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2014年3月17日 (月)

演習場と鉄道

「独逸日記」によれば1885年8月から9月にかけて、森鴎外はザクセン陸軍の演習に同行している。記事「ムルデの東」では、そこに現れる地名に言及した。

先ごろ買い求めた「EISENBAHN」ATLAS」で、その一帯を調べてみた。演習地になった一帯に鉄道跡を示す線が克明に描かれていた。そこには今は無き路線とともに駅名も添えられている。

  1. Trebsen
  2. Nerchau
  3. Gornevitz
  4. Denkvitz
  5. Cannevitz
  6. Wagelvitz
  7. Mutzschen
  8. Grimma

この8つの駅名は、演習参加中の鴎外が日記に記した地名と一致する。先般「ムルデの東」を書いたときには道路地図だけを参照していたから、地名は探し当てていたが、昔そこに鉄道が敷かれていたとは気づかなかった。

問題は、鴎外が演習に参加した当時、鉄道が運営されていたかどうかだ。鴎外は演習に参加するために、ドレスデンからライプチヒ方面行きの列車に乗り、Machernという駅で降り、そこから軍差し回しの馬車でTrebsen(上記1)に入っている。翌日またまた馬車でNerchau(上記2)に移動している。当時もし地図記載通りに鉄道があれば、ここNerchauまで列車で来ることも出来たはずだ。当時は鉄道が敷かれていなかった可能性が高い。

また上記3のGornevitzから上記7のMutzschenまでは、別の鉄道が東西に敷かれている。陸軍の演習に加わってこのあたり一帯を縦横無尽に走り回っていたハズの鴎外が、この鉄道線に一言も言及しないのは不自然だ。線路が敷かれていなかったと考えるのが自然だと思う。

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