ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年7月31日 (木)

協奏曲のカテゴリー

記事「第3次カテゴリー改訂」で、主要作品については作品毎に1個の独立カテゴリーを付与すると書いた。まずは交響曲で改訂を実施した。このほど協奏曲でも、「1曲1カテゴリー」を実現した。

2014年7月30日 (水)

カーレンベルクバーン

「Kahlenbergbahn」と綴る。ウィーンの北郊ヌスドルフとカーレンベルク山頂を結ぶラック鉄道。全長5.5kmで標高差314mを駆け上がる登山鉄道だ。わずか1年で営業停止になったレオポルドベルクのケーブルカー同様、ウィーン万博を当て込んだと思われる1874年の開業だが、こちらは1922年まで運行されていた。軌道に歯車を伴うという珍しい鉄道だから、話題にはなっていたと思われる。

始発のヌスドルフを出てすぐ次の駅がグリンツィンク駅だ。グスタフ・マーラーの墓があるところとして有名である。何より始発駅のヌスドルフは、ホイベルガーたちとしばしばハイキングに出かけているから、ブラームスもこのラック鉄道を見ているはずだ。

終点のカーレンベルクにだって出かけている。音楽之社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻249ページ。リヒャルト・フェリンガーはブラームスがカーレンベルクにハイキングに出かけたと記述している。年代の記載が無いもののおそらく1887年だと訳注が振ってある。

証言者たちの関心が巨匠ブラームスにばかり向いていて、鉄道にはからきしなのが残念だ。

2014年7月29日 (火)

リリプットバーン

「Liliputbahn」とつづる。ウィーンの象徴プラーター公園内を走る軌道幅381mmのミニ鉄道の名前だ。総延長3.9kmで、複線の両端がループになった特殊な環状線。駅は4つ。サイズが小さいだけで相当な本格派。ウイーンの地図、少し詳しい地図ならプラーター公園の中にちゃんと描かれている。もちろんSLが主役である。

いやはや桁外れの楽しさ。残念なことに開業は1928年5月だからブラームスは乗れていない。鉄道好きのドヴォルザークも間に合っていない。ドヴォルザークが生きていたら、ウイーン移住に踏み切っていたかも知れない。

2014年7月28日 (月)

ウィーンの鉄道事情

現代の地図で見るとオーストリアの首都ウィーンは、国土の東端にあるのだが、第一次大戦で破れるまでは、事情が少し違っていた。現代の国名でいうチェコ、スロヴァキア、ハンガリーを含む広大な領域を、ハプスブルク帝国の名の下に支配していた。そういう観点からは、首都ウィーンは国土の中央になる。

もういちどオーストリアの鉄道を見直してみる。ウィーンを発する路線を北部鉄道から時計回りに列挙する。

  1. Nordbahn オーストリア初の鉄道。厳密には当初北東に向かっているが、モラヴィアのブルノを経てプラハに達するために「北部鉄道」と呼ばれる。プラハから先、ドレスデンを経てベルリンに達し、やがてはハンブルクに抜ける。ブラームスが里帰りに使った路線。
  2. Marchegger Ostbahn 「マルヒェック東部鉄道」とでも解すべき。ウィーンの真東Marcheggに向かう鉄道という意味。現代も電化されていない。
  3. Pressburger Bahn 「プレスブルク線」 プレスブルクとはスロヴァキアの首都ブラチスラヴァのドイツ語読みだ。ウィーンからほぼ東に伸びる。
  4. Ostbahn 「東部鉄道」だ。ウィーンから出る時は東南に向かうがやがて東に転じてハンガリーのブダペストに向けてひた走る。「オーストリア-ハンガリー二重帝国」という枠組みを思うとき、その両者の首都を直結する重要路線だとわかる。
  5. Pottendorfer Linie 「ポッテンドルフ線」 ポッテンドルフを経由してウィーンノイシュタットで南線に合流する。南線のバイパスにも見える。 
  6. Sudbahn 「南線」 ゼメリンク峠を超えてヴィラハ経由でイタリアのウディネに抜けるメインルート。途中でグラーツへの分岐があり、こちらもまたイタリアに抜ける。第4交響曲のふるさとミュルツツーシュラークや、第二交響曲のふるさとペルチャッハに向かうにはこの南線を使う。
  7. Westbahn 「西線」 リンツを目指す。そこからはザルツブルクやニュルンベルクに行ける。イシュルに向かう際にはプヒハイム・アットナングまでこの西線だ。スイスの滞在先トゥーンからの帰路にも利用したと思われる他、1873年夏に一度きり滞在したトゥツィングからの帰路はミュンヘンを経て西線に乗ったはずだ。あるいはもっと近場、ウィーンの西郊プレスバムに向かうのもこの路線。そこではピアノ協奏曲第2番の作曲が進められたハズだ。
  8. FranzJosefsBahn 「フランツヨーゼフ線」 当時の皇帝の名前を採った路線の位置づけは相当に高いものだったに違いない。ウィーンから北西に向けてボヘミアに直行する路線。目指すはビールの街ブジェヨヴィツェ。名高い温泉リゾートであるカルルスバートに向かう最短距離だが、今はローカル線扱い。
  9. Laaer Ostbahn 「ラア方面東部鉄道」という意味だが、「ostbahn」という名前あまり正確ではない。というのはウィーンを出てほぼまっすぐに北を目指すからだ。先に上記1の「Nordbahn」が出来てしまっていたから「Nordbahn」とは名乗りにくかろうが、「Ost」と名乗るのというのはいかにも場違い。行き着く先はモラヴィアのブルノなので、位置づけとしても「Nordbahn」のバイパスに相当する。

2014年7月27日 (日)

ラプソディー寿

母ラプソディー寿の誕生日。

昨年は雨の歌寿だった、一昨年はヴァイオリン協奏曲寿だった。来年は大学祝典序曲寿だ。4年後まで目が離せない。

2014072711320000

2014年7月26日 (土)

インゴルシュタット経由

今や2年前となったドイツ旅行。旅行代理店のセッティングの範囲内でも、十分に楽しめる旅行だったのだが、長男と私は策をめぐらせた。ポイントは2012年4月2日の午後、ニュルンベルクで半日の自由行動の時間をどう過ごすかだった。

せっかくのドイツで何とか鉄道に乗りたいと欲して、ニュルンベルクから1駅だけICE乗車にトライするというものだった。クララの訃報に接して、イシュルから急遽フランクフルトに向かうブラームス傷心の旅路と重なるレーゲンスブルク-ニュルンベルクを含む旅程と決めた。ここまではよい判断だったが、単にニュルンベルクとレーゲンスブルクの往復にしたのが、無策だった。同じ線を行って帰るだけというのは、いかにも芸がなかった。

13時28分ニュルンベルクから真南にインゴルシュタットに向かう。この区間はドイツが誇るICE専用線で、時速300km運転が行われている。インゴルシュタット駅の直前にアウディトンネルをくぐる。距離にして90kmのインゴルシュタットには14時01分に着く。平均時速で180kmとはさすがだ。ここからは在来線に乗り換える。14時32分発のニュルンベルク行き各駅停車だ。ニュルンベルク着は15時32分。平均時速は70kmになってしまうから、ICEの速さを実感する。ここで1時間の待ち合わせの間にドナウ川岸まで往復する。

レーゲンスブルク発は16時29分で、ニュルンベルク着は17時25分だからホテルでの夕食にピタリと間に合ったはずだ。絶対にこのルートにするべきだったが、後の祭り。

2014年7月25日 (金)

ICE専用軌道

1964年に日本で新幹線がデビューしたとき、欧州の鉄道関係者は、新幹線が全線専用軌道だったことに衝撃を受けた。日本は在来線が1067mmの狭軌だったから、新幹線用に標準軌の専用線を敷設したに過ぎないのだが、既に在来線が標準軌の欧州から見ると斬新だったというわけだ。専用線を別に作ると、在来線との混在に比べたら高密度の運転が可能になる。

ドイツの新幹線ICEは、車両こそ最新鋭だが、在来線を走行する部分も多く、そうした場所では最高速度も抑え気味になっている。それでは効率が悪いとばかりに専用線の建設も始まっている。

  1. ベルリン⇔ヴォルフスブルク ベルリンからハノーファーを抜けてルール地方に至る大幹線だから納得。
  2. ハノーファー⇔カッセル⇔ヴュルツブルク ドイツ中央部を南北に貫く動脈。
  3. フランクフルト⇔ケルン 空の玄関フランクフルトとルール地方を結ぶ。
  4. マンハイム⇔シュトゥットガルト やがてウルムまで延伸しミュンヘンと繋がる。
  5. ニュルンベルク⇔インゴルシュタット これもまたミュンヘンに繋がる。
  6. ライプチヒ⇔ハレ エアフルトまで延伸の予定。やがてはニュルンベルクに繋がりそう。

専用線はまだこれだけ。

2014年7月24日 (木)

そりゃまずかろう

久々のビールネタ。

何食わぬ顔でブログの更新を維持しているものの、ドイツ代表がワールドカップに優勝した喜びにずっと浸っている。

ビットブルガーBitburger社は、サッカードイツ代表のオフィシャルパートナー。公式サプライヤーのようなもので1業種1社だ。祝勝会では同社のビールが用いられたと考えねばならない。

ファイナルを観戦したガウク大統領とメルケル首相が、優勝決定後のロッカールームを訪ねてチームを祝福した話は繰り返し報道されている。優勝直後のロッカールームだ。そりゃあさぞかし盛り上がっているだろう。メルケル首相は勝利の女神で、彼女が観戦した試合は、12勝1敗と言われている。

国の首脳2人を囲んでロッカールームで撮影された写真は世界中に配信されているからご覧になった向きも多かろう。右端でレーヴ監督がこぶしを振り上げている写真だ。ノイアーやゲッツェ、シュールレやフンメルスがいないのが気がかりではあるのだが、まあいい。

この写真で左手中ほどに写っているシュヴァインシュタイガーと、控えGKヴァイデンフェラーの手にビール瓶が握られている。これがめでたくビットブルガーだった。オフィシャルパートナーとしては当然だ。

ところがである。そのヴァイデンフェラーの後方からフィジコのクリスチャン・フーンが太い腕を差し出して何かを掲げている。困ったものだ。彼の手に握られているのはバドワイザーの缶だ。こりゃあ完全なやらかしだ。よりによってバドワイザーとは。2008年にベルギー・ブラジル合弁会社によって買収されたアンホイザー・ブッシュ社の旗艦ブランドだ。ブランドとしては世界一の売り上げを誇るが会社はもう存在しない。開催地が親会社のブラジルとはいえ、あんまりな仕打ちだ。もちろんバドワイザーは副原料をたくさん使用していて、ドイツ伝統のビール純粋令を満たしていない。いわゆるアメリカンラガーのブランドだ。

優勝に湧くロッカールームで、満面の笑みを浮かべたメルケル首相と選手たちの写真は世界中に配信されたというのに、バドワイザーの缶ビールが写っていては洒落になるまい。当日の優勝を想定して、ビットブルガーがロッカールームに持ち込まれるのは自然だが、何故バドワイザーが紛れ込むのだ。ブラジル市場にバドワイザーが蔓延しているにしても、この特別な日に、ロッカールームへの侵入を断固許してはなるまい。

世界的な売り上げ規模で申せばバドワイザーに叶うはずもないビットブルガーだが、世界チャンピオンの公式スポンサーとしては、脇が甘いといわざるを得ない。

鉄道特集を中断して、どうしても言及しておきたい。

2014年7月23日 (水)

3線の記憶

複線か複々線が馴染み深い日本では、3線の併走は少数派だ。先般のドイツ旅行で最初に泊まったレヴァークーゼンのホテルから、レヴァークーゼンミッテ駅が近かった。当然駅に出向いたが、それが何と3線だった。ドイツではこんなものかと思って気にも留めなかったのだが、最近はまっている「アイゼンバーンアトラス」で確認すると、3線になっているのは、レヴァークーゼンミッテ駅の前後だけで、両隣のバイヤーヴェルク駅とキュペルステーク駅は複々線になっている。

レヴァークーゼンミッテ駅は人口13万人を擁する同市の中核駅なのに、その周辺だけ複々線が途切れているのは、大変不思議だ。市の表玄関の駅がなんだか邪険にされている感じがする。

市の成り立ちを考えると少しは合点がゆく。そもそも同市は100万都市ケルンの北に位置するベッドタウンという側面がある。近郊鉄道のSバーンはそのケルンから伸びてくる。さらに同市は大製薬会社バイエルの企業城下町にもなっている。レヴァークーゼンミッテ駅の一つ手前の、バイエルヴェルク駅は文字通りバイエル工場の意味だ。

それにしても、「EISENBAHNATLAS」恐るべしだ。線路が3線か複々線か律儀に書き分けている。旅の記憶がまざまざとよみがえる。

2014年7月22日 (火)

博物館好き

記事「鉄道博物館」では、お気に入りの「Eisenbahatlas」でドイツ中の鉄道博物館を拾い集めた。公園の保存鉄道も「Museumbahn」と標記されているから、いわゆる箱モノだけを記したわけではないが、それにしても72箇所とは恐れ入った。

聞く所によるとドイツ人は博物館好きだそうだ。あらゆるジャンルの博物館がドイツ中にてんこ盛りになっている。日本にはいくつあるのだろう。小さいのまでいれても72箇所もないような気がする。

旧ドイツ国鉄、現在のDBを冠するのはコブレンツとニュルンベルクの2箇所。市内に3つあるライプチヒとフランクフルトが目立つ。捜し方が悪いのかベルリンには見当たらないのが意外だった。

2014年7月21日 (月)

オーストリアの実情

ドイツの鉄道博物館を列挙して驚いた。同じ事をオーストリアで試みる。

  1. Ferlach 「Histrama-Museum fur Technik und Verkehr」 クラーゲンフルトの南、21km。ケルンテンノスタルジー鉄道の終点。
  2. Hollersbach 「Besucher-Grubenbahn Jochberg」 オーストリア中部ツェル・アム・ゼーの西北80kmの山奥。銅山の坑内鉄道だ。
  3. Kerschbaum 「Museumpferdebahn Kerschbaun」 リンツ北方のチェコ国境付近。かつて存在した馬車鉄道の博物館。ケルシュバウム駅とその周辺が保存されている。
  4. Knittelfeld 「Eisenbahnmuseum」 レオベンの南西45km。
  5. Leitnerbraukeller 「SKGLB Museum」 最寄り駅「Leitnerbraukeller」モンドゼー湖畔の廃駅。なんと「ライトナー醸造所」駅だ。「SLGLB」はイシュルとザルツブルクを結んでいた狭軌鉄道で、今は無き「ザルツカンマーグートローカルバーン」の略称だ。
  6. Lieboch 「Eisenbahnmuseum」 グラーツの南西30km
  7. Murzzuschlag 「Sudbahnmuseum」 ブラームスゆかりの街にある。
  8. Salzburg 「Salzburger Freilichtmuseum」 野外博物館。
  9. Sigmundsherberg 「Waldviertler Eisenbahmuseum」 フランツヨーゼフ線がチェコとの国境に近づくあたり
  10. Vordernberg 「Erzbergbahnmusum」 オーストリア中部レオベンの北西40kmの山の中。

いやいや、予想は出来たがたったこれだけとは。国土の面積も鉄道の総延長も大きく違うからドイツとの単純比較は無理だけど、大した差だ。

2014年7月20日 (日)

鉄道博物館

今やすっかり愛読書ナンバー1の座に君臨する「ドイツ鉄道地図」から目が離せない。観光立国ドイツを代表する名所が、世界遺産を含めて軒並み容赦なく省略されている一方、役目を終えた路線が線路の撤去にもかかわらずキッチリ掲載されていて驚くほか、鉄道関連のランドマークは、まったくおろそかにされていない。そこで今回は、同鉄道地図に記載された「鉄道博物館」の列挙を試みる。一般にドイツ人の博物館好きは有名で、その種類と数は世界屈指だ。鉄道もその対象になる。ニュルンベルクのDBムゼウムがとりわけ名高いが、そこいら中に鉄道博物館がある。

「EISENBAHNMUESUM」と記載されているものの他、それに準じる記載も拾うことにした。最寄の駅をキーにアルファベット順に列挙する。

  1. AltSchwerin 「AgrarhistrischeMuseum」 旧東ドイツ・シュヴェリンの東60km。ひっそりと軌道幅60mmの保存鉄道。
  2. Asbach 「RSE Museum」 廃止鉄道の博物館。ボンの南東25km。
  3. Augsburug 「Bahnpark」 鉄道公園。
  4. Aumuhle 「Eisenbahnmuseum」 ハンブルクの東。ビスマルクの墓所に近い。
  5. BadSchwalbach 「Kurbahn」軌道幅600mmの温泉鉄道。
  6. Bayerischeisenstein 「BayerischLokalBahnMuseum」 チェコとの国境。バイエルンローカル鉄道協会直営。
  7. Beneckenstein 「Bahnhofmuseum」 直訳で駅博物館は珍しい。
  8. Berlin 「BerlinerParkEisenbahn」由緒正しき首都の鉄道公園。「Eichgestell駅」下車
  9. Berlin 「Deutsche Technikmuseum」ドイツ技術博物館。鉄道だけの展示ではないが、旧アンハルター貨物駅という立地が素晴らしい。
  10. Berlin 「U-Bahn Museum」 オリンピアシュタディオン駅至近の地下鉄博物館。
  11. Bernburg 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。軌道幅600mm。
  12. Bochum 「Eiesnbahnmuseum」 ダールハウゼン下車。
  13. Bockenau 「Kleinbahnmuseum」 軽便鉄道博物館。廃止された鉄道の記念に。
  14. Carlsferd 「Museumbahnhof」 保存駅舎。チェコに近い山中の廃線上。
  15. Chemnitz 「Eisenbahnmuseum」 
  16. Cottbus 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。
  17. Crispendorf 「Ferienlandeisenbahn」 軌道幅600mm。
  18. Dieiringhausen 「EisenbahnMuseum」 
  19. Dortmund 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。軌道幅600mm。ブンデスリーガの強豪、ボルシアドルトムントの本拠地ジグナルイドゥナパルク近郊。
  20. Dresden 「Verkersmuseum」 ドレスデン交通博物館。
  21. Dusseldorf 「Modelbahnclub Dusseldorf」 もしかすると鉄道模型かも。エラー駅下車。
  22. Enger 「KleinbahnMuseum」 ヘルフォルドの北西10km。
  23. Essen 「Gruga Parkeisenbahn」 
  24. Falkenberg 「EisenbahnMuseum」 
  25. Frankenscharnhutte 「Bergbaumuseum」 ハルツの山の中。鉱山鉄道系。
  26. Frankfurt am.M 「Verkersmuseum」交通博物館。
  27. Frankfurt am.M 「Frankfurter Feldbahnmuseum」フランクフルト野外鉄道。
  28. Frankfurt am.M 「Parkeisenbahn」軌道幅600mmの保存鉄道。
  29. Freilassing 「Eisenbahnmuseum」 ザルツブルクの西隣。
  30. Gera 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。軌道幅600mm。
  31. Gittersee 「Museum des Windbergbahn」 ドレスデンの南西近郊。
  32. Gramzou 「Brandenburgisches Museum fur Kleinen und Praivatbahnen」 ポーランド・シュゼッチンの南西およそ40km。
  33. Heilbronn 「Eisenbahnmuseum」 
  34. Himmelskeil 「Dampflokomotivmuseum」 蒸気機関車博物館。ザールブリュッケンの北45kmの山の中。
  35. Horb 「Eisenbahn Erlebniswelt」鉄道体験ワールド。
  36. Karlsruhe 「Schlossgartenbahn」 宮廷庭園鉄道とでも。
  37. Koblenz 「DB Museum」 ニュルンベルクと並ぶDB博物館。
  38. Kohlfuruterbrucke 「Strassbahnmuseum」路面電車博物館。
  39. Lengerich 「WestfalischesFeldbahnmuseum」 オスナブリュックの南西17km。
  40. Leipzig 「Eisenbahnmuseum」 プラグヴィッツ駅下車か。
  41. Leipzig 「Museumsfeldbahn Lindenau」リンデナウ野外保存鉄道。
  42. Leipzig 「Parkeisenbahn Auensee」 アウエン湖公園鉄道。
  43. Leverkusen 「Dampfebahnleverkusen」 ここも実際に見た。公園鉄道の廃線跡。
  44. Lindenberg 「PRIGNITZER KLEINBAHN-MUSEUM」 メクレンベブルク・フォルポムメルン州。
  45. Lubeck 「Vorwerkerkleinbahn」 軌道幅600mmの保存鉄道。 
  46. Lunebach 「Feldbahn im Eifelzoo」アイフェル動物園野外鉄道。
  47. Meppen 「Emstal MoorMuseum」 泥炭鉱山あとを利用した600mmの遊覧鉄道。
  48. Munchen 「Deutschesmuseum」 鉄道だけではないが相当の充実度。
  49. Neresheim 「Hartsferdbahnmuseum」 バイエルン山奥の軽便鉄道博物館。
  50. Neubrandenburg 「MPSB Museum」 今は廃止されたメクレンブルクポメルン狭軌鉄道。博物館のみ現役。ノイブランデンブルクの北西24km。
  51. Neuenmarkt-Wirsberg 「Deutsches Dampferlokomotiv Museum」 チェコ国境に近い田舎町に「ドイツ蒸気機関車博物館」
  52. Neustadt 「DGSG eisenbahnmuseum」 ルートヴィヒスハーフェンの南西。
  53. Noerdlingen 「Bayerischer Eisenbahnmuseum」 隕石の街ネルトリンゲン。由緒正しきバイエルン鉄道博物館。
  54. Nurnberg 「DB Museum」 この中で唯一行ったことがある。
  55. Oekoven 「Feld-u.WerkbahnMuseum」 ケルンの北西30km。
  56. Ostseebad-Kuhlungsborn-West MOLLI-MUSEUM」 メクレンブルク・フォルポムメルン州。ロストックの西15kmくらい。モリー鉄道の博物館である。
  57. Plauen 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。軌道幅600mm。
  58. Prignitz 「Prignitzer Kleinenbahn Museum」 ヴィッテンベルゲの東北東21km。
  59. Prora 「EISENBAHN-UND TECHNIKMUSEUM」 メクレンブルク・フォルポムメルン州。「鉄道技術博物館」とでもいうのだろう。北海に浮かぶリューゲン島にある。ナチスの建造物遺跡プローラに近い。最北の鉄道博物館。
  60. Rittersgurun 「SchmalspurbahnMuseum」 狭軌鉄道博物館。チェコ国境に近い山奥。
  61. Saarbrucken 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。軌道幅600mm。
  62. Schierwaldenrath 「KleinbahnMuseum」 アーヘンの北30km。
  63. Schonheide 「Museumbahnhof」 保存駅舎。チェコに近い山中の廃線上。
  64. Seebrugg 「Museumsbahnhof」フライブルクの南西35km。
  65. Selb 「Eisenbahnmuseum MEC」 ホフの南西25km。ほぼチェコ。
  66. Sehnde 「Strassenbahn-museum」 ハノーファーの南西10km。
  67. Serig 「Histrische Feldbahn」 歴史的野外鉄道。トーリアの南南西21km。
  68. Stadtlohn 「Eisenbahn Museum」 最寄り駅を含む周辺一帯には現役鉄道はなく、廃線だらけの中、博物館だけは現役。
  69. Schwarzenberg 「Eisenbahnmuseum」 ケムニッツの南南西33km。
  70. Stuttgart 「Strassebahnmuseum」 路面電車博物館。バートカンシュタット下車。
  71. Stuttgart 「Killesbergkleinbbahn」 極小軌道幅381mm。地下鉄キレスベルグメッセ下車。
  72. Thielenbruch 「Strassebahnmuseum」 路面電車博物館。ケルンの北西10km。
  73. Vatterrode 「Parkeisenbahn」 公園の保存鉄道。
  74. Witten 「Muttenthalbahn」 軌道幅600mmの保存鉄道。ボーフムの南西8km。
  75. Weimar 「Eisenbahnmuseum」 
  76. Wesseling 「KBE Museum」 ケルンボン鉄道の博物館。

2014年7月19日 (土)

ランケン

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻120ページ。ジョージ・ヘンシェルは1876年の夏をリューゲン島のザスニッツでブラームスと共に過ごした。7月19日ヘンシェルは一足先にベルリンに戻ることになり、ブラームスが駅まで送ってくれたと証言する。その駅を「ザスニッツから3マイルのランケン」だと明記している。

この「ランケン駅」が見つからなかった。3マイルだからおよそ5km。愛用の道路地図でザスニッツから5km付近を捜しても「ランケン」が見当たらない。英国生活が長いヘンシェルが使うマイルは「1600m」の方だ。

このほど買い求めた「ドイツ鉄道地図」で全ての謎が解けた。何のことはない終着駅ザスニッツの一つとなりの駅がランケンだった。「Lancken」という綴りも判明した。道路地図でもザスニッツの隣町に駅の記載があるのだが、その街の名は「Klementalvitz」という名前になっていた。道路地図だから街や集落の名前は書かれていても、そこの駅名は省かれている。集落名がそのまま駅名ではないことはよくある話だ。道路地図なのだから仕方が無い。

なお残る疑問は、距離程。ザスニッツからの距離は直線距離なら2マイルほどだ。これが3マイルと記したヘンシェルの証言と合わない。よくよく地図を見直すと、現行ザスニッツ駅から東に1km少々のところにSasnitzhafenという駅が、書いてある。今は無い駅だが、ブラームスの存命時はこちらがザスンニッツ駅だったかもしれない。ザスニッツのフェリー乗り場が後に移動したこともあって、廃止されたようだ。こちらの旧ザスニッツ駅を起点にすれば、ランケンは概ね3マイルの距離で矛盾がなくなるがかなり苦し紛れ。

本日の記事、苦労して7月19日に割り当てた。暑い夏こそ細か過ぎを恐れない。

2014年7月18日 (金)

マイルに注意

じっと鉄道ネタに復帰。

断り無く「マイル」と言えば距離の単位。1マイルはおよそ1600mだ。飛行機に乗ると貯まるのもこれに由来する。日本でもかなりな程度で知られている。

ところがドイツ鉄道の情報をあたっていると別のマイルがあることに気づく。19世紀ドイツでは1マイルがおよそ7.5kmだった。ドイツ系の書物を読む時に「マイル」と出てきたら、ひとまずどちらのマイルか確認が要る。

19世紀のドイツ・オーストリアの郵便体系では、7.5kmの方のマイルが基準として採用されている。「配達距離3マイル以内」などの設定があって、これが「1マイル=1600m」だと、やけに短くて不審だったが、7.5kmなら納得だ。

2014年7月17日 (木)

国の母

いやはや、本当にグレートな誕プレだった。

今日7月17日は、ドイツ連邦首相アンジェラ・メルケルの誕生日。1954年の生まれだから今日でちょうど還暦だ。日本では赤いちゃんちゃんこで祝うのだが、彼女はワールドカップ優勝で祝福された。

決勝戦は今大会ドイツ初戦に続いて2度目の観戦だった。この人筋金入りのサッカーファンで、人気取りの観戦ではない。事情が許せばドイツのゲームを全部見に行きたい口だ。野党の批判の対象になることさえあるが、動じる気配も無い。辛口のコメントだってビシビシと吐く。

そりゃ、嬉しいだろう。表彰の場面、メンバー一人ひとりを労う姿は「国の母」の風格だった。

そうだ。ドイツ初の女性宰相である彼女に、いつか次女たちオケの演奏を聞かせたい。果てしない夢だ。でも誰かが念じなければ実現しない。いつの日が実現したら、今日のこの記事をドヤ顔でリンクする。

2014年7月16日 (水)

おめでとうドイツ

みんなおめでとう。

統一後のドイツがワールドカップで初めて優勝した。決勝点を奪ったマリオ・ゲッツェは、統一後の生まれで長男と同い年。1974年西ドイツ大会の決勝を生中継で見て以来のドイツファンとして、本日のこの記事をお祝いにささげる。

2年前のドイツ旅行でニュルンベルクvsバイエルンミュンヘンの一戦を見た。その時にいた選手が下記の通り活躍してくれた。

  • GKマニュエル・ノイアー 
  • DFフィリップ・ラーム
  • DFイェロメ・ボアテング
  • MFバスティアン・シュヴァインシュタイガー
  • MFトニ・クロース
  • MFトマス・ミューラー

凄い人たちを生で見ることができたということだ。おまけにオランダのロッベンやフランスのリベリもいた。それにしてもノイアーはすごかった。ペナルティエリア内で異次元のパフォーマンス。一人だけバスケやってた感じがした。エリア外への飛び出しも再三にわたり、「走行距離はMVPのメッシより長かったろ」というジョークが笑えないほどの活躍。

2014年7月15日 (火)

お盆のファンタジー19

「MVPはノイアーだろ」と怒りが収まらないブラームスさんをなだめるように、ドヴォルザークさんが話題を変えてきた。

「俺も鉄道が好きだ」と不意に切り出した。ブログ「ブラームスの辞書」の鉄道特集を知っている口ぶりだ。

「知っていますよ」とわざと平然と私が応じる。「だから、あなたのためにプレゼントを用意した」と言いながら包みを渡した。

いそいそと包みを解いたドヴォルザークの表情がみるみる驚きに変わる。用意したのはメルクリン社の鉄道模型カタログの2014年版英語版だ。たっぷりと機関車が載っているのだが、ドヴォルザークはそれらを全部知っている感じだ。予想通り英語版が苦になっている様子はない。

「本物じゃなくてゴメン」と詫びたのだが耳に入っていない。「俺はサッカーより機関車だな」「今度来たときはショップを案内してくれ」などと言っている。「9月には鉄道特集であなたを取り上げる」と伝えておいた。

ブラームスは「さあ帰るぞ」と言ってドヴォルザークを引っ張って席をたった。これから天国でも祝勝会だそうだ。来年は誰を連れてくるのだろう。一生忘れないお盆になった。

2014061711010001

2014年7月14日 (月)

お盆のファンタジー18

ブラームスも私もサッカーの決勝戦に夢中になっている。ハーフタイムになってドヴォルザークが、ふと思い出したように切り出した。「今日は、あなたのブログの記念日か?」と。話が突然変わって面食らったが、確かに本日のこの記事をアップしたことにより、2005年5月30日のブログ「ブラームスの辞書」の創立から3333日連続の記事更新になる。ワールドカップの決勝戦の日になるとは、たいした奇遇だ。

「確かに今日で3333日になるが、何故知っているんだ?」と私。「そりゃあまあな」とブラームスがドヤ顔で切り返す。「3333日がお盆期間になることは前からわかっていたから、それに合わせて来たが、まさかファイナルと重なるとは」などど得意な口ぶりで、ドヴォルザークに向かって目配せをした。ドヴォルザークは大きなスーツケースから何かごそごそと取り出して私に手渡した。

おおお。ビールだ。驚いた私にブラームスは「あんたビールも好きだろ」と畳み掛ける。ドヴォルザークが言うには、プラハ最高のビールだということだ。今から急いで冷やすから後で飲もうということになった。

2014051520100000_2

2014年7月13日 (日)

お盆のファンタジー17

案の定ブラームスを追い越さんばかりの勢いでドカドカと上り込んできたのは、ドヴォルザークだった。「いやはや何とも」とつぶやいたっきり絶句している。ブラームスが見かねて「スペシャルコンサート凄い演奏だったな」と切り出す。

今回ばかりは私が切り出すべきだった。とっておきのビールを開けながら「完璧な天気をありがとう」と言うと、2人ともとんでもないというばかりに手を振りながら「お安い御用だ」と口をそろえる。「神様お天気手配センターに、ねじこんだからな」とブラームスがドヤ顔だ。

「演奏会場に集まる生徒たちを出迎えようというアイデアは素晴らしいな」と乾杯もそこそこにブラームス。「いやいや、サッカーというスポーツでは、大事な試合の当日、サポーターが選手たちを競技場の入り口で出迎える場合がある」と私がドヤ顔の番。

「おかげで演奏会までの準備を見させてもらった」とドヴォルザーク。まるでオペラにでもしたいような濃い一日だったよとブラームスが賛同する。

実際ブラームスとドヴォルザークは、プログラムにパンフをはさむ単純作業をOGや生徒たちに交じって手伝ってくれた。「ステリハを聴きに行かないのか」と水を向けると、「いやいや本番を楽しみにしているよ」と言って耳を貸そうとしない。「日本にはこんなに学生のオーケストラがあるのか」と驚いていた。「演奏会の開催日順に挟み込むとは、凄い配慮だな」とあきれ返るドヴォルザークだった。

「けれども1475人収容のホールを満員にするというのは、誰にでもできることではない」と私が切り返したのだが、開演を前にした聴衆の行列を見るまでは信じてもらえなかった。

やがて開場すると、ブラームスもドヴォルザークも今度はチケットもぎりを手伝ってくれた。開場からおよそ30分の間、絶えることのなかった入場者の列を見かねての好意だった。

改めて当日の手伝いに感謝すると、「いやいや、子供たちの演奏が素晴らしくて、お釣りをもらい過ぎた感じだよ」とブラームス。自作を2曲も演奏されたドヴォルザークは、いまだに放心状態だ。「たいていはプログラムの末尾におかれることの多い交響曲が、2曲目だったので、「おや」っと思っていたが、冒頭のトロけるようなチェロを聴いて納得させられた」とやっと口を開くドヴォルザークだった。「緩徐楽章を響きの頂点ととらえる解釈は、昨年のボロディンと同じだな」と眉間にしわを寄せたブラームスが割りこむ。「そうそう」とドヴォルザークが続ける。「そうした指揮者の解釈が、乙女たちに行き届いているのが素晴らしい」

「あの日の第二楽章は、本当に素晴らしかった」「テクニック上の難所を力任せに強行突破する若者も見かけるが、その対極にある丁寧な演奏だった」「クラリネット2本の繊細なソロには涙が出た」「第3楽章の再現部の入りには舌を巻いた」「生徒たちと指揮者の、太いきずなを感じた」「第3楽章の最後の弦楽器のエコーがかわいらしくて涙が出た」もう2人のやりとりが激しくて私が口をはさむ暇がない。

「第8交響曲で要所を締めたチェロには、3年生に経験者がいなかったのは知ってるか」とやっと私が割り込む。2人も同時に「経験者?」という反応。「3年生には高校に入ってからチェロを始めた子たちしかいないんだ」「チェロばかりではないけど、それを言い訳に使う子供たちじゃないから、こんなことを言ったのがバレたら叱られてしまうよ」と私。ブラームスもドヴォルザークも事態が全く呑み込めていない。

「そして謝肉祭だ」とブラームスがいうのだが、ドヴォルザークは「その前にカヴァレリアの間奏曲でしょ」と水を差す。「聴衆も奏者もこの時点で泣いていたね」「開演から3時間経過しているのに、まだ言い残しがある感じ」

「1年間の思いが詰まった謝肉祭ですよ」とやっと私が口をはさむ。「いやいや」とまたブラームスが遮る。「曲間に行われる管楽器奏者たちの座席移動が鮮やかだな」「あの整然とした動きは、もはや音楽の一部でしょ」

「それを言うならインタビューだ。その間、灯りの落ちたステージで何が起きていたか覚えているか」と興奮気味にドヴォルザークが話を逸らす。「結構な規模で椅子の並び替えが行われているのに、音もしないから、次にライトが点灯したときにびっくりしたよ」

「高校生活最後の演奏の意味を理解してくれてありがとう」と私。「この一年とりわけ「謝肉祭」はあの子たちの生活のすべてだった」と続ける。「子供たちの一年間の傾注に答えて余りある謝肉祭という作品の奥深さを感じた」と言いながらドヴォルザークに酌をすると、隣でブラームスからオーケーのサインが出た。

2014年7月12日 (土)

都市間移動

正確な定義は私の手に余る。

東京の新宿を基点に考えてみる。池袋や渋谷に行く場合には、「都市間移動」とは多分言わない。多分中野や錦糸町でも言わないだろう。八王子や川崎になると怪しいが、利用者の感覚では多分、都市内移動の気軽な感じだ。千葉や横浜だと「都市間移動」と言えそうだが、気分はまだまだ手近だ。小田原、宇都宮くらいになると自信も出て来る。

ブラームスの時代に当てはめてみる。大作曲家と認知されて以降、ブラームスは演奏旅行で各地を回った。とはいってもそこそこの大きな街が訪問の対象だ。ブラームスは30歳代以降、都市間移動を繰り返す生活をしていたことになる。

嬉しいことだ。その際の交通手段はほぼ鉄道であったと断言していい。いやむしろ鉄道の登場こそが、都市間移動を庶民に解放したととらえるべきだ。やがて都市間移動の手段は、遅れて台頭した自動車や航空機に侵食されて行き、現代ドイツにおける旅客都市間移動のシェアでは、それら両者に抜かれてしまっているのだが、ブラームスが生きた19世紀後半は、鉄道の黄金時代だった。

だからブラームスの生涯を解きほぐす際に、座右に備えるべきは「鉄道地図」のほうがよい。「道路地図」を補完的に用いて、情報の偏りを補正することは必要だが、メインは鉄道地図であるべきだ。現代鉄道の産物である高速鉄道ICE専用線さえ脳内消去すればよい。道路地図からアウトバーンを無視するより効率がいい。

現代の日本で、ドイツの鉄道地図と道路地図を入手する難易度を考えると、道路地図の方が格段に容易だ。価格も安い。鉄道地図になるとブラームス像のふくらみが違う。ブラームスの都市間移動を想像する際に、その経路が本当にリアルに特定できる。

2014年7月11日 (金)

廃線網

記事「カルテンバッハ考」で、イシュルのカルテンバッハ駅が、今はなき狭軌鉄道ザルツカンマーグート地方鉄道の駅だったことが判明したと喜んだ。このほど買い求めた「オーストリア鉄道地図」の威力だ。役目を終えた鉄道ルートも克明に収録されているという同社の編集方針がありがたい。

そのつもりで「ドイツ鉄道地図」を見直す。役目を終えた路線が、線路撤去済みのものも、線路だけは残っているものもそれとわかるよう表示されている。薄いグレーの表示が全部それとわかると、新たな驚きが湧き上がる。ドイツ全土に廃止路線がたくさんあることだ。

ブラームスの生きた時代から第一次大戦までがドイツ帝国の最盛期だったが、ドイツ鉄道網のピークもその時期だった。自動車や航空機の台頭を待つ間と一致する。そこから鉄道は、ICEによる復権まで、ゆるやかな斜陽時代となる。採算の合わぬ鉄道がドシドシ廃止されていったことが、よくわかる。

逆に申せば、それら廃線網は、ブラームス存命時はほとんどが現役だったと考えてよい。

2014年7月10日 (木)

Kanonenbahn

大砲鉄道とでも訳すといい。物騒な名前。1871年普仏戦争に勝利し、ドイツ帝国を立ち上げたプロイセンは、敗戦国フランスにアルザス・ロレーヌ地方を割譲させた。その中心都市がメツだ。ドイツ帝国の領国経営の中心になる。そのメツにむけて帝国首都ベルリンから鉄道を敷設することになった。着工は1872年で1880年全線開通。総延長およそ800kmのうち、300kmは既存線路を流用し、新規は500kmだ。

完成年から見てブラームスがここを通った可能性は残るものの、望み薄だ。なぜなら軍事物資の輸送に特化して、ハレ、マクデブルク、ゲッティンゲン、エアフルトなどの都市を巧妙に避けたルートになっている。一般客がわんさか集まる路線設定ではない。むしろ一般客に気兼ねせずに思う存分物資輸送をするために敷かれたと申してよい。

第一次大戦で同領土はフランスに復帰したから、存在意義が減じられてしまったものの、現在もその一部が使用されている。

そう、大砲など軍事物資を乗せた鉄道だというのがKanonenbahnという名称に反映している。

2014年7月 9日 (水)

フェン鉄道

廃線ネタを探していて興味深い話を見つけた。「フェン鉄道」は「Venbahn」と綴られる。ドイツのアーヘンからルクセンブルク方面に抜ける幹線としてプロイセンが建設した鉄道だ。普仏戦争を想定した準備の一環だったとも言われている。独仏国境沿いに南北に複線の鉄道を敷設したプロイセンの戦略だ。徒歩による歩兵の移動は1日20kmが限界だとされている。両端の駅での積み替えや乗り降りを入れても鉄道は徒歩の5倍の効率になるという。限られた兵力を目標地点に集中する効果は計り知れない。

元来ドイツ国内路線だったが、第一次大戦の結果、同路線の起点と終点がベルギー領となったことから話が複雑になる。中間に横たわるドイツ領を走る路線についてベルギーが領有を主張して、認められたために、鉄道の敷地だけがベルギー領となった。

コリドール状態の細長いベルギー領に分断される形でドイツ領が飛び地になった。第二次大戦以降同路線は次々廃止された。現在では往来の自由は保障されているものの、その旧軌道跡は法的にはベルギー領のままだ。

2014年7月 8日 (火)

カルテンバッハ考

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻181ページに、ホイベルガーがブラームスに診察を薦める記述がある。1896年7月7日、外観の変わりように驚いたホイベルガーが思い切って本人に忠告したというものだ。

その場所が、「ザルツカンマーグート鉄道線」の「カルテンバッハ駅」だったと書かれている。ずっとこのカルテンバッハがわからなかった。現代断りなく「ザルツカンマーグート線」といえばオーストリア国鉄のアットナングプヒハイムからシュタイナハ・イルドニングを結ぶ路線を指す。有数の景勝路線だから、ガイドブックにも載っていることが多い。

ところが、地図にもガイドブックにもカルテンバッハが見当たらない。はるか彼方のツィラータール線にはカルテンバッハがあるので、ホイベルガーの記憶違いかとも思っていた。「散歩の途中で」とも書いてあるからイシュルから徒歩圏内でなければならないのが厄介だ。

このほど思わぬところから謎が解けた。記事「廃線マニア」で言及した鉄道、イシュルからザルツブルクに抜ける狭軌鉄道がそのヒントだった。1890年開業で、1950年には廃止されたザルツカンマーグートローカルバーンという鉄道、略してSKGLBである。これが「ザルツカンマーグート鉄道線」と訳されていたということだ。まさか廃線だったとは。ブラームス本の訳者にそこまでの掘下げを求めるのは酷というものだ。

1890年にイシュル市街の西の端にあるイシュル駅を起点にヴォルフガング湖南を抜けてザルツブルクに至る軌道幅762mmの路線として開業し、その4年後1894年には国鉄イシュル駅まで延伸した。その延伸した部分に駅が一つ設けられた。まさにそれこそがカルテンバッハ駅だった。イシュル市街の南端にある。ホイベルガーの証言は1896年だから延伸後にあたる。

回想録の記述には何の矛盾もない。病身のブラームスがあまり遠出をしたとも思えないので、イシュル市街に南接するという立地は「散歩の途中」という表現にあう。この記事本来は7月7日に公開したかったのだが、長男の七夕プラレールネタに譲って本日の公開となった。

2014年7月 7日 (月)

七夕の願い事

長男が幼稚園の年長組だった頃の話だ。幼稚園の七夕飾りを見に行った。子どもたちが一人一枚短冊に願い事を書いていた。我が家の長男の願い事は「プラレール、パパとしたい」だった。

「プラレール」と言えば鉄道系の玩具の定番だ。私だって好きだったが、あのころ我が家は狭くて貧乏でプラレールが買ってもらえなかった。きっとその反動で、長男が生まれて以降、半ば私の楽しみでプラレールを買い与えた。6畳一間一杯にレイアウトを敷き詰め、機関車トーマスや新幹線を走らせた。レールのセッティングに3時間かかるので、長男は寝てしまうこともあった。それを子供心に楽しみにしてくれているとわかって妙に嬉しかった。

レールや列車は全部捨てずに取ってある。男の子の孫が出来たらまずはプラレールでお祝いだ。

2014年7月 6日 (日)

廃線マニア

鉄道マニアと一口に言ってもその範囲は広い。「車両」「運転」「特急」「夜行列車」「駅名」「時刻表」「グッズ」「写真」「旅行」「キップ」など、それぞれの分野でのディープな愛好家が存在する。「廃線マニア」もその一つである。かつて鉄道が走っていた痕跡に愛着を感じる人々だと仮に定義する。

今はさびついた線路、朽ち果てた駅舎、かすかに盛り上がった軌道跡、橋脚の名残りまでものが愛好の対象だ。古地図を片手にテクテクと散策という世界である。

1896年5月22日。クララの訃報をイシュルで受け取ったブラームスは急ぎフランクフルトに向かう。グムンデンを経由してヴァルスからパッサウに抜けようと画策したが、ヴァルスで乗り換え損なってリンツまで行くという失態を犯した。地図を広げた直感では、イシュルからザルツブルクに抜けて、そこからミュンヘン経由でフランクフルトを目指す方が効率的にも見えるが、イシュル-ザルツブルク間に鉄道が無いから、グムンデン経由もむべなるかなと一応納得した。

ところが、あれこれと調べているとどうも昔は、イシュル-ザルツブルク間に鉄道が敷かれていたらしい。ヴォルフガング湖南岸をかすめるルートだ。現代のガイドブックでは、ヴォルフガング湖へはバスを利用すると書いてある。1879年代から20世紀初頭まで鉄道があったとされている。つまりクララの訃報を受けたブラームスは、鉄道でザルツブルクへ抜けることも出来たということだ。惜しむべきはこの鉄道が軌道幅1000mmの狭軌で、ザルツブルクでは必ず乗り換えになってしまうということだ。クララにもしものことがあったら、グムンデン経由にすると決めていたに違いない。

2014年7月 5日 (土)

Luftseilbahn

ドイツ語でロープウェイのこと。語尾にバーンが来ているので鉄道の仲間扱いされているとわかる。ドイツ最古のロープウェイを調べてみた。

ザクセン州はケムニッツの南南東およそ35kmのところにクランツァール(Cranzahl)という駅がある。そこから人気ローカル線フィヒテルベルクバーンが分岐している。これに乗っておよそ16km南下して終点のクアオルトオーベルヴィーゼンタールに着く。ここから標高差およそ300mを上るロープウエイこそがドイツ最古に座に君臨している。

開業は残念ながら1924年12月29日でブラームスは間に合わない。あたりはドイツ有数のスキーリゾートとして知られ、鉄道愛好家以上にスキーヤーの間で有名だ。

2014年7月 4日 (金)

Standseilbahn

ドイツ語で「ケーブルカー」のことだ。

ブラームスが没した1897年以前に開業したケーブルカーのうちドイツ、オーストリア領内のものを創業年順に列挙する。

  1. 1460年 ザルツブルク。軌道幅1300mm。当初人力。電気に改装され現代に至る。世界最古のケーブルカー。
  2. 1845年 アルトナ。軌道幅不詳。アルトナ港にある。1879年に廃止されたが、ハンブルクの隣町でもあるから、ブラームスが知っていた可能性が高いし、乗っていたかもしれない。
  3. 1873年 ウィーン・レオポルドベルク。軌道幅不詳。1876年に廃止。万博がらみ。
  4. 1873年 ウィーン。ヒュッテルドルフ。軌道幅不詳。1881年に廃止。
  5. 1877年 ツァイツ。軌道幅1435mm。当初蒸気。1959年に廃止。
  6. 1888年 カールスルーエ。軌道幅1000mm。当初水力だったが電気式に改装されて現代に至る。現代も稼働中のケーブルカーとしてはドイツ最古。
  7. 1888年 ネロベルク。軌道幅1000mm。カールスルーエから2ヶ月遅れで創業。水力のまま現代に至る。
  8. 1890年 ハイデルベルク。軌道幅1000mm。当初水力だったが電気式に改装されて現代に至る。
  9. 1892年 ザルツブルク。軌道幅1040mm。当初水力。電気に改装されて現代に至る。
  10. 1894年 グラーツ。軌道幅1000mm。当初蒸気。電気に改装されて現代も稼働中。
  11. 1895年 バートピルモント。軌道幅不詳。1925年に廃止。
  12. 1895年 アンデルナハ。軌道幅1000mm。1944年に廃止。
  13. 1895年 ドレスデン。軌道幅1000mm。当初は蒸気、のちに電気式に改装されて現代に至る。

以上13箇所。1番から4番まではブラームスが知っていた可能性が高い。

2014年7月 3日 (木)

鴎外とケーブルカー

1886年9月7日および8日、ミュンヘンに居を構えていた森鴎外はシュタルンベルク湖畔レオニー郊外にあるロトマンの丘を続けざまに訪問した。レオニーに投宿しながらロトマンの丘に日帰りをした。

ロトマンの丘は、レオニーの南およそ1kmの景勝地で、頂上からは西側にシュタルンベルク湖を望むことが出来る。先般入手した「ドイツ鉄道地図」を見て驚いた。レオニーからロトマンの丘にケーブルカーがあったらしい。現代は廃止扱いなのだが、線路が残っているというアイコンが記されている。総延長880mで標高差91mと細かなデータも添えられている。1897年開業で1919年には廃止されてしまった。

鴎外の独逸日記には、徒歩でロトマンの丘に登ったと明記されている。開業前に訪れたのだから当たり前。

好奇心旺盛な鴎外だから、見るなり乗るなりしていれば独逸日記に必ずその痕跡を残したと思うので残念。

2014年7月 2日 (水)

プラハのケーブルカー

ブラームスがウィーンのケーブルカーを知っていたかという話について、裏づけを取ろうと調べていてお宝情報に遭遇した。

ドヴォルザークの住まいがあったジトナー通りから西北西に1500mほどの位置、モルダウ川の反対側にペトシーン山という高台がある。標高133mだがプラハ市内を眺めるには絶好のポイント。この山に麓からケーブルカーが敷かれている。今も現役のこのケーブルカーの完成は1891年だった。ブラームスは無理だが、ドヴォルザークは絶対にその存在を知っていたに決まっている。アメリカ滞在中をのぞいておよそ10年間もこのケーブルカーと同じ街に住んでいたことになる。

2014年7月 1日 (火)

ウィーンのケーブルカー

ブラームスはケーブルカーを知っていた可能性が高い。ヴィースバーデン郊外のネロベルクバーンに乗った可能性はゼロに近く、知っていた可能性は五分五分だが、なんとかケーブルカーだけは知っていた可能性を見出だした。

1873年5月ウィーンで開幕した万国博に合わせて、同年7月にはウィーン郊外ドナウ河畔のドナウヴァルテから、レオポルドベルクの山頂までケーブルカーが開業した。標高423mながら山頂からはウィーン市街が一望できるというのが売り。現在では撤去されているこのケーブルカーをブラームスが知っていた可能性はかなり高い。

ブラームスがこれに乗車したという直接の証拠は確認できていないが、1873年の万国博と合わせて開業した観光上の呼び物だから、話くらいは聞いていたと考えるのが自然だ。1880年代以降友人ホイベルガーが、かなりの頻度でブラームスとのハイキングに言及し、ウィーンの北郊一帯が話題になるのだが、ケーブルカーの話は一度も出てこない。そこにケーブルカーがあれば、乗ったかもしれないし、少なくとも話題にはなっただろう。言及の欠落はケーブルカーがなかった証拠とも思える。

1873年の万国博は華々しく開幕したのだが、開幕直後の5月9日ベルリン株式市場の暴落が起きた。これに道連れになる形で、オーストリアは未曾有の不景気に突入した。同ケーブルカーは1876年に営業を取りやめた。

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
無料ブログはココログ