ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« Nerobergbahn | トップページ | プラハのケーブルカー »

2014年7月 1日 (火)

ウィーンのケーブルカー

ブラームスはケーブルカーを知っていた可能性が高い。ヴィースバーデン郊外のネロベルクバーンに乗った可能性はゼロに近く、知っていた可能性は五分五分だが、なんとかケーブルカーだけは知っていた可能性を見出だした。

1873年5月ウィーンで開幕した万国博に合わせて、同年7月にはウィーン郊外ドナウ河畔のドナウヴァルテから、レオポルドベルクの山頂までケーブルカーが開業した。標高423mながら山頂からはウィーン市街が一望できるというのが売り。現在では撤去されているこのケーブルカーをブラームスが知っていた可能性はかなり高い。

ブラームスがこれに乗車したという直接の証拠は確認できていないが、1873年の万国博と合わせて開業した観光上の呼び物だから、話くらいは聞いていたと考えるのが自然だ。1880年代以降友人ホイベルガーが、かなりの頻度でブラームスとのハイキングに言及し、ウィーンの北郊一帯が話題になるのだが、ケーブルカーの話は一度も出てこない。そこにケーブルカーがあれば、乗ったかもしれないし、少なくとも話題にはなっただろう。言及の欠落はケーブルカーがなかった証拠とも思える。

1873年の万国博は華々しく開幕したのだが、開幕直後の5月9日ベルリン株式市場の暴落が起きた。これに道連れになる形で、オーストリアは未曾有の不景気に突入した。同ケーブルカーは1876年に営業を取りやめた。

« Nerobergbahn | トップページ | プラハのケーブルカー »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ウィーンのケーブルカー:

« Nerobergbahn | トップページ | プラハのケーブルカー »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2020年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ