ヴィンゼン考
1847年5月、ブラームスの父の友人ギーゼマン一家のいるヴィンゼンにブラームスが滞在したと大抵の伝記に書かれている。リースヒェンとの友情もセットで語られることが多い。
ヴィンゼンという街はハンブルクとハノーファーを結ぶ路線の途中だ。後のハンブルク-ハノーファー線がハールブルク-ツェレ間で部分開業したのが1847年5月1日だった。ブラームスのヴィンゼン滞在が始まった時期と完全に一致する。当時はエルベ川に橋がかけられておらず、ハンブルクからハールブルクまで船でエルベ川を渡らねばならなかったが、この一致には必然を感じる。
開業したばかりの新線に乗ってブラームスがヴィンゼンに赴いたのではあるまいか。伝記を検証する限り、14歳の少年ブラームスにとって、ハンブルクを出る初めての機会だったことは確実だ。そしてそれが新線の開通に触発されたものだった可能性がきわめて高い。同時にこれがブラームス初の鉄道乗車だったと思われる。
このあたりの展開は、我ながら鉄道特集の醍醐味だ。
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