廃線マニア
鉄道マニアと一口に言ってもその範囲は広い。「車両」「運転」「特急」「夜行列車」「駅名」「時刻表」「グッズ」「写真」「旅行」「キップ」など、それぞれの分野でのディープな愛好家が存在する。「廃線マニア」もその一つである。かつて鉄道が走っていた痕跡に愛着を感じる人々だと仮に定義する。
今はさびついた線路、朽ち果てた駅舎、かすかに盛り上がった軌道跡、橋脚の名残りまでものが愛好の対象だ。古地図を片手にテクテクと散策という世界である。
1896年5月22日。クララの訃報をイシュルで受け取ったブラームスは急ぎフランクフルトに向かう。グムンデンを経由してヴァルスからパッサウに抜けようと画策したが、ヴァルスで乗り換え損なってリンツまで行くという失態を犯した。地図を広げた直感では、イシュルからザルツブルクに抜けて、そこからミュンヘン経由でフランクフルトを目指す方が効率的にも見えるが、イシュル-ザルツブルク間に鉄道が無いから、グムンデン経由もむべなるかなと一応納得した。
ところが、あれこれと調べているとどうも昔は、イシュル-ザルツブルク間に鉄道が敷かれていたらしい。ヴォルフガング湖南岸をかすめるルートだ。現代のガイドブックでは、ヴォルフガング湖へはバスを利用すると書いてある。1879年代から20世紀初頭まで鉄道があったとされている。つまりクララの訃報を受けたブラームスは、鉄道でザルツブルクへ抜けることも出来たということだ。惜しむべきはこの鉄道が軌道幅1000mmの狭軌で、ザルツブルクでは必ず乗り換えになってしまうということだ。クララにもしものことがあったら、グムンデン経由にすると決めていたに違いない。
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