ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 初演行脚 | トップページ | 演奏会のお誘い »

2014年4月12日 (土)

シュヴァルツヴァルト紀行

1854年夏、6月にフェリクスを出産したクララは、ベルギーのオステンデに静養に出かけた。シューマンの投身以来、ずっとデュッセルドルフで献身を続けていたブラームスは、その間にシュヴァルツヴァルト地方への旅行を企てる。

まずは友人のグリムと連れ立って、ケルンに出る。デュッセルドルフからは20kmほどなので歩いたかもしれない。ケルンからライン川を船で遡ってマインツに出る。そこでグリムと別れてさらにライン川沿いを南下。おそらくマンハイム経由でハイデルベルクに着いたのが8月12日土曜日だった。マインツからハイデルベルクまでの交通機関は不明。おそらく船か鉄道だろう。

当地のハイデルベルク大学は、ロベルト・シューマンも籍を置いていたことがある。シューマンが当時下宿した家を訪ねたが、日曜日で雨戸がしまっていたとクララに手紙で報告しているから、それはおそらく13日。13日の昼にはハイデルベルクを出発したという。次の目的地ハイルブロンまで、およそ70kmの道のりを歩いた。ネッカー川沿いの景勝コースだから、21歳のブラームスは楽々と1日半で歩いた模様。15日の夜にはエスリンゲンからクララに手紙を書いたからだ。ハイルブロンには14日中に着いたと思われる。15日には天気が崩れたらしい。おそらく悪天候のせいで、ブラームスは徒歩を諦めて列車に乗り、80km南のエスリンゲンに15日中に入った。途中にはシュトゥットガルトがあるけれど、先を急いだ感じがする。

ハイデルベルクとハイルブロンの間は、曲がりくねるネッカー渓谷沿いに古城が点々と存在する。ツバメの巣城やホルンベルク城の素晴らしさをクララに書き送っている。

さてエスリンゲンで宿泊したブラームスの目的は、そこから山中に入る鉄道だろう。現在でも人気の路線で、シュヴァルツヴァルトを突き抜けてドナウ沿岸のウルムに至る。ブラームスはそこからさらに南下を続けて、本物のアルプスに行く予定だったが、どうにもクララが気になって、ウルムから引き返す。

8月19日にはボン近郊のエンデニヒにシューマンを見舞っている。帰りがけに立ち寄ったのだ。そして21日にはデュッセルドルフからクララに手紙を書いている。

« 初演行脚 | トップページ | 演奏会のお誘い »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シュヴァルツヴァルト紀行:

« 初演行脚 | トップページ | 演奏会のお誘い »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ