ランケン
音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻120ページ。ジョージ・ヘンシェルは1876年の夏をリューゲン島のザスニッツでブラームスと共に過ごした。7月19日ヘンシェルは一足先にベルリンに戻ることになり、ブラームスが駅まで送ってくれたと証言する。その駅を「ザスニッツから3マイルのランケン」だと明記している。
この「ランケン駅」が見つからなかった。3マイルだからおよそ5km。愛用の道路地図でザスニッツから5km付近を捜しても「ランケン」が見当たらない。英国生活が長いヘンシェルが使うマイルは「1600m」の方だ。
このほど買い求めた「ドイツ鉄道地図」で全ての謎が解けた。何のことはない終着駅ザスニッツの一つとなりの駅がランケンだった。「Lancken」という綴りも判明した。道路地図でもザスニッツの隣町に駅の記載があるのだが、その街の名は「Klementalvitz」という名前になっていた。道路地図だから街や集落の名前は書かれていても、そこの駅名は省かれている。集落名がそのまま駅名ではないことはよくある話だ。道路地図なのだから仕方が無い。
なお残る疑問は、距離程。ザスニッツからの距離は直線距離なら2マイルほどだ。これが3マイルと記したヘンシェルの証言と合わない。よくよく地図を見直すと、現行ザスニッツ駅から東に1km少々のところにSasnitzhafenという駅が、書いてある。今は無い駅だが、ブラームスの存命時はこちらがザスンニッツ駅だったかもしれない。ザスニッツのフェリー乗り場が後に移動したこともあって、廃止されたようだ。こちらの旧ザスニッツ駅を起点にすれば、ランケンは概ね3マイルの距離で矛盾がなくなるがかなり苦し紛れ。
本日の記事、苦労して7月19日に割り当てた。暑い夏こそ細か過ぎを恐れない。
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