イタリアンエキスプレス
音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻145ページに厄介な記述がある。ヨーゼフ・ヴィトマンがブラームスと同行したイタリア旅行について証言している。気になるのは以下の件り。
「ブラームスはフロイントと、アンコーナ経由でウィーンに向かう汽車に乗り込んだ」
詳しい状況を少し加える。1893年5月7日、60歳の誕生日をナポリで過ごしたブラームスが、ウィーンに引き返すルートを1文で記したものと考えていい。日付はおそらく8日~10日あたりと推定される。フロイントとは人名で、イタリアに同行したハンガリーの音楽家だ。
何が厄介かというと、何よりも今ナポリ-ウィーン間に直通列車はない。当時はあったのだろうか。伊墺間の国際特急は、全てローマ止まりで、ナポリへは乗り換え必須になっている。しかも乗換えが発生するとしたら、ローマが自然だ。
ところがこの文を素直に解釈すると「ウィーンとナポリに直通列車があった」「それもアンコーナ経由」というように読める。ナポリは「イタリア長靴」のすねのあたり。アンコーナは反対側、ふくらはぎのあたり。ナポリからイアリア半島を横切ってアンコーナに辿りつかねばならない。現代の鉄道地図で見る限り、その路線にはいくつか候補があるけれど、どれも幹線とは言えない。「ローマ経由じゃなさそう」に見せかけて実はローマに到達したのち、アンコーナ周りになっていた可能性もあるにはある。
- 疑問① 当時はナポリ-ウイーンに直通列車があったのか?
- 疑問② その直通はローマ非経由のアンコーナ回りとすると、イタリア半島横断のルートはどこか?
- 疑問③ ナポリ→ローマ→アンコーナという経路の直通列車があったのか?
アンコーナまでたどり着けば、そこから先はウィーンまで当時も今も大幹線となる。ボローニャを経由してやがてヴェニスに至る。ナポリからベルンに戻った友人ヴィトマンは、ヴェニスで投函されたブラームスからのハガキを受け取っているから、ヴェニス経由は明らかだ。ヴィラッハでオーストリアに入り、やがて名高いゼメリンクを通ってウィーンにたどり着く。このルートがとても自然であるだけに、ナポリ-アンコーナ間の記述が不自然に浮かび上がる。
直通ではなくて、アンコーナやボローニャで乗り換えたなら、ぐっと現実味がある。
37代引退公演・第21回スペシャルコンサートは明日。
4週間前から続けてきたスペシャルコンサートへの秒読みだが、今日で最後となる。現実とはいえ、切ない秒読みだった。
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