避暑地への足
いわゆるザルツカンマーグート線の開通は1877年だった。ウィーンからリンツを経てザルツブルクに抜ける路線は、オーストリアの屋台骨ともいえるルートだから早くに開通していたのだが、途中プヒハイム・アットナングから分岐するザルツカンマーグート線の開通は少し遅れた。ザルツカンマーグート線の途中にあるイシュルは欧州中の名士が集まる大リゾート地ではあるのだが、長らく鉄道が通じていなかった。
王侯貴族といえども、プヒハイム・アットナングからグムンデン経由の馬車でイシュルに向かう手しかなかった。絶景の中ではあるのだがおよそ35kmの山道には難儀したと思われる。むしろマーラーのように自転車の方が気持ちがいいに決まっている。
ブラームスが避暑地にイシュルを選ぶのは1880年が最初である。大リゾート地イシュルの名声は高く、ずっと以前からブラームスの耳に入っていたに決まっているのだが、ブラームスがついにイシュルを選ぶことになったのは、ザルツカンマーグート線の開通によるところが大きいのではあるまいか。
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