヒ発18時15分→ドレスデン着? 自宅まで2時間とある。
- 1886年02月19日 ドレスデン発14時15分→ベルリン着17時30分 3時間15分
- 1886年02月23日 ベルリン発17時30分→ドレスデン着20時30分 3時間00分
- 1886年03月07日 ドレスデン発21時→ミュンヘン着翌08日11時00分 10時間
- 1886年08月09日 ミュンヘン発07時30分→ベルリン着翌10日12時 28時間30分
- 1887年03月15日 ミュンヘン発18時15分→ベルリン着翌16日12時 17時間45分
- 1887年09月16日 ベルリン発08時00分→ヴュルツブルク着20時00分 12時間00分
- 1887年09月18日 ヴュルツブルク発10時→カールスルーエ着16時 6時間00分
- 1887年09月24日 カールスルーエ発10時→バーデンバーデン着12時 2時間00分
- 1887年09月28日 カールスルーエ発早朝→ウィーン着夕方 およそ12時間か
- 1887年10月08日 ウィーン発21時00分→ベルリン着翌09日12時 15時間
以上。以下に若干の考察を試みる。
- ①ベルリン→ライプチヒとライプチヒ→ベルリンでは所要時間が違うのか?上記1と5の比較ではそう見える。
- ②上記1と6の比較から出発日がわずか8日違いで同じ列車の所要時間が5分ずれている。(上記1と6)
- ③上記8および9からライプチヒ→ドレスデンは2時間15分と読めるが、上記2と3の合計値よりも1時間早い。優等列車か。
- ④上記10と11から、ベルリン-ドレスデンは下りのほうが所要時間が短いと読める。
- ⑤13番のミュンヘン発ベルリン行きの所用時間28時間は異常値かもしれない。出発が朝7時30分と書かれているが夜7時30分の誤りかもしれない。同14番と比較するとよくわかる。
- ⑥12~15、18、19は夜行だ。
ブラームスの壮年期真っ只中の本当に貴重な情報だ。
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