いざ鎌倉の訂正
2009年3月4日の記事「いざ鎌倉」で、シューマンの投身の報を受けたブラームスが、デュッセルドルフに着いた日を3月3日か4日と書いた。おそらく投身の翌日2月28日にハノーファーで知らせを受けたブラームスが、取るものとりあえず駆けつけたのだ。
ベッカーという人の日記によればブラームスの到着が3日とされているらしいが、近年の研究ではこれが2日だとも言われている。この点、クララの日記はあてにならないらしい。投身の時クララは眠っていたらしいのだ。フェリックスを身ごもっていたこともあって休養を取っていたという。身体に障るということで、事件の全貌は3月10日まで伏せられていたということだ。だから親しい第三者の日記が貴重な資料となっている。いずれにしろ4日というのは誤りである可能性が高い。
もし2日とするなら、その年1854年はうるう年ではないから、2月28日に知らせを聞いたブラームスの到着としては、やたらに早いのだ。ハノーファーとデュッセルドルフは大雑把に言って295kmの距離だ。まさにヨハネス・ブラームスの「いざ鎌倉」だが、馬にのって駆けつけたのではない。もちろん正解は鉄道だ。当時の幹線を辿れば経由地はおそらく下記の通り。
- ハノーファー
- ミンデン
- ハム
- ドルトムント
- ハーゲン
- ヴッパータール
- デュッセルドルフ
東京大阪間の半分強。新幹線なら90分だが、当時は半日がかりだろう。28日に知らせを聞き、1日に準備して2日にハノーファーを発ち、その日のうちにデュッセルドルフに着いたと考えられる。
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