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2014年6月30日 (月)

Nerobergbahn

ウィースバーデン郊外にある登山鉄道。標高245mのネロベルクに登るための小さな鉄道なのだが、マニアの間では有名。世界唯一の水力鉄道だ。ワイヤーでつながれた2両のうち頂上側車両のタンクに水を満載し、その重みで傾斜を下ると、麓側の車両が引っ張られる仕組みだ。麓駅に着いた車両のタンクから水が抜かれ、同時に頂上についた車両のタンクに注水される。頂上側へはポンプで水をくみ上げているから、完全なエコではないものの、発想がユニーク。冬季は水の凍結を理由に運休という設定がすばらしい。

ブラームスは1883年夏ウィースバーデンに滞在した。ここで交響曲第3番を作曲したことで名高い。当時ブラームスが滞在した家は、市街中心のマルクトプラッツから、ネロベルグに向かう途中にあった。もしやブラームスが乗車しているかと思って調べたが、開業が1888年だった。フランクフルトから近いので、乗車の可能性はゼロではないことが救いだ。

「Nero」はイタリア語で「黒」だ。「Neroberg」は「黒山」かもしれないが、ローマ皇帝ネロに関係があるかもしれぬと妄想ばかりがふくらむ。

2014年6月29日 (日)

渭城の朝雨

唐の詩人・王維の「元二の安西に使いするを送る」という七言絶句がある。李白作「黄鶴楼に孟浩然の広陵に之くを送る」と並び称される絶唱。こちらも古来送別の席で歌い継がれてきた。

  元二の安西に使いするを送る

渭城の朝雨 軽塵を裛し 

客舎 青青 柳色新たなり 

君に勧む 更に尽くせ一杯の酒 

西のかた 陽関を出づれば故人無からん 

「あっち(新任地)に行ったら友達もいないんだから、まあ飲め」という意味。

次女のオーケストラ36代を、ともに追いかけたブラボー班創設のメンバーが、本日新任地に旅立つ。既に送別会は終えている。大切な仲間が転勤になるたびに送別の歌を記事にするが、これで2回目。栄転とはいえさびしい。

彼は宴会場の探索確保交渉を一手に引き受けてきた重鎮。会場の雰囲気と経済性を両立させる嗅覚は天性のものか。要所要所での重要な宴会の度に発起人となり続けた熱意が皆を引っ張ってきた。奥様はこれまた欠かすことのできない名会計係でもある。

そしてそして何よりも特筆すべきは、お嬢様のソロ。肝っ玉の座った吹きっぷりが今までもこれからも語り草だ。我々の飲み会のたびに永遠に語り継がれるべき極上のソロだった。

ブラームスのご加護を。

2014年6月28日 (土)

サラエボ事件

オーストリアの皇太子夫妻が、セルビア人青年に暗殺された事件。

第一次世界大戦のキッカケとして知られている。それは1914年6月28日の出来事だったから、今日でちょうど100年だ。これにより直ちに第一次世界大戦が勃発したわけではなく、開戦自体は8月だった。

作曲家たちの生誕と違って大々的に取り上げられることはないが、鉄道特集を中断してひっそりと言及する。

2014年6月27日 (金)

食堂車2419D

史上最も有名な食堂車は、ワゴンリー社製造の「2419D」だ。同車は、退役後フランス軍に徴用され、第一次大戦の連合軍西部軍総司令官フォッシュ将軍の司令部として使用された。1818年11月11日パリ郊外コンピエーヌの森の引込み線上に置かれたこの車両の中で、連合軍とドイツ軍の間で休戦協定が結ばれた。戦後一旦ワゴンリー社に返還されたが1927年から展示公開された。

時は流れて第二次大戦。ヒトラーの侵攻に屈したフランスは、ドイツと休戦協定を結ぶことになるのだが、今度はヒトラーがこの車両を博物館から引き出して、コンピエーヌの森の全く同じ場所に置いて、調印の会場とした。

さらに時が流れ1944年には、敗色濃厚のドイツ軍により、破壊された。同車両が次のドイツ敗北の折に、何らかの形で使用されることを恐れたヒトラーの指示らしい。

2014年6月26日 (木)

食堂車

ドイツ語では「Speisewagen」という。先般のドイツ旅行で自由時間を利用してニュルンベルクからレーゲンスブルクにICEで出かけた際、帰路に食堂車を利用した。一応4人席なのだが、大人5人で悠々と座れた。ビールがうまかった。

さて、本日はドイツ最初の食堂車の話題。1880年7月1日ベルリン-ベブラ間で食堂車が連結された。ベルリンとフランクフルトを結ぶ幹線だ。これをキッカケに南部諸国やオーストリアで幹線を中心に次々と普及していった。

演奏旅行であちこちを飛び回っていたブラームスは絶対に食堂車を利用したに決まっている。

2014年6月25日 (水)

国破れて鉄路あり

第一次世界大戦で敗れたドイツには莫大な賠償金が課せられた。GDPの20倍とも言われる金銭的保証とともに、ドイツの鉄道資産が連合国側に供与された。

  • 機関車 5000両
  • 客車 15000両
  • 貨車 13500両

連合国にとってのこれら戦利品は、それぞれの国境まで運ばれて、査察団による点検の後、引き渡された。連合国をもってしてもその鉄道網自体を差し出せとはいえなかった。レールは力強く大地に付着してこそ意味のあるものであり、そこから引き剥がしてしまっては鉄屑に近い。だから広大な鉄道網だけは疲弊したドイツに残された。確かに敗戦国ではあるのだが、主戦場はドイツ国内ではなかったから、鉄道設備の破壊はそれほど大きなものではなかったと言われている。

そして1930年までにドイツ鉄道は世界一の座に復帰する。蒸気機関車を根こそぎ召し上げられた穴を新技術ディーゼル車で埋め合わせたのである。

2014年6月24日 (火)

避暑地への持ち物

ブラームスの伝記を読んでいると、ときどき疑問が湧いてくる。本日もそうした疑問の一つだ。

1896年5月20日にクララ・シューマンが没したときブラームスは既にウィーンを離れ、なじみの避暑地イシュルにいた。だからクララの死を知らせる電報はウィーン経由で届けられた。そのためブラームスが受け取ったのは5月22日になってしまったという。5月のこの時期に早くも避暑地にいたのだ。

ブラームスの本拠地は申すまでもなくウィーンだ。ウィーンを離れて避暑地に赴く際、ブラームスの持ち物にはどんなものがあったのだろう。ブラームスが所有していた膨大な蔵書と楽譜は、普段ウィーンの自宅にあったと考えるのが自然だ。避暑地へそれらが丸ごと運ばれたとは考えにくい。

ブラームス最後の作品は「オルガンのためのコラール前奏曲」op122である。解説書を読むとクララの死後イシュルで作曲されたとされている。これらが古いコラールを下敷きに書かれたことは既に2008年8月25日の記事「蓄積の賜物」で言及した。説明を読む限り若い頃から集めたり書き留めたりした古いコラールを参考に作曲したことは確実である。

ブラームスはクララの葬儀の後、しばらくボン周辺をさまよってから、ウィーンを経由せずに直接イシュルに帰っている。つまりウィーンの自宅にある古いコラールの資料を取りに戻ってはいないのだ。

  1. クララの死に関係なく既に構想があって関連資料を持ち込んだ。
  2. クララの死後イシュルに入った後、ウィーンから資料を送らせた。
  3. 関連資料が無いまま作曲した。つまり該当のコラールが頭に入っていた。

直感としては3のような気がする。

ちゃきちゃきのプロテスタントであったブラームスは、主要なコラールは和声付きで暗譜していたと解したい。あるいは暗譜するほど気に入っていたコラールに曲をつけたと考えたい。

1896年6月24日友人のホイベルガーはブラームス本人のピアノでコラール前奏曲を聴いたことを証言している。

2014年6月23日 (月)

ポーター

荷物を運ぶ人。たくさんの荷物を運ばねばならない客にとって心強い存在。音楽之友社刊行「ブラームス回想録集」第3巻78ページ。ヨーゼフ・ヴィトマンの証言の中に貴重な言及がある。

ブラームスは非実用的なことについては容赦なく批判したと言う実例として、スイス鉄道でのルールを挙げている。ブラームスはスイスではポーターが客の荷物を持って客車内に入って来れないということを、声高に批判したと証言する。

夏のリゾートへの旅だとすれば、まとまった時間滞在するブラームスの荷物はバカにならない量になっていたと思われる。その荷物を持って駅まで辿り着いたというのに、ポーターは列車の戸口までしか運んでくれないと文句を言っているのだ。他の国では車内の座席まで運んでくれるということが下敷きになっていると思われる。

ドイツやオーストリア、あるいはデンマークやオランダではそんなルールは無いと言いたいのだろう。スイスだけの馬鹿げたルールに立腹していると解される。

2014年6月22日 (日)

避暑地への足

いわゆるザルツカンマーグート線の開通は1877年だった。ウィーンからリンツを経てザルツブルクに抜ける路線は、オーストリアの屋台骨ともいえるルートだから早くに開通していたのだが、途中プヒハイム・アットナングから分岐するザルツカンマーグート線の開通は少し遅れた。ザルツカンマーグート線の途中にあるイシュルは欧州中の名士が集まる大リゾート地ではあるのだが、長らく鉄道が通じていなかった。

王侯貴族といえども、プヒハイム・アットナングからグムンデン経由の馬車でイシュルに向かう手しかなかった。絶景の中ではあるのだがおよそ35kmの山道には難儀したと思われる。むしろマーラーのように自転車の方が気持ちがいいに決まっている。

ブラームスが避暑地にイシュルを選ぶのは1880年が最初である。大リゾート地イシュルの名声は高く、ずっと以前からブラームスの耳に入っていたに決まっているのだが、ブラームスがついにイシュルを選ぶことになったのは、ザルツカンマーグート線の開通によるところが大きいのではあるまいか。

2014年6月21日 (土)

避暑地の系譜

ブラームスの夏は避暑地に赴いて作曲だった。欧州では今も秋から春にかけてが演奏会のシーズンだ。夏に作曲をしてシーズンに備えるのは必然の成り行きである。ましてやブラームスは優秀な演奏家でもあったから、1年を上手に使い分けていたと考えられる。

  • 1857年 ロベルト・シューマンの没した翌年、クララ一家とブラームスの姉を誘ってライン川づたいにスイスへ旅行を企てた。全行程で1ヶ月ほど。
  • 1858年 ゲッティンゲンクララ一家の夏の避暑地に、「子供のための民謡集」WoO31を手土産に合流。そしてこの滞在の時にアガーテと知り合う。
  • 1859年 不明おそらくハンブルク。アガーテと別れた直後の夏だから、ひきこもっていたかもしれない。
  • 1860年 同じく不明。ということはつまり故郷ハンブルクにいた。
  • 1861年 ハンブルク郊外のハムか。
  • 1862年 おそらくハム。この年の9月にウィーン進出。
  • 1863年 ハンブルクへ帰省。
  • 1864年 ハンブルクへ帰省。
  • 1865年 リヒテンタール、バーゼル、カールスルーエ、チューリヒ。
  • 1866年 主にリヒテンタール。チュリッヒベルク。おそらくスイス。
  • 1867年 主にリヒテンタール。父とともにスティリア、ザルツカンマーグート。
  • 1868年 主にリヒテンタール。ボン。それから父とともにラインやスイス。
  • 1869年 リヒテンタール。クララの三女ユーリエの思い出とともに。
  • 1870年 ミュンヘン後にザルツブルク。普仏戦争のためリヒテンタール行きを断念。
  • 1871年 リヒテンタール
  • 1872年 リヒテンタール
  • 1873年 トゥツィング 弦楽四重奏曲第1番、同2番。クララとのいさかいでこちらに。
  • 1874年 リシュリコン 
  • 1875年 ツィーゲルハウゼン ピアノ四重奏曲第3番。
  • 1876年 リューゲン島ザスニッツ 第1交響曲作曲。
  • 1877年 ペルチャッハ。第2交響曲。後リヒテンタール。
  • 1878年 ペルチャッハ
  • 1879年 ペルチャッハ
  • 1880年 初めてのイシュル
  • 1881年 イシュル
  • 1882年 イシュル
  • 1883年 ヴィースバーデン 交響曲第3番。
  • 1884年 ミュルツツーシュラーク 交響曲第4番。
  • 1885年 ミュルツツーシュラーク 交響曲第4番。
  • 1886年 トゥーン
  • 1887年 トゥーン
  • 1888年 トゥーン
  • 1889年 イシュル
  • 1890年 イシュル
  • 1891年 イシュル
  • 1892年 イシュル
  • 1893年 イシュル
  • 1894年 イシュル
  • 1895年 イシュル
  • 1896年 イシュル
  1. イシュル 11回
  2. リヒテンタール 7回
  3. ペルチャッハ 3回
  4. トゥーン 3回
  5. ミュルツツーシュラーク 2回

ウィーン進出後ある程度お金がたまるまでは、夏には故郷ハンブルクに帰省しているのが微笑ましい。1869年には父親に「もう私が帰る部屋を空けておかなくてよい」と書き送っている。なるほどそれ以降、セレブの集まる超一流の避暑地が彼の夏の居場所になる。つまりドイツレクイエムの成功や、ハンガリア舞曲のブレークでお金がたまったということだ。

さて申すまでも無い結論。これらの避暑地への移動には鉄道が使われた。

2014年6月20日 (金)

4番の位置

交響曲1つ1つに独立したカテゴリーを付与した結果、それら各曲の言及回数が図らずもランキング化されることになった。本日現在の本数を以下に列挙する。

この結果は、ブログ開設以来無意識に積み上げたものだ。1番への集中は、のだめネタも貢献している。無意識だっただけに、これらの数値には意味がある。本日以降、この数値が刷り込まれてしまうため、必ずしも公正とは言えなくなる。

案の定次女がブラ4に挑戦すると知っただけでテンションが上がってしまい、鉄道特集を4日も中断してしまった。この先次女のブラ4ネタが膨れ上がると、鉄道特集のエンディングが年末にずれ込む可能性が出てきた。嬉しい悲鳴。

2014年6月19日 (木)

プレゼント返し

昨日言及した第3次カテゴリー改訂の目玉は「交響曲独立カテゴリー体制」の導入だ。

既存のカテゴリー「205 交響曲」にはブラームスの4つの交響曲が雑多に放り込まれていた。2033年までの継続を考えるとそれを放置するのはしのび難い。さらにそこには、ブラームス以外の作曲家の交響曲を話題にした記事も混入している。だからそれを整理したと書いた。

しかしそれだけでは必ずしも正直ではない。

次女が大学オケデビューでブラームスの第4交響曲にチャレンジすることが決まったことが大きなモチベーションになった。過去の記事をあたって、それらに交響曲各々のカテゴリーを再付与するのは、簡単ではない。一通り読まねばならないから時間がかかる。必要性を感じながらも、手が出せずにいた。

このたび次女のブラ4挑戦は、またとない機会だ。4番関連記事だけを抜き出すことも考えたが、テンションが上がっているうちに全4曲で実施することにした。

初めてブラームスの4番に挑戦する次女へのプレゼント。既に今日までに第4交響曲に関連する記事は40本を超えていた。それらを一括して閲覧することが可能になった。父の日のお返し。

次女のブラ4にブラームスのご加護を。

2014年6月18日 (水)

第3次カテゴリー改訂

2009年11月に第2次カテゴリー改訂を実施した。カテゴリー番号の3桁化を含む大改訂だった。あれから5年を経た今、第3次カテゴリー改訂に着手した。

改訂の柱は以下の通り。

カテゴリー「205交響曲」を細分化する。現状同カテゴリーは、ブラームス以外の作曲家の交響曲までも含んでいる。少々雑多な印象だ。2033年5月までの継続、読者と何よりも私自身の利便を考えると、放置するには忍びない。当面は交響曲に的を絞るが、今後暇を見てコンチェルトや室内楽に範囲を広げる。

ということで今回下記の通り、カテゴリーを新設した。

  • 231 交響曲第1番
  • 232 交響曲第2番
  • 233 交響曲第3番
  • 234 交響曲第4番

鉄道特集真っ只中、いかにも唐突なこの記事には理由がある。次女がブラ4に挑戦すると知った今、それを応援するための展開を取り急ぎ準備することとした。この記事、昨夜次女マイスタージンガー前奏曲ファーストヴィオリン初練習を聴きながら書いた。

切ないくらい嬉しい。

2014年6月17日 (火)

父の日

一昨日、サッカー日本代表がワールドカップ初戦を落とし、落ち込み気味に始まった父の日だったが、嬉しいサプライズが待っていた。

アルバイトから帰った次女が、皆にチーズケーキを買ってきた。開けてびっくりネクタイを締めた可愛らしい熊がデザインされてた。父の日のプレゼントだった。いやはや相当嬉しい。早速母と次女と3人で食べることにした。

大学に入りサークルを捜していた次女は、見学と思案を重ねた結果、驚くべき選択をしていた。自分の属する大学ではない他大学のオーケストラに入ったのだ。通学定期の範囲内という点まで考え抜かれた結論だった。決められた練習は週に2回程度、年二回の演奏会があるようだ。この話自体は、以前から知っていたので、チーズケーキを食べながら「オケ、最近どうよ」と水を向けてみた。

秋の定期演奏会のオープニングプログラムで「マイスタージンガー」をするという。高校でもやった曲だ。「ふーん」という私の反応にかぶせるように「実は第一ヴァイオリンを弾く」と次女。まんざらでも無さそうな口ぶり。ポジションが高いだけで、セカンドと変わらないと頼もしいことを言っている。

「んで、メインプログラムは何やるの」と尋ねた。次女は「ブラ4」と即答。私「・・・・・・」次女「ブラームスの4番」私「・・・・・」次女「家にCDある?」

ブラームスの4番のCDが我が家にあるのか訊いて来るとは、恐れを知らぬ娘だ。「誰に口聞いてんだ」と言いたいのを飲み込んで、「これ聴いたらいいよ」とクライバーのCDを渡す。「へえ、あったんだ。ありがと」とあくまで屈託の無い次女。

今年の父の日がどれだけ凄いか以下にまとめる。

  1. 亡きの妻の誕生日と重なった。
  2. 次女が父の日のプレゼントを買ってきた。アルバイトで稼いだお金で初めてのプレゼントだ。
  3. 他大学オケに所属し、初めて第一ヴァイオリンに挑戦する。
  4. 大学オケ秋の定期演奏会のメインがブラームスの第4交響曲になった。こちらではセカンドを弾く。大学オケデビューが私と同じくブラームスになった。私は2番。
  5. ブラームスの4番は我が家にとって思い出の曲。妻との結婚式の二次会でみんなで演奏した。場所はルーテル市谷センターだった。残念ながらこの時が妻と協演した最後の演奏会になってしまったが、亡き妻はセカンドヴァイオリンだった。そのセカンドを次女が弾く。マジやばい。
  6. この先個人練習をするに決まっているから、次女が部屋で弾くブラ4が聞ける。
  7. やがて次女が「ブラームスの辞書」を手に取る日がやってくる。

次女の大学オケの話題は、今まで取り上げるのを自粛してきた。がしかし、ブラームスの4番に挑むと聞いて、カッコをつけてもいられなくなった。高校オケでは編成の都合上、ブラームスを取り上げることは有り得なかった。そこは、この先音楽を続けていればどこかで必ずブラームスに当たるはずだと自分に言い聞かせてきた。予感は当たった。いきなり1年秋に4番とは、いやはや本当に素晴らしい。

これらがどれだけ嬉しいかお察しいただけるだろうか。2014年の父の日を一生忘れることは無い。

それでもそれを昨日公開せずに一日遅らせたのは、昨日の記事が6月16日ピンポイントだからというブログ運営上に都合に過ぎない。嬉しい割には意外と冷静。

  • 2014年6月16日 (月)

    もしかして鉄オタ

    ブラームスのイタリア旅行にあたっての移動手段は鉄道だった。イタリアの鉄道事情を調べてみた。イタリア初の鉄道は1839年ナポリで開業。北部イタリアに先んじてナポリというのが意外でもある。

    首都ローマは鉄道の敷設が遅れた。鉄道時代が始まった当時のローマ教皇グレゴリウス16世が、いわゆる「機械嫌い」で領内の鉄道敷設に許可を与えなかった。当時のイタリアにはそのことをめぐるジョークがはやったと言う。

    天に召されて行く道の途中での話。

    天国の門に向かって歩きながらグレゴリウス16世は「まだ着かないのか」と聖ペテロに尋ねた。聖ペテロは「鉄道を作っていたらとっくに着いていたでしょう」と答えた。

    イタリアの鉄道建設が進むのは、その後任ピウス9世になってからになる。彼は歴代最長の在位年数のほか、ビスマルク率いるドイツ帝国と延々と対立したことでも知られている。いわゆる「文化闘争」だ。

    ピウス9世は近代科学の成果をことごとく否定したばかりか、自由主義、民主主義といった潮流にも背を向けた。超保守的な人物なのだが、鉄道だけには理解を示した。1846年以降イタリアの鉄道が急速に発展したのは、ピウス9世の姿勢によるところが大きい。1864年にはローマとベルリン間に直通列車が走り出す。

    もしかして鉄道好き。彼の即位は1846年6月16日。

    2014年6月15日 (日)

    南の島へ

    昨日次女たちの36代の2コ下38代のデビューコンサートがあった。恒例の駅コンは37代の引退を受けた2年生38代の船出だ。ということはつまり娘らのデビューから2年が経過したということだ。ピチピチと希望の音がした。

    昨日はただ無事のデビューを祝うだけの予定が、大きく狂った。36代保護者のブラボー仲間の一人が、7月1日付けで沖縄への異動が決まった。毎度毎度の飲み会では、会場の確保に異常な才能を発揮する貴重なメンバーが転勤する。

    2週間前に決まってから大急ぎで準備した。毎度毎度のメンバーが集まっての壮行会となった。去る5月11日のスペシャルコンサートでの、ブラボーの厚みは過去最高となった。その大功労者への感謝と敬意を表す大宴会となった。

    転勤の情報が仲間内を駆け巡ってから、会場、メンツ、餞別があっという間に固まった。

    心配はない。11月に大壮行会をもって1月に海外に転勤した仲間は、オケの催しの度ごとにマメに帰国している。沖縄の彼もきっと飲み会皆勤になるに違いない。

    2014年6月14日 (土)

    ペルチャッハ行き各駅停車

    イシュルまで全駅を列挙するという記事「イシュル行き各駅停車」に次ぐ企画。今度の目的地はペルチャッハ。第二交響曲や、ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリンソナタ第一番などの傑作が生まれた街だ。標記のルールは、「イシュル行き各駅停車」と同じ。それでは出発進行。

    1. Wien-Meidling ブラームスの自宅最寄りのカールスプラッツからはおよそ3.6km。地下鉄なら6駅分。南部鉄道の起点はいつもここだった。
    2. (S)Wien-Hetzendorf
    3. (S)Wien-Atzgersdorf
    4. (S)Wien-Liesing
    5. (S)Perchtoldsdorf
    6. Brunn-Maria Enzersdorf
    7. Modling ブラームスはいつも散歩にここまで来ていた。
    8. (S)Guntramsdorf
    9. (S)Gumpoldskirchen ここを出てすぐにオーストリア最古のトンネルをくぐります。
    10. (S)Pfstatten
    11. (S)Baden
    12. Bad Voslau
    13. (S)Kottingbrunn
    14. Leobersdorf
    15. (S)Sollenau
    16. Felixdorf
    17. (S)Theresienfeld
    18. (S)Wiener Neustadt nord
    19. Wienerneustadt Hbf
    20. St.Egyden
    21. Neunkirchen
    22. Ternitz
    23. Pottschach
    24. Gloggnitz いよいよここから世界遺産のゼメリンク越え。
    25. Schloglmuhl
    26. Payerbach-Reichenau
    27. Kub
    28. Eichberg
    29. Klamm-Schottwien
    30. Breitenstein
    31. Wolfsbergkogel
    32. Semmering 標高839m。南部鉄道最高駅。
    33. Steinhaus
    34. Spital
    35. Murzzuschlag 1884年と1885年の夏の滞在地。第四交響曲を完成。世界遺産区間ここまで。
    36. Honigsberg
    37. Langenwang
    38. Krieglach
    39. Mitteldorf-Veisch
    40. Wartberg
    41. Kindberg
    42. Allerheiligen-Murzhofen
    43. Marein-St.Lorenzen
    44. Kapfenberg-Fachhochschule
    45. Kapfenberg
    46. Bruck an der Mur
    47. Obereich
    48. Niklasdorf
    49. Leoben Hbf
    50. Kraubath
    51. Preg
    52. Fensch-St.Lorenzen
    53. Knittelfeld
    54. Spielberg
    55. Zeltweg
    56. Judenburg
    57. Thalheim-Pols
    58. St.Georgen
    59. Unzmarkt
    60. Scheifing
    61. Mariahof-St.Lambrecht
    62. Neumarkt im Steiyermark
    63. Hammerl
    64. Matnitztal
    65. Friezach
    66. Micheldorf-Hirt
    67. Treibach-Althofen
    68. Kappel am Krappfeld
    69. Krappfeld
    70. Passering
    71. Polling
    72. Launsdorf-Hochsterwitz
    73. St.Georgen
    74. St.Veit
    75. Glandorf
    76. Willersdorf
    77. Maria Saal
    78. Klagenfurf Annabichl
    79. Klagenfurt ost
    80. Klagenfurt Hbf
    81. Klagenfurt-Lend
    82. Krumpendorf
    83. Pritschitz
    84. Portschach 第二交響曲の故郷。ヴァイオリン協奏曲も。

    ウィーンからペルチャッハまで338km。ご乗車ありがとうございました。明日いよいよ日本初戦。

  • 2014年6月13日 (金)

    イシュル行き各駅停車

    BadIschlは、ブラームスお気に入りのリゾート。夏には古来名士が集う場所だ。ウィーンに本拠地を置いたブラームスにとって、イシュルまでは鉄道で簡単に行ける。本日はウィーンからイシュルまでの駅を列挙する。現代のSバーンすなわち都市近郊路線の駅も先頭に(S)を付して加えておいた。ブラームスの当時Sバーンは、無かったに決まっているが、しからばとばかりその駅まで収載から除くのは危険だ。駅だけは当時から存在していた可能性は念のため考えておきたい。いつものように赤文字はウムラウトを示す。斜め文字はBahnhofで、通常文字はHaltepunkt(小規模な駅)を指す。下線は現代の特急停車駅。

    1. Wien-Westbahnhof ブラームスの自宅があったカールスガッセからはおよそ2.5km離れている。地下鉄なら5つめ。
    2. Wien-Penzing ハイリゲンシュタット方面はお乗換えです。
    3. Wien Hutteldorf 自宅近くのカールスプラッツから地下鉄4号線でここまで来てもいい。
    4. (S)Wien-Wolf in der Au
    5. (S)Wien-Hadersdorf
    6. (S)Wien-Weidlingau
    7. Unterpurkersdorf
    8. (S)Purkersdorf-Gablitz
    9. (S)Untertullnerbach
    10. (S)Tullnerbach-Prssbaum
    11. (S)Pressbaum 何気ないSバーンの駅だが、ここはブラームスゆかりの地。ピアノ協奏曲第2番が作曲されたプレスバウムだ。
    12. (S)Duruwien
    13. Rekawinkel Sバーンの終着駅。つまりここまでがウィーン近郊区間。駅を出るとすぐ最初のトンネルを通る。
    14. Eicgraben-Altlengbach
    15. Unteroberndorf
    16. MariaAnzbach
    17. Hofstadt
    18. Neulengbach
    19. Ollersbach
    20. Kirchstetten
    21. Boheimkirchen
    22. Schidberg
    23. Pottenbrunn
    24. St.Polten Hbf  特急や急行なら最初の停車駅かも。「Hbf」は「中央駅」のこと。
    25. Prinzersdorf
    26. Markersdorf
    27. Grosssierning
    28. Loosdorf
    29. Melk 駅を出るとすぐ、進行方向右手にドナウ川。
    30. Pochlarn 
    31. Krummnusbaum
    32. Sausenstein 右手にドナウが見えるのもここまで。
    33. Ybbs ここからはドナウの支流ヤプス川に沿って。
    34. Neumarkt-Karlsbach 
    35. Hubertendorf
    36. Blindenmarkt
    37. Amstetten
    38. Mauer-Ohling
    39. Aschbach
    40. Krenstetten-Biberbach
    41. St.Peter-Seitenstetten
    42. St.Johan-Weistrach
    43. Haag
    44. Stadt Haag
    45. St.Valentin 急行なら2つ目の停車駅か。
    46. Ennsdorf
    47. Enns
    48. AstenFischng ブルックナーゆかりのザンクトフローリアンにおいでの方はお乗り換えです。
    49. Linz-Pichling
    50. Linz-Ebelsberg
    51. Linz Hbf 急行なら3つ目の停車駅。
    52. Leonding
    53. Pasching
    54. Horsching リンツ空港においでのかたはこちらが便利です。
    55. Offering
    56. Marchtrenk
    57. Wels Hbf クララの訃報に接し、フランクフルトに向かうブラームスが乗り換える予定だった駅。6つ先の51番リンツまで乗り過ごした。ここからドナウ川沿いに北西に走ってパッサウからドイツに入るはずだった。
    58. Gunskirchen
    59. Lambach
    60. Lambach-Markt
    61. Neukirchen
    62. Breitenschutzing
    63. Schwannenstadt
    64. Attnang-Puchheim ここから西部線と分かれて、いわゆるザルツカンマーグート線に入る。
    65. Wankham
    66. Aurachkirchen
    67. Pinsdorf
    68. Gmunden 現在ブラームス博物館がある。当時は知人が住んでいた。
    69. Altmunster ここより進行方向左手にトラウン湖が見える。
    70. Traukirchen
    71. Traukirchen-Ort
    72. Ebensee-Landungsplatz トラウン湖が見えるのはここまで。
    73. Ebensee 標高428m。ここからは右手にトラウン川の流れを見ながら走る。
    74. Steinkogl
    75. Lahnstein
    76. Langwies
    77. Mitterweissenbach
    78. Bad Ischl 標高468m。ウィーンから287.4km。現代の特急に乗ればおよそ3時間20分で来ることができる。

    ご乗車お疲れ様でした。ワールドカップ開幕を祝うガチンコ記事。

    2014年6月12日 (木)

    サッカー休暇

    ワールドカップ開催期間中、とりわけ試合が行われる時間帯に、仕事にならない人々が少なくないという。今回のワールドカップは、ブログ「ブラームスの辞書」設立以降、3回目のワールドカップとなる。ブログ開設から3度のワールドカップをやりすごし、その間記事更新の抜けが無いのは、我ながら爽快なのだが、前2回の開催期間中、ネタの思い付きがガクンと減った。その間記事がほとんど思い浮かばず、備蓄記事を切り崩してしのいだ。

    2033年5月7日までブログを継続するには、今回のワールドカップを含めて、5大会を乗り切らねばならない。ブログが目標を達成したとき、2034年大会のアジア地区予選が佳境にさしかかっているはずだ。

    いよいよ日本時間明朝、ワールドカップブラジル大会が開幕する。

    2014年6月11日 (水)

    エキナカ

    駅構内にある商業施設のこと。駅に併設した商業施設というだけなら「駅ビル」という言葉が、昔からあった。駅併設は併設なのだが、改札の内側というのが売り。わざわざ改札を通らねばならないから、少々のお金が要るのだが、定期券の客にとっては大した負担増にはならないし、スイカの普及もあってグッとハードルは下がった。

    1884年避暑地に選ばれたミュルツツーシュラークにブラームスのお気に入りのレストランがあった。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻228ページに、「駅構内のおいしいレストラン」にブラームスがしばしば通っていたことが書かれている。同書の240ページに「鉄道亭」とあるのが、そのレストランの名前だと思っていい。

    ドイツでは駅の入場に料金がかからないから、構内のレストランにも入店自由だ。ブラームスは味が気に入って通い詰めたのだが、料理や飲み物の代金だけで済んだはずだ。

    2014年6月10日 (火)

    鴎外の駅コン

    森鴎外「独逸日記」にも駅コンが出現する。1885年6月10日場所はライプチヒだ。鴎外は友人と連れ立って拝焉停車場で合奏会を聴いたとある。拝焉停車場は「Bayerischebahnhof」で、ライプチヒのバイエルン方面駅のことだ。8月22日には寒さで拝焉停車場の演奏会が中止になったとも記されている。何にしろ、駅構内でのコンサートに違いない。

    8月22日に寒さで中止になるとは日本の実感とは合わない。クラカタウの噴火と関係がありはしないかと勘繰る。

    次女たちオケの伝統で、3年生引退後新たなメンバーで最初に臨むのが駅コンだ。駅前広場のスペースで初めての演奏会に挑む。今年は6月14日土曜日の14時と15時の2回公演だ。

    何はともあれ、気がかりは天気。関係者全員の念を集中して、梅雨に対抗したい。

    2014年6月 9日 (月)

    コリドール

    「Korridor」と綴って「回廊」と訳されるドイツ語だ。れっきとした鉄道用語でもある。

    モーツアルトの生地ザルツブルクから、インスブルックに向かう直線を地図上に引く。そこに鉄道路線があれば距離的にも時間的にも最短ルートになりそうなものだが、現実には難しい。その直線はアルプスの縦走とも言えるコースになるからだ。アルプスの山岳地帯を迂回するために、ザルツブルクから西に走りだして一旦ドイツ領に入る。そのまま西進してイン川に突き当たったところで南に曲がる。やがてクーフシュタインで再びオーストリア領に入り、あとはイン川に沿ってインスブルックを目指す。ザルツブルクからインスブルックに向かう特急は、ドイツ領内の駅には停車せず、客の乗降が発生しないため、隣国ドイツ領内を走行しながら国内列車扱いとなる。

    この状態のことをオーストリア側から見て「コリドール」という。

    スイスのトゥーンで3度の夏を過ごしたブラームスが、このコリドールを通過していた可能性は非常に高い。

    2014年6月 8日 (日)

    難解なパズル

    東海道新幹線の駅を思い浮かべていただきたい。名古屋→岐阜羽島→米原→京都→新大阪→新神戸だ。連続する6駅が重複のない違う府県になっている。駅間距離の長い新幹線ならではの現象だ。在来線だと難易度がやたらに跳ね上がって連続する3駅が重複の無い違う県で精一杯だ。栗橋(埼玉)→古河(茨城)→野木(栃木)が愛好家の間でもてはやされている。

    同じ事をドイツで試みる。「連続する3駅が違う国」だったら凄いのだが、ドイツが絡むケースは見当たらない。それどころか「連続する3駅が違う州」に条件を緩めても存在しない。諦めきれずに捜していたら、廃線の中に興味深いケースを発見した。

    場所はベルギー国境に近いトーリアの北だ。トーリアからビールで名高いビットブルクを通って北に非電化線を40km走ったところにJunkrath駅がある。ここからベルギー国境に向かって西に分岐する支線がかつて存在していた。Junkrath駅から一つ目にStadtkyll駅がある。

    1. Stadtkyll ラインラントプファルツ州
    2. Kronenburg ノルトラインヴェストファーレン州
    3. Hallschlag ラインラントプファルツ州
    4. Losheim ノルトラインヴェストファーレン州
    5. Losheimergraben ベルギー領

    連続する5駅が違う州。残念ながら重複がある。これらが19kmの距離でおきているから貴重だ。

    2014年6月 7日 (土)

    国境を縫う

    語感から十分イメージしていただけると思う。一度国境を越えた路線が、また国境を越えて元の国に入ることだ。下記の2つのパターンがある。

    1. 国境はまっすぐなのに線路が蛇行している。
    2. 線路はまっすぐ伸びているのに国境が屈曲している。

    北に接するデンマークとの国境ではこういう現象は起きていない。オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスとの各国境でも認められない。

    スイス、オーストリア、チェコ、ポーランドで各1箇所ずつ観察出来るので順に紹介する。

    <スイス> バーゼルからボーデン湖までの間、スイスとドイツの国境はライン川とほぼ一致する。途中で2箇所ほど、スイス領がライン川を越えてドイツ側にはみ出している場所があるほか、はみ出たスイス領の中にぽっかりとドイツ領が存在する場所がある、シャフハウゼンという地区だ。上記2のパターンだ。国境が複雑に入り組んでいる。ボーデン湖の西隣にジンゲン(Singen)という駅がある。そこから西に2つ目のビーティンゲン(Bietingen)からはじめよう。

    1. Bietihgen ドイツ領
    2. Herblingen スイス領
    3. Schaffhausen スイス領
    4. Neuhauaen スイス領
    5. Altenburg-Rheinau ドイツ領
    6. Jestetten ドイツ領
    7. Lottstetten ドイツ領
    8. Rafz スイス領

    上記1のBietingenから8番目Rfazまでおよそ27kmで、全てライン川の北を走っているのに、ドイツ領とスイス領を行きつ戻りつしている。2針縫った感じだ。

    <オーストリア> いかにもありそうなザルツブルク以北のザルツァッハ川流域では、この現象は起きていない。古来ザルツァッハ川が国境として確定していた上に、川の両岸に十分な平地もあって、鉄道が川を越えない。国境の縫い取りは、アルプス山中で起きる。ドイツ有数のスキーリゾート・ガルミッシュパルテンキルヘンを見つける。そこから西に3つ目の駅グリーセン(Griesen)からはじめよう。グリーセンの西1kmで国境を越えてオーストリアに入る。そこから13駅オーストリア領内で、14個目のプフォルテンシュタイナハ駅でドイツ領に戻る。その間およそ14km。13あるオーストリア側の駅は、オーストリア側から鉄道でアクセスすることが出来ない。

    <チェコ> チェコがドイツにもっと深く食い込んだ先端あたりにバートブラムバッハ(BadBranbach)からはじめる。

    Badbranbachはドイツ領で、東に1km走ると国境を越えてチェコに入りPlesna駅。南に転じて1kmでまた国境を越える。ドイツ領を4kmほど走る間、駅は無しのまままた国境を越えてチェコに入り、Vojtanov駅に滑り込む。この間10km少々だ。

    <ポーランド> ドイツ東南端のゲーリッツ(Golitz)からナイセ川沿いに10km南下したあたりにあるハーゲンヴェルダー(Hagenwerder)駅からはじめる。3km南下すると国境を越えてポーランド領に入る。程なくKrewinaZgorzelecka駅。そこから6kmまた南に行くと一旦ドイツ領に戻る。たった200m走って駅も無いままポーランド領に復帰するも、また800mでドイツ領に入りヒルシュフェルデ駅に滑り込む。総延長10kmほどの間に2針半だ。ここではナイセ川が国境を形成している。第二次大戦でナイセ川をドイツとポーランドの国境と定めたから、こういう現象が起きている。小さな鉄橋で川を越えながら渓谷を遡っているに過ぎないのだが頻繁に超えるナイセ川が国境になってしまったという話。

  • 2014年6月 6日 (金)

    駅名で見る国境

    ドイツと国境を接する国は全部で9カ国。これを駅名を切り口に分類してみる。

    1. ドイツ語型 国境の両側ともドイツ語で理解可能。→スイス、オーストリア、ルクセンブルク、フランス
    2. ドイツ語併記型 国境の沿いの駅名にはドイツ語読みが併記される。→ポーランド
    3. ドイツ語近似型 国境沿いの駅名は明らかに地元語だが、そこはかとなくドイツ語が連想できる。→デンマーク、オランダ、ベルギー
    4. ドイツ語遮断型 全くドイツ語と無関係な駅名が並ぶ。→チェコ

    おおよそ上記に分類できる。4番のチェコは徹底的。チェコとの国境は山だ。山を越えればそこは、全くの別言語の世界になっている。その他のパターンは川か平地なので、言語障壁が低いと思われる。国境の両側ともドイツ語圏ならば上記パターン1は当たり前だ。フランス領アルザスは、駅名上は完全にドイツ語圏と思われる。たとえばドイツ・カールスルーエからライン川をはさんだ対岸のフランス領Lauterbourg駅がある。「ラウターブルク」と読む。そこからアルザス地方の中心都市ストラスブールまでの全駅を以下に列挙する。

    1. Lauterbourg
    2. Mothern
    3. Munchhausen
    4. Seltz
    5. Beinheim
    6. Roppenheim
    7. Roesbourg
    8. Rountzenheim
    9. Sessenheim
    10. Drusenheim
    11. Herrlisheim
    12. Gembsheim
    13. Kilstett
    14. La Wanzenau
    15. Hoenheim
    16. Bischheim
    17. Strasbourg

    以上だ。黙って見せたらドイツの駅だと思うだろう。両端の駅に「Bourg」があって、これがわずかなフランス語っぽい痕跡。元々は「Burg」だったはずだ。ドイツっぽい駅名だけを拾ったわけではなく全駅を拾っているところがミソだ。この調子でスイスのバーゼルまで続いている。国境の西側現フランス領は、ドイツ領だった時間が長く、人々がドイツ語を日常的に使用していると判る。

    2014年6月 5日 (木)

    事故の特異日

    昨日の記事「事故の重複」で、1939年12月22日に死者100人を超える鉄道事故がドイツで2件起きていた。ウィキペディア「鉄道事故」のページに詳しく書かれている。そのつもりでいろいろ調べているとどうも「22日」に重大事故が多いと感じた。ウィキペディアでは死傷者を5名以上出した事故が「重大事故」と定義されている。日本以外の172の重大事故の日別発生件数を調べてみた。

    •  1日  6件
    •  2日  3件
    •  3日  7件
    •  4日  4件
    •  5日  2件
    •  6日  9件
    •  7日  7件
    •  8日  6件
    •  9日  5件
    • 10日  6件
    • 11日  8件
    • 12日 12件
    • 13日  3件
    • 14日  3件
    • 15日  6件
    • 16日  5件
    • 17日  5件
    • 18日  3件
    • 19日  4件
    • 20日  3件
    • 21日  3件
    • 22日 14件
    • 23日  4件
    • 24日  7件
    • 25日  3件
    • 26日  2件
    • 27日  6件
    • 28日  9件
    • 29日  9件
    • 30日  3件
    • 31日  3件

    以上だ。172の事故が満遍なく起きれば、1日あたり5.5件が平均だが、やはり22日は抜きんでている。もちろん偶然だ。22日を必要以上に恐れることはないし、他の日に油断するのも良くない。

    さて22日の事故14件のうちドイツで起きたのは4件。これは22日の国別内訳としては最多になる。アメリカが3件のほかは全て1件ずつだ。

    2014年6月 4日 (水)

    事故の重複

    1939年12月22日は、ドイツの鉄道にとって忘れがたい日だ。この日下記の2箇所で大きな鉄道事故があった。

    1. リップバッハ バイエルン州。ルートヴィヒスハーフェンの西、マルクドルフ駅の南。臨時旅客列車と貨物列車の衝突。死者101人。
    2. ゲンティン ブランデンブルクの西27km。駅構内での追突事故。死者278人。現在に至るまでドイツ鉄道史上最悪の事故。

    大きな鉄道事故が同じ日に起こっている。2つの事故に相関関係はなく、まったくの偶然だ。12月22日といえば我が家の長女の誕生日ではないか。

    2014年6月 3日 (火)

    エシェデ

    「Eschede」と綴られる。レールテの北東44kmにある駅。1998年6月3日同駅の南およそ200mの地点で、ミュンヘン発ハンブルク行きのICEが時速200kmで走行中に脱線転覆し101人が犠牲になった。ドイツICE史上最悪の事故。今日はその事故から丸16年、日本風に申せば17回忌にあたる。

    合掌。

    昨今、航空機、船舶、地下鉄と大きな事故が相次いだ。けして他人事ではない。

    2014年6月 2日 (月)

    グリュックアウフ駅

    Gluckauf(uはウムラウト)は、鉱山関係者間の挨拶。これから坑内に入ってゆく鉱夫たちに「無事でお帰り」と声掛けするニュアンス。ドイツブンデスリーガ所属の強豪シャルケは、鉱夫たちを集めたのがクラブの始まりだった。だから昔彼らのホームスタジアムは「グリュックアウフシュタデュオン」だった。ドイツの民謡にもなっていることは既に取り上げた。

    何とこれが駅名になっていた。ヘンデルの故郷として名高いハレの西南西およそ100kmの位置にゾンデルスハウゼンがある。「Sondershausen」と綴る。街の中央にハウプトバーンホフがあって、その隣の駅が「Sondershausen-Gluckauf」駅だった。駅の北側には廃鉱山の印が3つ4つある。むしろ当然だ。鉱山との関連無しに「Gluckauf」が駅名になることなど有り得ない。

    また、前に何もつかない単なる「Gluckauf」駅も発見できた。旧東ドイツでポーランド国境にも近いコットブス市内の狭軌鉄道線に「Gluckauf」駅があった。近くに鉱山のマークは見当たらないが、街自体が鉱山の街なので納得できる。

    ドイツ国内は、彼らの産業革命を支えた鉱山が沢山あった。今は廃坑になっているものも多いけれど、地名や駅名に力強く痕跡をとどめている。

    2014年6月 1日 (日)

    説明不能

    先ごろ買い求めた「Eisenbahatlas」は、鉄道愛好家のためにとことん練り上げられた編集方針が売り物だ。アウトバーン以外の道路が地図上から抹殺されている。これによる効果は目を見張るものがある。さらに、鉄道と関係のないランドマークや名所も、見事なまでに切り捨てられる。

     

    それでいて、どんなに小さな遊覧鉄道も見逃さないばかりか、既に役目を終えて廃止された線路にも目一杯の愛情を注ぐ。それはそれはストイックな編集方針なのだが、実は一箇所だけ、これまた見事すぎる例外が設定されていた。

     

    ニュルブルクリンクが記載されていた。世界最高の自動車レースサーキットだ。アウトバーン以外で道路が記載されているのはここ一箇所。世界遺産ケルン大聖堂や、ノイシュヴァンシュタイン城、ロマンティック街道も省略されているのに、ニュルブルクリンクが書かれているというこだわりには心底驚いた。近所に鉄道は無い。廃止された路線がかろうじて20km先にあるだけだ。編集部にF1マニアがいるのかとも思うが、F1ドイツグランプリで名高いホッケンハイムは省略されているから、具合が悪い。

     

    さらに謎が深まるのは鉄道模型だ。メルクリンの本社はゲッピンゲンだが、無視されているし、世界最大のジオラマがあるハンブルク・ミニチュアワンダーランドも敢え無く省略されている。

     

    ますますニュルブルクリンクが強烈だ。

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