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2014年7月28日 (月)

ウィーンの鉄道事情

現代の地図で見るとオーストリアの首都ウィーンは、国土の東端にあるのだが、第一次大戦で破れるまでは、事情が少し違っていた。現代の国名でいうチェコ、スロヴァキア、ハンガリーを含む広大な領域を、ハプスブルク帝国の名の下に支配していた。そういう観点からは、首都ウィーンは国土の中央になる。

もういちどオーストリアの鉄道を見直してみる。ウィーンを発する路線を北部鉄道から時計回りに列挙する。

  1. Nordbahn オーストリア初の鉄道。厳密には当初北東に向かっているが、モラヴィアのブルノを経てプラハに達するために「北部鉄道」と呼ばれる。プラハから先、ドレスデンを経てベルリンに達し、やがてはハンブルクに抜ける。ブラームスが里帰りに使った路線。
  2. Marchegger Ostbahn 「マルヒェック東部鉄道」とでも解すべき。ウィーンの真東Marcheggに向かう鉄道という意味。現代も電化されていない。
  3. Pressburger Bahn 「プレスブルク線」 プレスブルクとはスロヴァキアの首都ブラチスラヴァのドイツ語読みだ。ウィーンからほぼ東に伸びる。
  4. Ostbahn 「東部鉄道」だ。ウィーンから出る時は東南に向かうがやがて東に転じてハンガリーのブダペストに向けてひた走る。「オーストリア-ハンガリー二重帝国」という枠組みを思うとき、その両者の首都を直結する重要路線だとわかる。
  5. Pottendorfer Linie 「ポッテンドルフ線」 ポッテンドルフを経由してウィーンノイシュタットで南線に合流する。南線のバイパスにも見える。 
  6. Sudbahn 「南線」 ゼメリンク峠を超えてヴィラハ経由でイタリアのウディネに抜けるメインルート。途中でグラーツへの分岐があり、こちらもまたイタリアに抜ける。第4交響曲のふるさとミュルツツーシュラークや、第二交響曲のふるさとペルチャッハに向かうにはこの南線を使う。
  7. Westbahn 「西線」 リンツを目指す。そこからはザルツブルクやニュルンベルクに行ける。イシュルに向かう際にはプヒハイム・アットナングまでこの西線だ。スイスの滞在先トゥーンからの帰路にも利用したと思われる他、1873年夏に一度きり滞在したトゥツィングからの帰路はミュンヘンを経て西線に乗ったはずだ。あるいはもっと近場、ウィーンの西郊プレスバムに向かうのもこの路線。そこではピアノ協奏曲第2番の作曲が進められたハズだ。
  8. FranzJosefsBahn 「フランツヨーゼフ線」 当時の皇帝の名前を採った路線の位置づけは相当に高いものだったに違いない。ウィーンから北西に向けてボヘミアに直行する路線。目指すはビールの街ブジェヨヴィツェ。名高い温泉リゾートであるカルルスバートに向かう最短距離だが、今はローカル線扱い。
  9. Laaer Ostbahn 「ラア方面東部鉄道」という意味だが、「ostbahn」という名前あまり正確ではない。というのはウィーンを出てほぼまっすぐに北を目指すからだ。先に上記1の「Nordbahn」が出来てしまっていたから「Nordbahn」とは名乗りにくかろうが、「Ost」と名乗るのというのはいかにも場違い。行き着く先はモラヴィアのブルノなので、位置づけとしても「Nordbahn」のバイパスに相当する。

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