怒涛の1853年
シューマン邸を訪問した10月1日があまりにも有名だが、この年はそれ以前にいろいろな出会いがあった。
- 4月 レーメニーと演奏旅行。ハンブルク→ハノーファー。当時はハンブルクの対岸ハールブルクが基点だったが、当時でも鉄道で辿ることが可能だ。間違いなく移動は鉄道だった。ちなみにハノーファーではヨアヒムと会った。
- 5月 リューネブルク→ツェレ。この時点でハンブルクから鉄道で行くことが出来た。レーメニとの演奏旅行は、鉄道で行ける街を選んでいると言える。
- 6月 ハンブルク→ワイマール。鉄道で辿れる。同地でレーメニと決別。ワイマール→ゲッティンゲン。ヨアヒムを頼ってゲッティンゲンに行くのだが、1853年当時ゲッティンゲンには鉄道が敷かれていなかった。同駅の開業は1854年7月31日を待たねばならない。だからワイマールからカッセルまで鉄道を使い、そこから馬車に乗り換えたと思われる。
- 8月 ラインへ一人旅。伝記にははっきりと徒歩旅行と書いてある。ただし、ゲッティンゲンからライン地方(ボン、ケルン、メーレム)まで歩いたのかどうか不明。ゲッティンゲンから北のヒルデスハイムまで馬車で出れば、そこからハノーファーを経由してケルンやボンまで鉄道で行ける。ライン地方内徒歩だったのかライン地方まで徒歩だったのか不明。
- 9月 デュッセルドルフ おそらくボンから歩いたと思われる。リュックサックを背負っていたと伝えられる。
ブラームスの母は、レーメニと別れた息子がゲッティンゲンに滞在していることを心配したと伝えられている。名高いヴァイオリニスト・レーメニとリストを訪ねたワイマールに比べれば鉄道も通じていない田舎街だと感じたとしても不思議ではない。
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