ビスマルク操車場
ルール工業地帯の真っただ中、鉱山の街ゲルゼンキルヘン北郊に、ビスマルク操車場がある。鉄血宰相ビスマルクと同じ「Bismarck」という綴り。はたしてこれは本当に鉄血宰相に由来する名前なのだろうか。
操車場の北側運河をはさんだ対岸に、廃坑がある。その廃坑が「GrafBismarck」という名前だった。「ビスマルク伯爵」という名前だ。ビスマルクは最終的に伯爵の上の侯爵まで昇進したから、鉱山の命名は彼が伯爵だった1865年から1871年までの間だ。その6年間に命名されたハズだ。
さらにそれら廃坑群の西側の廃坑には「GrafMoltocke」という名前が付けられている。間違いないプロイセン興隆の英雄を鉱山の名前にしたのだ。同地ゲルゼンキルヘンは当時プロイセン領だから、そこの大宰相と参謀本部長の名をいただいたということだ。一帯のルール工業地帯は、躍進プロイセンの屋台骨だったことは周知の事実だ。
廃坑となったあとその一部が操車場に転用されたという流れ。
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