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2014年4月30日 (水)

さようなら蒸気機関車

1969年の夏、小学校4年だった私の夏休みの自由研究のタイトルだ。

父の仕事の関係で1966年9月に千葉に転居した。当時まだ蒸気機関車が走っていた。機種はD51、C57、C58、8620型の4種類だ。東京では姿を消していた蒸気機関車が何と社宅の窓から毎日見放題で、心の底から嬉しかった。

ところが、その蒸気機関車が1969年10月に姿を消すことがわかった。国鉄は千葉県の「無煙化」が実現すると胸を張った。「えーっ」とばかりに勢いで自由研究のテーマに選んだ。千葉鉄道管理局まで父と2人で取材に出かけた。2週間くらいかかって日本の鉄道史めいたレポートを仕上げ、千葉県の鉄道の歴史を記述した。模造紙に年表も書いた。市主催の秋の作品展で「特選」を受賞した。学年で2人だけの栄誉。全校生徒の前で表彰された。

今から45年前の自由研究のテーマを覚えているというのも凄い。私の鉄道好きは当時から変わっていない。父のアシストも凄かった。資料の収集から選び方まで、唖然とするようなのめりこみ方だった。ブログの鉄道特集は父のDNAの仕業だ。

鉄道特集の中「蒸気機関車」ネタを連発してきたがこれで一区切り。

37代引退公演・第21回スペシャルコンサートまであと11日。→こちら

2014年4月29日 (火)

ミカド

蒸気機関車の車軸配置の話。一般にフランス式とアメリカ式と日本式がある。このうち「先輪1動輪4従輪1」の配置を、アメリカでは「MIKADO」と称した。戦前、日本向けに初めて輸出した機関車の配置に由来する。「MIKADO」は「帝」で、「天皇」のこと。天皇の国への輸出を記念してということだ。

機関車トーマスに登場する仲間に「ヒロ」がいる。物語中ヒロは「伝説の英雄」という設定になっているから、「ヒーロー」からの連想かと無邪気に合点していたが、ヒロの車軸配置が日本式に「1D1」だというのが気にかかる。アメリカ式に申せばこれは「MIKADO」である。車軸配置のほか、ヒロのボディーが黒一色で、先端に除煙板があることや、側面に「51」と書かれていることから、ヒロは「D51」を連想させる。

まさかと思うことがある。「ヒロ」は「ヒーロー」ではなくて、恐れ多くも昭和天皇のお名前「裕仁」(ひろひと)から来ているのではあるまいか。車軸配置が「みかど」でもあるし。ブラームスには関係がないのだけれど。

今日は、昭和天皇のお誕生日だ。

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2014年4月28日 (月)

謝肉祭

ドヴォルザークの作品番号92を背負う序曲。「自然と人生と愛」と命名された序曲三部作の一角を為す。アメリカに渡る直前1891年にヴィソカーの別荘で成立したと目され、プラハ大学への名誉博士号の返礼とされた。

何よりも次女たちのオーケストラの後輩37代がコンクールに取り上げたというだけで、特別な位置づけになっている。一年間をかけて磨き上げた最愛の一品である。コンクール、オーケストラフェスタ、欧州公演という具合に完成度を高めてきた。

そして鉄道特集の真っ只中で、本日このことに言及するには訳がある。1892年4月28日、序曲「謝肉祭」は作曲者自身の指揮によりプラハで初演された。スペシャルコンサートまでおよそ2週間のこの時期に作品の記念日があるというのがありがたい。律儀に言及しておくことで、ドヴォルザークのご加護を特盛で当てにする次第である。

Believe teacher,Believe friends and Believe music!

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2014年4月27日 (日)

鉄道と自動車

陸上を人が移動する際の二大選択肢だ。ここでその優劣好悪を論ずる意図は無い。私はどちらも好きだ。鉄道の起源こそ英国に譲るドイツだが、自動車の起源はドイツにある。しかもそれはブラームス存命の時代だ。だから鉄道特集に対抗して自動車特集ができるかというと、そう単純ではない。

ブラームスの伝記を丹念にあたっても、ブラームスが自動車に乗った形跡が無い。鉄道との関与は多彩なのに比べさびしいと言わざるを得ない。百歩譲って「ブラームスは自動車を知っていたか」という命題についても、まだ確信が持てない。だから「自動車特集」は諦めている。航空機も事情は同じだ。乗り物切り口で見ると鉄道の発展がブラームスの生涯と驚くほど重なっているのは、大変なことなのだ。

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2014年4月26日 (土)

みんなSLが好き

日本でも欧州でも人々は蒸気機関車が好きなのだと実感する。ドイツには現在でも、あんなに多くの路線で蒸気機関車を運行している。ドイツの周辺国でも同様な傾向が見て取れる。

ブラームスの生きた時代は、鉄道といえば蒸気機関車だから、特段の愛情が蒸気機関車に注がれたわけではない。けれども人々はその後の電気機関車やディーゼル機関車あるいは電車の台頭を経て、蒸気機関車に愛情を注ぐようになった。

現代の蒸気機関車の運行状況を一覧化しようと欲したのは、それらのどれかにブラームスが乗車した可能性を追求したかったからだが、やっているうちに考えが変った。現在蒸気機関車が運行されている路線は、全て幹線ではないと思っていい。一方ブラームスの鉄道利用は、演奏会が開かれるような街と街の間の移動だ。そういう路線は今では幹線になっていて、蒸気機関車の運行を止めている。その切り口は早々にあきらめたのだが、やっていて面白いので手が離せなくなった。

本日のこの記事が鉄道特集開始から100本目の記事。

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2014年4月25日 (金)

蒸気機関車運行総覧国外編

昨日、現代ドイツ国内での蒸気機関車の運行路線を一覧化した。本日はドイツの道路地図の端に現れるドイツ国外の蒸気機関車運行路線を集めてみた。

<デンマーク>

  1. マリボ-ランドホルム 8km
  2. ダルモース-スケルスコール 10km
  3. コリント-ファーボルク 10km

<ポーランド>

  1. ポゴルツェリカ-グリフィス 25km

<チェコ>

  1. チェスカカメニツェ-カメニカセノフ 3km
  2. クルパ-コレソヴィツェ 6km
  3. ツェラコヴィチェ-モコフ 2km

<オーストリア>

  1. グロースゲルンクス-アイスゲルン 50km
  2. アルトナゲルベルク-ハイデンライヒシュタイン 20km
  3. ピヒリンク-マルクトザンクトフローリアン 2km
  4. ヴァイトホフェン-キーンベルク・ゲミンク 60km
  5. アイゼネルツ-フォルデルンベルク・マルクト 16km。
  6. ティメルカム-アムプフルヴァンク 14km。
  7. ツェル-クリンムル 44km。
  8. アーヒェンゼー船着場-ラムズベルク 22km
  9. ベルスブーフ-ベザウ 5km

<スイス>

  1. ザンクトマルグレーテン-ゲチス 10km
  2. バウマ-ヒンヴィル 5km

<フランス>

  1. セルネイ-セントハイム 7km
  2. ホンブルク-ヴィギー 5km

<ベルギー>

  1. ドシャン-エレゼー 7km
  2. チネイ-終着図外
  3. ケルクラーデ-ジンペルフェルト 4km
  4. ワーテルシャイ-アイスデン 10km

<オランダ>

  1. ベケロ-ハアクスベルゲン 5km
  2. ディーレン-アペルドルン 10km
  3. フェーンダム-ムッセル運河ワルターモンド 20km
  4. ホールン-メデンブリク 8km

以上。ドイツの地図の余白に見える蒸気機関車運行路線の一覧だ。ルクセンブルクは全土が収められているが蒸気機関車が走る路線はない。

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2014年4月24日 (木)

独逸国蒸気機関車運行総覧

蒸気機関車に愛着を感じる人はドイツでも多いと見える。私の所有するドライブマップには、蒸気機関車が運行されている路線には蒸気機関車のアイコンが表示されている。ブラームスの時代には蒸気機関車であることが当たり前だったが、現代ではそれが珍しくて観光資源になっているのだろう。本日はそれらの一覧化を試みる。利便を考えて州毎にまとめることにする。

<ベルリン市>

  1. ベルリン鉄道協会 ニーダーシューンハウゼン⇔バスドルフ 終点のバスドルフはブランデンブルク州。首都ベルリンはこれだけだ。

<ハンブルク市>

なし。残念ながらハンブルク市内を基点とする路線で蒸気機関車の運行はない。

<ブレーメン市>

  1. ブレーマーハーフェン⇔ベデルケーザ温泉 終点はニーダーザクセン州。
  2. フフティング⇔テディングハウゼン。これまた終点はニーダーザクセン州。

<シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州>

  1. ズーダーブラルプ⇔カッペルン。
  2. シェーンベルク⇔シェーンベルクストランド
  3. グレムスミューレン⇔ベンツ。

<メクレンベルク・フォルポムメルン州>

  1. プトブス⇔ゲーレン。リューゲン島にある。1876年夏にブラームスが乗った可能性大。

<ニーダーザクセン州>

  1. ボルクム⇔ボルクムリーデ。北海に浮かぶボルクム島。
  2. ノルデン⇔ドルヌム。東フリースランド海岸鉄道。
  3. シュピケルーク⇔ヴェステンド シュピエケルーク島。これも北海。
  4. ヴェステルシュテッテオコルト⇔ゼデルスベルク。
  5. レムヴェルダー⇔ハルプシュテット。ブレーメンからなら最も近い。
  6. ニーダーマルシャハト⇔ヒュッツェル。ブラームスが少年時代に訪れたヴィンゼンを通る。
  7. ブレケーデ⇔ゾルタウ。リューネブルクを通る。
  8. ゾルタウ⇔ベッケドルフ。
  9. ツェレ⇔ミュンスター。
  10. ツェレ⇔ヴィッティンゲン。
  11. メッペン⇔エッセン。ルールのエッセンではない。
  12. クロッペンブルク⇔フリエゾイテ。
  13. ジーケ⇔アイスルプ。
  14. ヴィルゼン⇔アゼンドルフ。
  15. ヴェルデン⇔シュテムメン。
  16. フォルタクゼン⇔ザルツメンケンドルフ。ハーメルンの東15km。
  17. アルムシュテット⇔ゼーゲステ。
  18. ザルツギッター温泉⇔ベシューム。
  19. デルネブルク⇔ボルヌム。終点はザクセンアンハルト州。
  20. シュタットハーゲン⇔リンテルン。

<ブランデンブルク州>

  1. メッセンドルフ⇔リンデンベルク。他の鉄道と接続がない。
  2. ミュンヘベルク⇔ブッコウ。
  3. フィンシュテルヴェルデ⇔クリニッツ。

<ノルトラインヴェストファーレン州>

  1. ボームテ⇔プロイジッシュオルデンドルフ。珍しくプロイセン地名の残存。
  2. ラーデン⇔ウヒテ。
  3. ミンデン⇔ヒレ。
  4. ミンデン⇔クライネンブレーメン。小さなブレーメンか。
  5. ベージンクフェルト⇔バルントルプ。
  6. ボコルト⇔エゲリンクフック。
  7. イベンビューレン⇔ヘーベルホフ。
  8. ハム⇔リップボルク
  9. レコシュタイン⇔ビューレン。
  10. ヒュルセルベルク⇔ザンクトテニス。クレーフェルト近郊。
  11. ギルラート⇔シエルヴァリテンラート。オランダ国境近く。
  12. ハウスシェッペン⇔クッパードレー。エッセン南郊。
  13. ブルクアルテンドルフ⇔ハーゲン。
  14. ゲベルスベルク⇔エンエペタールアルテンフェルデ。
  15. ヒューイングハウゼン⇔ヴァイシェナヘ。
  16. ディーリンクハウゼン⇔ヴァルトブレル。

<ザクセン・アンハルト州>

  1. ヘットシュテット⇔クロステルマンスフェルト。
  2. ヴェルニゲローデ⇔ブロッケン。ハルツ狭軌鉄道。
<ザクセン州>
  1. ヴァイスヴァッシャー⇔ムスカウ温泉。コットブスの南。
  2. レギスブラティンゲン⇔モイセルヴィッツ。ライプチヒの南。
  3. オシャッツ⇔ケムリッツ。
  4. ラーデボイル東⇔ラーデブルク。
  5. シェーンハイデ⇔シュニーベルク。
  6. クランツアール⇔クロルトオーベルヴィーゼンタール。
  7. シュタインバッハ⇔イェーシュタット。
  8. フライタールハインスベルク⇔クロルトキプスドルフ。
  9. ツィッタウ⇔クロルトヨンスドルフ。
  10. ツィッタウ⇔オイビン。

<ヘッセン州>

  1. ウィルヘルムスヘーエ⇔ナウムブルク。
  2. ヴィースバーデン⇔ホーエンシュタイン。
  3. ナウハウム温泉⇔ガルゲンベルク。
  4. ベヒテルスバッハ⇔オルプ温泉。
  5. ダルムシュタット⇔ベッスンゲルフォルシュトハウス。

<ラインラントプファルツ州>

  1. リンツ⇔カレンボルン。ライン川東岸ボン近郊。
  2. ブロール⇔エンゲルン。ライン川西岸。
  3. ノイシュタット⇔エルムシュタイン。
  4. ゲロルシュタイン⇔ウルメン。

<テューリンゲン州>

  1. テーマル⇔エルゲルスブルク

<ザールラント州>

  1. メルツィヒ⇔デルボルナーミューレ。
  2. ノーフェルデン⇔ヘルメスカイ。
  3. オトヴァイラー⇔フライセンクーゼル。

<バーデンヴュルテンベルク州>

  1. デルツバッハ⇔クラウトハイム。
  2. コルンタール⇔ヴァイシャッハ
  3. アムシュテッテン⇔オッピンゲン。
  4. アムシュテッテン⇔ゲルシュテッテン。
  5. エトリンゲンシュタット⇔ヘレナルプ温泉。
  6. ラシュタット⇔エトリンゲン西。
  7. ラシュタット⇔バイエルスブロン。
  8. ネレスハイム⇔ディッシンゲン。
  9. カイゼルシュテュール⇔イーリンゲン。
  10. ヴァルトハウゼン⇔オヒハウゼン。
  11. ハルティンゲン⇔カンデルン。バーゼル近郊。
  12. ステューリンゲン⇔ブルムベルク。
  13. アヘルン⇔オッテンヘーフェン。

<バイエルン州>

  1. メルリヒシュタット⇔フラデュンンゲン。
  2. ノルトハルベン⇔シュタインヴィーセン。
  3. ジーリゲンシュタット⇔フォルカッハ・アストハイム。
  4. エーベルマンスタット⇔ベーリンゲルスミューレ。
  5. ネルトリンゲン⇔グンゼンハウゼン。
  6. ネルトリンゲン⇔ドムビュール。
  7. エッグミュール⇔ラングクワイト
  8. ランズフート⇔アルト。
  9. ゴッテスツェル⇔ヴィータック
  10. パッサウ⇔フライユング。
  11. ゲゼルツハウゼン⇔マルクトヴァルト。
  12. エンドルフ温泉⇔オービング。
  13. キーファースフェルデン⇔ヴァヒトル。

ブラームスとは何の関係もない単なるオタクな一覧表。赤文字は狭軌非電化区間で青文字は狭軌電化区間。

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2014年4月23日 (水)

機関車ヨハネス

ドイツ初の鉄道、ルートヴィヒ鉄道の開業時に投入されたのがアドラー号だった。あまりに有名であちこちで言及される。やはり一番は特別だということだ。2番目以降の機関車たちはなかなか話題にならない。ドイツ版ウィキペディアを引用してそれら機関車を見ておきたい。稼動年とメーカーを付記した。

  1. Der Adler 1835-1857 スティーブンソン製 「鷲」という意味。
  2. Der Pfeil 1836-1852 スティーブンソン製 「矢」という意味。
  3. Nurnberg-Fruth 1852-1889 ヘンシェル製 起点と終点の都市名。
  4. Phoenix 1853-1889 マッファイ製 「不死鳥」
  5. AdlerⅡ 1857-1889 マッファイ製 退役した1世の後継なのだが国産になった。
  6. Johannes Scharrer 1865-1887 ヘンシェル製 
  7. Faust 1872-1881 マッファイ製 ゲーテの代表作から。
  8. Henlein 1873-1880 マッファイ製 16世紀ニュルンベルクの鍵屋ペーター・ヘンラインのことと思われる。世界初の腕時計の考案者とされている。
  9. Wallenstein 1875-1885 ケッセラー製 30年戦争の英雄。
  10. Bavaria 1879-1923 マッファイ製 「バイエルン」のラテン語形。
  11. Pegnitz 1880-1923 マッファイ製 ニュルンベルクを流れる川の名。
  12. Franconia 1881-1923 マッファイ製 「フランケン」のラテン語形。
  13. Daniel Ley 1886-1923 マッファイ製 人名。フュルトの企業家、政治家、ルートヴィヒ鉄道の経営者。
  14. Johannes ScharrerⅡ 1887-1923 マッファイ製 先代の後継だがメーカー変更。
  15. Nurnberg-FruthⅡ 1889-1923 マッファイ製 先代の後継だがメーカー変更。
  16. Germania 1906-1923 マッファイ製 「ドイツ」のラテン語形。
  17. Ludwig 1906-1923 マッファイ製 ルートヴィヒ鉄道ですから当然。

上記6と14に「ヨハネス」がいる。機関車トーマスの仲間にいそうだ。この人ニュルンベルクの実業家で、ルートヴィヒ鉄道の創設に功績のあった人物だ。

見ての通りドイツ初の蒸気機関車「アドラー号」は1857年に引退しているから、ブラームスはその姿を見ていない。

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2014年4月22日 (火)

望み薄

蒸気機関車を調べる目的の一つは、ブラームスが見た機関車の特定だった。意気込んではみたもののこれといった情報が無い。20世紀以降の機関車については、かなり細かいことがわかるのだが、19世紀の情報が薄い。

ましてやドヴォルザークはお手上げだ。自宅近くのプラハ中央駅に頻繁に足を運び、出入りする機関車の形式を暗記してしまったエピソードがしばしば語られるのだが、当時のハプスブルク王国内の機関車については、ドイツよりももっと難しい。

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2014年4月21日 (月)

宇佐のクラウス

大分県の宇佐神宮は、霊験あらたかな大社。駐車場から本殿まで長く歩くことになるが、それがまたありがたみを深めてくれる。歴史好きにはたまらない聖地である。

ところが、駐車場から参道へと歩き始めると小さな蒸気機関車が展示されている。かつて豊後高田駅から参拝客を運ぶ鉄道で働いていたという。説明を聞いて驚いた。ドイツクラウス社製造だった。クラウス社と言えばバイエルンを代表するメーカーだ。しかも製造されたのが1891年と言えばブラームスは存命中だ。1894年に輸入されて九州鉄道で稼動していたが、1948年から宇佐参宮線に転属となり、1965年まで現役だったらしい。今や日本に数台だけという貴重さだ。軌道幅は1067mmだからクラウス社にとっては輸出用だったはず。

こちらにお賽銭をあげたい気分になった。

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2014021518580000

2014年4月20日 (日)

もう一人のワーグナー

断り無くワーグナーと言えば、作曲家のリヒャルト・ワーグナーを思い浮かべる人が多いだろう。ところが蒸気機関車の業界にとっては、別のワーグナーがいる。

リヒャルト・フェリクス・パウル・ワーグナー(1882-1853)はドイツの鉄道技術者。とりわけ蒸気機関車の技術面では追随を許さぬ存在。1923年から19年間、鉄道局蒸気機関車部門の長の座にあった。技術面での功績は数知れない。

蒸気機関車の先頭を思い浮かべて欲しい。ボイラーの先端、煙突のあるあたりの両端に、板が立っている。除煙板という部品で、機関車先頭付近の気流を制御することで、煙の流れを整え、運転席前方の視界を確保する機能がある。これを考案したのがワーグナーその人で、ワーグナー式除煙板として知られている。日本の蒸気機関l車にも普通に取り付けられている。

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2014年4月19日 (土)

マイニンゲン蒸気機関車工場

ドイツ語で「Dampflokwerke Meiningen」と綴る。「蒸気機関車工場」などというと蒸気機関車がせっせと生産されているかの印象だが、現在ではもっぱら保守に徹している。ドイツでは蒸気機関車が営業運転に投じられることはなくなったが、観光運転においては日本とは比べ物にならないくらいの数が就航中だ。バカにならない数の蒸気機関車の保守を一手に引き受けている工場だ。その技術水準は今や欧州随一という域にあって、ドイツ国外からも機関車が持ちこまれるという。

マイニンゲンといえば、ブラームス愛好家にはたまらない場所だ。同地の領主マイニンゲン侯の覚えめでたいブラームスもしばしば滞在した。ここの宮廷オケはビューローの薫陶を受けて当時欧州一の水準にあった。第4交響曲の初演を任されたことでも名高い。

本日話題の蒸気機関車工場の創設は1863年に遡る。マイニンゲン駅に隣接して建てられた部品センターがその起源らしい。ブラームスが列車でマイニンゲンにやってくれば嫌でも目に止まったと思われる。

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2014年4月18日 (金)

推定シェア

ブラームスを乗せて走った機関車を知りたいと調べていて見つけた。ミネルヴァ書房刊「近代ヨーロッパの探究」の14巻「鉄道」にうってつけの記事があった。1850年時点での蒸気機関車メーカーの一覧。初の製造から1850年までの製造総数と、主な納品先が書かれている。

  1. ボルジッヒ(ベルリン)51%。プロイセンの各鉄道。
  2. ケスラー(カールスルーエ)24%。バーデン、バイエルンなど。
  3. マッファイ(ミュンヘン)10%。バイエルン、ヴュルテンベルクなど。
  4. エスリンゲン(エスリンゲン)5%。ヴュルテンベルクだけ。
  5. ハルトマン(ケムニッツ)4%。ザクセン。
  6. エゲストルフ(リンデン)4%。ハノーファー、ブラウンシュヴァイク。
  7. ヘンシェル(カッセル)2%。北部鉄道など。
  8. ヴェーレルト(ベルリン)1%。プロイセン東部鉄道。

1850年の段階ではブラームスの行動範囲はハンブルク近郊に限定されていたから、ブラームスが普通に見ていた機関車はボリジヒかヘンシェルだと推定できる。レーメニとの演奏旅行では、上記2社のほかに、ハルトマンとエゲストルフが加わったものと考えられる。ドイツの蒸気機関車の2両に1両はボルジヒだったが、各領邦ごとに見ると偏在が認められる。

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2014年4月17日 (木)

ヘンシェル・ヴェークマン・ツーク

空飛ぶハンブルク人号が、ベルリン-ハンブルク間を結んでいたちょうど同じ頃、ベルリンとドレスデンの間を走っていたのが「ヘンシェル・ヴェークマン・ツーク」だった。機関車がヘンシェル社製で、客車がヴェークマン社製だったことに由来する呼び名だ。

ヘンシェル社製造の機関車は当時流行の流線型だが、売り出し中のデイーゼルではなく、蒸気機関車だった。当時の技術の粋を集めた最先端の流線型蒸気機関車だ。営業開始は1936年。ベルリン-ドレスデン間ノンストップで、所要時間1時間40分。最高速度160kmで「空飛ぶハンブルク人」号に劣っていない。微妙に経路が違う現代のICの所要時間が2時間20分であることを考えると、どれだけ速いか想像できる。

当時のドイツ、鉄道技術では世界最高だった。

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2014年4月16日 (水)

ボルジッヒ

「Borsig」と綴る。ドイツ最大の機関車メーカーだ。創業者はAugst Borsig(1804-1854)というブレスラウ生まれの技術者。1837年生まれたばかりの鉄道の将来性に目をつけたボルジッヒは、ベルリンに工場を建設した。1840年に完成した1号機関車は、ドイツ初の国産機関車にはなれなかったが、同年7月21日に転機が訪れる。

ベルリン-ユーターボック間85kmで、英国スティーブンソン社製の機関車とコンペを行い、10分差で勝ったことにより、急速に販売を伸ばす。第一号から14年後の1854年には500号機を完成させプロイセンでの圧倒的シェアを獲得した。1954年に蒸気機関車の製造を終えるまで、1万数千両の機関車を製造したという。

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2014年4月15日 (火)

遠距離恋愛

ブラームスがゲッティンゲンでアガーテと知り合ったのが1858年7月頃とされている。破局が1859年春だから、1年も経過していない。

当時ブラームスは9月から12月までデトモルトの宮廷で働いていた。だからアガーテと出合って遅くとも2ヶ月後にはデトモルトに戻らねばならなかった。デトモルトとゲッティンゲンの距離は、直線距離ならおよそ110kmだ。

当時の鉄道事情を加味すると意外なことがわかる。ブラームスの勤務地デトモルトには鉄道が通じていなかった。鉄道を最大限活用するならカッセルを経由してアルテンベッケンあたりから馬車が考えられるが、相当遠回りだ。かれこれ1日がかりだろう。破局の原因とまでは断言出来ないけれど。

37代引退公演・第21回スペシャルコンサートまであと26日。→こちら

2014年4月14日 (月)

伝記鉄道学

私の造語。「電気鉄道」の洒落ではない。

鉄道が大いに普及した19世紀後半に活躍した偉人たちの伝記に現れる鉄道の痕跡を深く探りたいという思いを大袈裟に表現した。一般に伝記の執筆者は、その道の権威だ。対象の人物研究の専門家が書く。それはそれでとても貴重なのだが、必ずしも鉄道マニアとは限らない。主人公と鉄道の関係など描写されないのが普通だ。

ところが、伝記に記述があろうとなかろうと、当時の鉄道情勢が理解出来てくると、主人公の行動がたちまち立体的になる。10日11日12日の記事がその代表だ。

  1. 主人公の旅 鉄道の利用無しには絶対に成立しない旅程になっている。
  2. 都市訪問 訪問順序が駅の配置の通りになっている。
  3. 避暑地選び 鉄道開通により便利になった避暑地を選択している。
  4. 演奏会 会場選びが駅の順序通り。

どれもこれも状況証拠ばかりで直接の裏付けに乏しい場合も多いが、こうした現象は1度や2度ではない。ブラームスの略年表に、ドイツ鉄道史のエポックをプロットしてみると納得させられることが多い。日に日に路線が延びていった19世紀後半のドイツは、まさにうってつけだ。この先、ブログ内で言及させていただく。

37代引退公演・第21回スペシャルコンサートまであと27日。→こちら

2014年4月13日 (日)

演奏会のお誘い

次女たちの後輩37代の引退までいよいよ秒読み。先般の記事「コーヒー断ち」において、欧州公演の内容については詳しい言及を避けたが、本当に凄い子達なんです。彼女らの引退公演に是非とも足をお運びいただきたく演奏会のご案内。

<県立千葉女子高等学校オーケストラ部 第21回スペシャルコンサート>

  1. 日時 2014年5月11日(日)14時30分開場 15時開演
  2. 場所 習志野文化ホール JR津田沼駅前
  3. 入場料 800円全席自由
  4. 曲目 ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」/交響曲第8番 他

ドイツ・ニュルンベルクでは2300人以上の聴衆を集め、終演後手厚いスタンディングオベージョンをいただいた。私が大袈裟に伝えているのではないかとお疑いの諸賢には、何卒実演をお聞きいただきたく、謹んでご案内申し上げます。

スペシャルコンサートまであと28日。

2014年4月12日 (土)

シュヴァルツヴァルト紀行

1854年夏、6月にフェリクスを出産したクララは、ベルギーのオステンデに静養に出かけた。シューマンの投身以来、ずっとデュッセルドルフで献身を続けていたブラームスは、その間にシュヴァルツヴァルト地方への旅行を企てる。

まずは友人のグリムと連れ立って、ケルンに出る。デュッセルドルフからは20kmほどなので歩いたかもしれない。ケルンからライン川を船で遡ってマインツに出る。そこでグリムと別れてさらにライン川沿いを南下。おそらくマンハイム経由でハイデルベルクに着いたのが8月12日土曜日だった。マインツからハイデルベルクまでの交通機関は不明。おそらく船か鉄道だろう。

当地のハイデルベルク大学は、ロベルト・シューマンも籍を置いていたことがある。シューマンが当時下宿した家を訪ねたが、日曜日で雨戸がしまっていたとクララに手紙で報告しているから、それはおそらく13日。13日の昼にはハイデルベルクを出発したという。次の目的地ハイルブロンまで、およそ70kmの道のりを歩いた。ネッカー川沿いの景勝コースだから、21歳のブラームスは楽々と1日半で歩いた模様。15日の夜にはエスリンゲンからクララに手紙を書いたからだ。ハイルブロンには14日中に着いたと思われる。15日には天気が崩れたらしい。おそらく悪天候のせいで、ブラームスは徒歩を諦めて列車に乗り、80km南のエスリンゲンに15日中に入った。途中にはシュトゥットガルトがあるけれど、先を急いだ感じがする。

ハイデルベルクとハイルブロンの間は、曲がりくねるネッカー渓谷沿いに古城が点々と存在する。ツバメの巣城やホルンベルク城の素晴らしさをクララに書き送っている。

さてエスリンゲンで宿泊したブラームスの目的は、そこから山中に入る鉄道だろう。現在でも人気の路線で、シュヴァルツヴァルトを突き抜けてドナウ沿岸のウルムに至る。ブラームスはそこからさらに南下を続けて、本物のアルプスに行く予定だったが、どうにもクララが気になって、ウルムから引き返す。

8月19日にはボン近郊のエンデニヒにシューマンを見舞っている。帰りがけに立ち寄ったのだ。そして21日にはデュッセルドルフからクララに手紙を書いている。

2014年4月11日 (金)

初演行脚

ブラームス最初の大規模管弦楽曲は、ピアノ協奏曲第1番だ。1859年に初演された。

  1. 1月22日 ハノーファー
  2. 1月27日 ライプチヒ

両都市の距離は、268kmだ。中4日で演奏会が行われたという事実そのものが鉄道の貢献を雄弁に物語っている。ベルリンーハンブルク間はこれより少し長い285km。通常の馬車便で丸5日かかっている。実質の走行時間は90時間だ。鉄道出現直前の急行馬車でも丸2日かかった。馬車移動を前提とする限り、ハノーファー、ライプチヒの演奏会を中4日でこなすのは無理だ。

1859年の段階でその両都市はマグデブルク、ハレを経由して鉄道での行き来が可能だった。もちろん幹線だ。たとえば演奏会の翌日23日の朝にハノーファーを発てば、同日中にライプチヒ入りできる。万が一演奏会の打ち上げで飲み過ぎて出発が一日遅れても、24日までにライプチヒ入りが可能だ。これで25日と26日をリハーサルにあてることが出来る。

堂々の鉄道ネタ。

2014年4月10日 (木)

全曲初演

ドイツレクイエムの初演といえば1868年4月10日ブレーメンとされている。ところがこのときはソプラノ独唱を伴う第5曲が省かれていた。第5曲を含む完全版の初演は1869年2月18日ライプチヒを待たねばならない。この周辺の演奏会の開催を調べていて興味深い鉄道ネタにたどり着いた。

2月18日のレクイエム、演奏はライネッケ指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団だ。この演奏会にブラームスが立ち会っていたと仮定する。伝記を丹念に読むと翌々日の2月20日には、ウィーンでシュトックハウゼンのリサイタルが開かれていることがわかる。ブラームスはピアノ伴奏者だ。レクイエムの演奏に立ち会ったブラームスが、中1日でウィーンのリサイタルに出演するとなると、ライプチヒ-ウィーン間588kmの移動は絶対に鉄道利用でなければならない。

ベルリン-ハンブルク間285kmが急行馬車で丸2日かかっていたことを考えると、ライプチヒ-ウィーン間は4日かかる計算だ。

鴎外の「独逸日記」に現れる主要都市間の所要時間によれば、ライプチヒ-ウィーンは、おそらくドレスデン、プラハ経由で14時間になる。14時間列車に揺られるのは、現代の感覚からは辛い部類に属するが、中1日で移動が完了する。

2014年4月 9日 (水)

世界を変えた50の鉄道

ご機嫌な書物のタイトル。パラパラとページをめくって即買いだった。19世紀以降の世界史が鉄道の路線を切り口に語られる。鉄道史と世界史の接点をオタクにズームしてくれる。コラムや写真が充実していて飽きない。単一の路線の話題に終始することもなく、必要に応じてほかの路線の話に脱線するから、言及される路線の数は50に留まらない。

著者は英国人だ。50のうち14が英国の路線になっているけれど、産業革命を牽引した英国であるから、偏重の印象にはならない。気になる日本は1964年の新幹線開業だけが採用されている。1872年の新橋横浜間開通など、スルーされている。世界史的に見ればこんなものかとかえって納得した。

複数の国を跨ぐ路線がドイツを通過しているケースや、他の路線の話題の途中で引用されるケースを除くとドイツの路線はわずか2回しか取り上げられていない。ニュルンベルク-フュルト間のドイツ初の鉄道と、ベルリンーハンブルク鉄道を走った「空飛ぶハンブルク人号」の2回。オーストリアは世界遺産ゼメリンク鉄道だ。私が入れ込んでいるドイツ鉄道の世界史的な位置が確認できる。

2014年4月 8日 (火)

コーヒー断ち

次女たちの後輩が欧州公演から帰国した。とっくに帰国しているのだが、何せ今回は自分が同行していないので、前回のような記事ラッシュにはならないけれど、大きなトラブルも無くみんなが無事に帰国できた。

出発の4日前盛大な卒部式を企画して、次女たち36代を送り出してくれた後輩たちの心意気に感謝して、私は彼女らの出発の日から「無事の帰国」と「演奏会の成功」を祈ってずっと大好きなコーヒーを断っていた。2007年に長男が4週間の英国研修に出かけたときは、その間ブラームス作品を一切聴かないという「ブラームス断ち」を敢行した。今回もと思ったが、最近はブラームスを聞かない日もあるので、神様に差し出す「不自由」という意味では物足りない。そこで考えたのが「コーヒー断ち」だった。平日は一日3杯くらいは飲むコーヒーだが、これを断つことで縁起を担いだ。本当はビールを断つのがよいのだが、前回の「ブラームス断ち」で、ひょんなことから破綻した経験もあり、守れなかったら不吉なのでコーヒーにした。

帰国後最初の土曜日5日に学校を訪れた際、音楽準備室で飲んだコーヒーの味は格別だった。周囲の生徒たちの土産話を聞きながらおよそ12日ぶりのコーヒーだった。

想像を絶するスイス人ドイツ人の反応だったとだけ書いておく。

2014年4月 7日 (月)

楽しい一致

ドイツとオーストリアにおける急行列車の起源について言及した。オーストリアの急行列車の運転開始日をあれこれ調べているうちにワクワクするような情報にたどり着いた。まずはオーストリアの急行列車の運行開始時期について古いもの3つを以下に列挙する。

  1. 1857年 ウイーン→トリエステ
  2. 1861年 ウィーン→ブダペスト
  3. 1862年 ウィーン→プラハ→ドレスデン

3つ目は、ドレスデンを経てベルリンに抜け、やがてはハンブルクに繋がっている。ハンブルクから見ればウィーンが時間的に少し身近になったということだ。

その運転開始年を知って驚いた。1862年と言えばこの年の9月にブラームスはハンブルクを発ってウィーンに進出している。どんな伝記でも必ず言及されるエポックだ。恐らくブラームスは、ハンブルク-ベルリン-ドレスデン-プラハ-ウィーンという具合に列車に乗ったに決まっているのだが、運行が始まったばかりの急行に乗った可能性が浮上する。ウィーンへの進出は、知人に強く勧められてとういことなのだが、ドレスデン-ウィーン間の急行列車の運行開始に影響されてはせぬかという楽しい妄想が膨らむ。

2014年4月 6日 (日)

鉄道員

昔こういうタイトルのフランス映画があった。音楽がキレイだったのでよく覚えている。鉄道員という言葉の響きが物憂げな訳あり感を醸しだすのに一役買っている。「鉄道員」とは、運転士、車掌、駅長、駅員、保線工あたりを総称しているような感じがする。社長や総裁は含めにくい雰囲気だ。助役あたりまでが限界と見た。語感からの直感だけで申せば女性を想定しにくい。

音楽之友社刊行の「ブラームスの実像」に、1897年4月6日に挙行されたブラームスの盛大な葬儀の様子が詳しく書いてある。葬儀当日に自宅に送られた膨大な数の花環の贈り主が列挙されていて貴重なのだが、その中に興味深い記述があった。

「オーストリア鉄道員合唱団」

思わず唸った。いったいどういう団体だろう。素直に読めば運転士、車掌、駅長、駅員、保線工の人々が仕事の合間に合唱をするサークル、たくましい男声合唱を想像する。葬儀に花環を贈るのだから一方ならぬ関係に決まっている。ブラームスの作品を演奏会で取り上げたのだろうか。あるいはメンバーの中にブラームスの知人がいたのだろうか。もしかするとブラームスが指導を買って出ていたかもしれない。

2014年4月 5日 (土)

鉄道楽団

1830年に最初の開通を見て以来、鉄道は経済界、産業界のリーダーであり続けた。バカにならない建設費がかかるのだが、一旦完成してしまえば儲かることに人々はすぐに気づいた。富と人材が鉄道会社に集まると、彼らには社会や地域のリーダーという自覚が生まれ、利潤を還元しようという気風が主流になる。

多くの従業員の中には音楽愛好家もいて、彼らは会社の後援を得ながら音楽活動を始める。英国の記録で恐縮だが1852年クリスマスにドンカスターで機関手たちがブラスバンドを組織する。こうした動きは英国各地に広がり、各地の鉄道工場に波及する。1860年にはグレートイースタン鉄道でコーラスグループが結成された。

こののちドンカスターの吹奏楽団はオーケストラにまで発展したという。

2014年4月 4日 (金)

ドイツ初のD-zug

記事「急行テンポ」で言及した「D-zug」は、急行列車を指すのだが、元はと言えば急行専用車両のことだ。「Durchgangzug」の略である。この車両を使った最初の急行がどこでいつ走り始めたのか調べた。

1892年5月1日だ。ベルリン-パダーボルン-ケルンを10時間で結んだ。1ヶ月遅れてベルリンとフランクフルトも結ばれた。1892年とは意外に遅いので驚いたのだが、全部の駅に停車しない優等列車ということであれば、さらに遡る。つまり急行専用車両を使用しない「Schnellzug」であれば、その起源は1851年に求めることが出来る。これもまたベルリンケルン線である。

ちなみにオーストリア初の「Schnellzug」はといえば、1857年に運転を開始していた。ウィーンから現イタリアのトリエステに抜ける路線だ。海の無いウィーンにとって、トリエステは貴重な港町であるから、1854年にゼメリンク峠の難所をなんとかクリアしてまで鉄路を通したので、わずか3年後に最初の「Schnellzug」を走らせたという必然とセットになっている。

2014年4月 3日 (木)

後で知った事

2年前の4月3日の朝、ドイツ旅行最後の朝だった。長男と私はまたまた早起きをして、ニュルンベルク駅から地下鉄で9つ目のフュルトに行くことにした。ドイツ最初の鉄道がニュルンベルク-フュルトの間に敷かれたことを知っていたからだ。それで帰路にはDBを利用するという魂胆。行きかえり同じではつまらないからだ。

当時の線路は既に撤去されていると聞いていたのだが、「世界を動かした50の鉄道」という本の中に、ニュルンベルク-フュルト間の途中駅が掲載されていた。ニュルンベルクに近いほうから「エベルホルツホフ」と「ムッゲンホフ」だ。いやはや驚くばかりだ。我々が往路に利用した地下鉄の駅9つの中に「エベルホルツホフ」と「ムッゲンホフ」の両方が存在したのだ。よくよく調べてみると、地下鉄は開業当時のルートヴィヒ鉄道のルートをほぼトレースしていることがわかった。

我々がドイツ最後の朝をフュルト詣でにしたのも、行きに地下鉄を選んだもの偶然なのだが、知らぬ間にルートヴィヒ鉄道の跡を辿ったことになる。

2014年4月 2日 (水)

長男の就職

昨日、長男が社会人として第一歩を踏み出した。昨今就職難もささやかれているが、なんとか就職に成功した。

長男の通った大学は、いわゆる有名大学ではないが、学校に寄せられる情報や就職課の指導を頼りに3年生後半からコツコツと就職活動を続けてきたことが実を結んだ。

親の私の想像の斜め上を行く発想、業種、職種だった。昨年の秋、明らかに目つきが変わり、年明け間もなく内定をもらった。

社名、業種、職種に言及する訳にはまいらぬが、わが子ながら天晴れだ。記念に記事を残すことにした。

2014年4月 1日 (火)

DB Museum

娘たちを追いかけたドイツ旅行は、ホクホク万々歳の内容だったのだが、ニュルンベルクの自由行動が月曜日になったのがずっと気になっていた。

DB Museumドイツ鉄道博物館を見学出来ないのは痛い。博物館の類は月曜休館が多い。ニュルンベルクに3連泊し、おまけにそのホテルが博物館のそばだったというのに、鉄道博物館を見学出来ないとは無念のきわみである。

ところが現地についてから風向きが変わった。娘らが出演する演奏会の直前に、1時間だけホテルに戻った。女性たちのお色直しタイムが設定されることになった。私と長男にお色直しは不要なので、その間を利用して鉄道博物館に突撃した。前日の朝に鉄道博物館までの道を下見して当日迷わないようにした。博物館にいられたのは45分だったが、雰囲気だけは味わうことが出来た。表示がドイツ語で読めないからサクサク見学できた。

あれから今日でちょうど2年。

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