鴎外の迂回
明治時代、日本からドイツへの渡航者はマルセイユ経由だ。だからベルリンへの降り立ちはアンハルター駅に決まってくる。森鴎外もてっきりそうだと思っていたが、どうやら彼の足取りは少し違う。マルイセユに着いた8人の留学生のうち7人は、翌日にシュトラスブルク→カールスルーエ→ヴュルツブルク→ベルリンアンハルターというルートで、一目散にベルリンを目指した。
ただ一人鴎外は別行程をたどった。マルセイユからパリに行き、そこで一泊して、翌日夜パリを離れて、ケルンを経由してベルリンに向かった。もしそうなるとベルリンの第一歩はアンハルターではない可能性もある。
なぜ一人で別行動だったかは不明。パリでは演劇を鑑賞している。ケルンに入ると聞慣れ親しんだドイツ語が聞こえてきたと喜んでいる。
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