ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« ハノーファーの位置 | トップページ | 馬車の行く先 »

2014年3月 3日 (月)

いざ鎌倉の訂正

2009年3月4日の記事「いざ鎌倉」で、シューマンの投身の報を受けたブラームスが、デュッセルドルフに着いた日を3月3日か4日と書いた。おそらく投身の翌日2月28日にハノーファーで知らせを受けたブラームスが、取るものとりあえず駆けつけたのだ。

ベッカーという人の日記によればブラームスの到着が3日とされているらしいが、近年の研究ではこれが2日だとも言われている。この点、クララの日記はあてにならないらしい。投身の時クララは眠っていたらしいのだ。フェリックスを身ごもっていたこともあって休養を取っていたという。身体に障るということで、事件の全貌は3月10日まで伏せられていたということだ。だから親しい第三者の日記が貴重な資料となっている。いずれにしろ4日というのは誤りである可能性が高い。

もし2日とするなら、その年1854年はうるう年ではないから、2月28日に知らせを聞いたブラームスの到着としては、やたらに早いのだ。ハノーファーとデュッセルドルフは大雑把に言って295kmの距離だ。まさにヨハネス・ブラームスの「いざ鎌倉」だが、馬にのって駆けつけたのではない。もちろん正解は鉄道だ。当時の幹線を辿れば経由地はおそらく下記の通り。

  1. ハノーファー
  2. ミンデン
  3. ハム
  4. ドルトムント
  5. ハーゲン
  6. ヴッパータール
  7. デュッセルドルフ

東京大阪間の半分強。新幹線なら90分だが、当時は半日がかりだろう。28日に知らせを聞き、1日に準備して2日にハノーファーを発ち、その日のうちにデュッセルドルフに着いたと考えられる。

« ハノーファーの位置 | トップページ | 馬車の行く先 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いざ鎌倉の訂正:

« ハノーファーの位置 | トップページ | 馬車の行く先 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ