ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« Luftseilbahn | トップページ | 七夕の願い事 »

2014年7月 6日 (日)

廃線マニア

鉄道マニアと一口に言ってもその範囲は広い。「車両」「運転」「特急」「夜行列車」「駅名」「時刻表」「グッズ」「写真」「旅行」「キップ」など、それぞれの分野でのディープな愛好家が存在する。「廃線マニア」もその一つである。かつて鉄道が走っていた痕跡に愛着を感じる人々だと仮に定義する。

今はさびついた線路、朽ち果てた駅舎、かすかに盛り上がった軌道跡、橋脚の名残りまでものが愛好の対象だ。古地図を片手にテクテクと散策という世界である。

1896年5月22日。クララの訃報をイシュルで受け取ったブラームスは急ぎフランクフルトに向かう。グムンデンを経由してヴァルスからパッサウに抜けようと画策したが、ヴァルスで乗り換え損なってリンツまで行くという失態を犯した。地図を広げた直感では、イシュルからザルツブルクに抜けて、そこからミュンヘン経由でフランクフルトを目指す方が効率的にも見えるが、イシュル-ザルツブルク間に鉄道が無いから、グムンデン経由もむべなるかなと一応納得した。

ところが、あれこれと調べているとどうも昔は、イシュル-ザルツブルク間に鉄道が敷かれていたらしい。ヴォルフガング湖南岸をかすめるルートだ。現代のガイドブックでは、ヴォルフガング湖へはバスを利用すると書いてある。1879年代から20世紀初頭まで鉄道があったとされている。つまりクララの訃報を受けたブラームスは、鉄道でザルツブルクへ抜けることも出来たということだ。惜しむべきはこの鉄道が軌道幅1000mmの狭軌で、ザルツブルクでは必ず乗り換えになってしまうということだ。クララにもしものことがあったら、グムンデン経由にすると決めていたに違いない。

« Luftseilbahn | トップページ | 七夕の願い事 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 廃線マニア:

« Luftseilbahn | トップページ | 七夕の願い事 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ