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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2014年8月31日 (日)

クララのゼメリンク

1866年4月8日にクララがブラームスに宛てた手紙がある。

「最愛のヨハネス」と始まるその手紙はグラーツから差し出されたものだ。前日にウィーンから到着したことが報告されているのだが、ウィーンからグラーツへの列車移動のことが書かれている。実ははっきりと「列車移動」とは書かれていないのだが、「ゼメリンク峠」の景色を褒めちぎっていることから、列車でゼメリンク峠を越えたことは確実である。

1854年に世界最初にアルプスを鉄道で越えた路線で、オーストリア景勝ルートにも11番目に取り上げられているばかりか、世界遺産にもなっている。

その手紙で、クララは14日にはウィーンに戻ると明記しているから、14日にまたゼメリンク峠を越えたと推定できる。

ブラームスは1862年にウィーンに進出した。1866年までは、ハンブルクかバーデンバーデンで夏を過ごしていた。ペルチャッハやミュルツツーシュラークに行くなら、あるいはイタリア旅行での経路によってはゼメリンク峠を越えることもあるが、クララのこの手紙の時点ではブラームス自身ゼメリンク峠を越えたことがない。

2014年8月30日 (土)

オーストリア景勝ルート

記事「ドイツ景勝ルート」で試みたことをオーストリアでやってみた。

  1. Bruck an der Mur-Villach 「川」 ★★★★★ウィーンからイタリアに抜ける大幹線だから絶対に乗っている。イタリアはもちろんペルチャッハに行くにも乗ったはず。
  2. Gmunden-Steinach Irdning 「山」「湖」 ★★★★★いわゆるザルツカンマーグート線だ。イシュルに行くにはこれに乗る。
  3. Innsbruck-Brenero 「山」 ★★★★いわゆるブレンナー峠越えだ。9回のイタリア旅行の往復18回のチャンスのうち1度くらいは通っているだろう。
  4. Innsbruck-GarmischPartenkirchen 「山」 ★★★インスブルック-ミュンヘン間の大動脈だから乗っていそう。
  5. Innsbruck-Schwarzach-St.Veit 「山」「谷」 ★★★ザルツブルク-インスブルック間の裏街道。第二の選択肢だが絶景では上かも。3度のスイス・トゥーン行きの機会に1度くらいはという気もする。
  6. Landeck-Bludenz 「山」 ★★★★★オーストリア西端。スイスに行くには必ず通る。
  7. Linz-Krems 「川」 ★★ドナウ沿岸をのんびりのローカル線。乗車目的で来ない限り望み薄。
  8. Si.Polten-Mariazell 「山」 ★★乗車目的で来ない限り望み薄。
  9. Salzburg-Villach 「山」「谷」 ★★★オーストリアアルプスを南北に縦断する。ゼロとは断言出来ない。
  10. Selzthal-Hieflau-Steyr 「山」「谷」「川」★乗車目的で来ない限り望み薄。
  11. WIenerNeustadt-Semmering 「山」 ★★★★★第4交響曲作曲の街、ミュルツツーシュラークに行くには必須。世界遺産だ。絶対に乗っている。

2014年8月29日 (金)

ドイツ景勝ルート

先に紹介したトーマスクック社の時刻表に欧州各国の「Scenic Rail Route」が掲載されている。編集部お勧めの路線という位置づけだ。「海岸線」「森」「峡谷」「湖」「山」「川」に分類されている。ドイツのお勧め路線を列挙する。ブラームスが乗っていた可能性を★印で示しておいた。

  1. Arnstadt-Meiningen 「山」 ★★★終点が第4交響曲ゆかりのマイニンゲンだから、きっとブラームスも乗っていると考えたいが、途中に全長3039mのブランドライテトンネルがあるのが気がかり。そんなに長いトンネルが当時掘れていたかやや心配。
  2. Bonn-Siegen 「川」 ★厳密にはボンの対岸からジーク川沿いを遡る。ローカル線だから乗っていないかも。沿線で演奏会があったとも思えない田舎。知人宅でもない限り乗ってるなら相当なマニア。
  3. Dresden-Decin 「谷」「川」 ★★★★★終点はチェコ。いわゆるエルベ渓谷。ハンブルクからプラハを経てウィーンに抜ける幹線上にあるから、絶対に乗っている。
  4. Freiburg-Donaueschingen 「谷」「森」 ★いわゆるヘーレンタールバーン西半分。黒い森を貫く人気路線だが、超ローカル線なのでブラームスの乗車は望み薄。
  5. GarmischPartenkirchen-Kempten 「山」 ★ドイツ最高峰ツークシュピッツェの登山口とも言える街から、オーストリア領内を通って南バイエルンのケンプテンへ抜けるアルプス縦走なだのが、さすがに乗っていなさそう。
  6. Heidelberg-Neckarelz 「川」 ★★★★★シューマン没後、当地を訪れた。行きは徒歩で帰路は乗車したはす。
  7. Koblenz-Mainz 「谷」「川」 ★★★★★世界遺産ライン渓谷を走る。途中にはローレライも見える。クララ葬儀に急行した際乗った可能性は高いほか、フランクフルトと低地ライン地方を結ぶ幹線だから頻度高く乗ったはず。
  8. Munchen-Lindau 「山」 ★★ミュンヘンとボーデン湖畔を結ぶ。チューリヒやベルンに行く際利用した可能性はある。
  9. Murnau-Oberammagau 「山」「湖」 ★現代でこそ大人気のローカル線だが、多分乗っていない。
  10. Naumburg-Saalfeld 「川」 ★★★ライプチヒからバイエルンに向かう準幹線だからあるいは乗ったかもしれない。
  11. Niebull-Westerland 「海」 ★ジルト島と本土を結ぶ筑堤上の路線。弟子マンディチェフスキーの故郷だが、ブラームス在世中に完成していない。
  12. Nurnberg-Pegnitz 「谷」「川」 ★ニュルンベルクからペグニッツ川沿いを遡るのだが、まあ乗っていなさそう。
  13. Offenburg-Konstanz 「山」「森」 ★★黒い森を南北に貫く。トリベルク付近の蛇行で名高いが、いかんせん田舎で乗ったか疑問。
  14. Pforzheim-Nagold/Wildbad 「森」 ★これも黒い森を縦貫するが、さらに田舎。
  15. Plattling-BayerischEisenstein 「森」 ★★起点のプラットリンクはウィーンとニュルンベルクを結ぶ大幹線上にあるのだが、そこから分岐の当ヴァルトバーンはいかにも辺鄙。終着駅はチェコ国境となる。
  16. Rosenheim-Berchtesgaden 「山」「湖」 ★★★★ザルツブルクからインスブルックに抜けるコリドールの東半分と一致。ウィーンからスイスに抜ける際の第一選択肢のはずだから乗っている。ベルヒテスガーデンにも行ったことがあるから全線乗っている可能性大。
  17. Rosenheim-Worgl 「山」 ★★★★先のコリドールの南半分。終着はオーストリア領。
  18. Stuttgart-Singen  「森」 ★これも黒い森を南北に貫く。現代の人気は高いが、いかんせん田舎で乗ったか疑問。
  19. Titisee-Seebrugg 「湖」「森」 ★黒い森観光のハイライト的位置づけだが、やはり乗っていなさそう。
  20. Trier-Koblenz-Giessen 「川」 ★★★トーリアとコブレンツ間はモーゼル川、クブレンツとギーシェン間はラーン川沿いを走る。トーリア-コブレンツ間は乗ったかもしれない。
  21. Ulm-Goppingen 「山」 ★★★★これも黒い森。何より終着のゲッピンゲンは、鉄道模型メルクリンの本社がある。ブラームスはウルムには行ったことがあるので乗車の可能性は高い。
  22. Ulm-Tuttlingen 「川」 ★ヘーレンタールバーンの東半分。黒い森を東西に貫くが、ブラームスは乗っていなさそう。 

2014年8月28日 (木)

販売100冊

「ブラームスの辞書」の販売がこのほど100冊に達した。「販売」というのは、代金と引き換えということだ。代金を頂戴せずに差し上げたケースもあるにはあるが、今回100冊というのは、お買い上げが100冊に到達したということだ。

99冊目が売れた時に、そのことではしゃぐと何だか物欲し気なので記事にするのは見送った。2005年7月11日の刊行から10年を待たずに100冊が売れたということになる。いやはやありがたい。見ての通りの弱小自費出版本にお金を払って所望してくださった方々がいるということだ。

存在を訴える方法が、このブログに限られていることを考えると、100冊は快挙だ。

2014年8月27日 (水)

まさかの200本

昨日の記事で鉄道特集が200本に到達した。もはや音楽系ブログではない感じ。「ブラームス」をキーワードに据えたSEO(検索エンジン最適化)上では、愚の骨頂の域である。

まあ元々鉄道好きな私にはピッタリの企画で、もはやブラームスへのこじつけも諦めているくらいだ。用意した記事を全部公開すると年内一杯かかりそうなのが悩みのタネ。11月には新企画に入りたい別の事情もあるので、備蓄記事を見直し中である。

つまり、ぬるい内容の記事を削除したり、複数本に分かれた記事を1本にまとめたり、何とか11月中にゴールする工夫だ。いわば「記事の濃縮」である。

2014年8月26日 (火)

テーブルナンバー

トーマスクック社の時刻表を見ていて不思議に思うことがある。日本の時刻表では「東海道新幹線」「東海道本線」というような路線名が必ず明記されているのに、トーマスクックでは一切それがない。ドイツだけではなくてヨーロッパ全部がそうなっている。代わりに付与されているのがテーブルナンバーだ。ドイツには800番から949番があてがわれている。

  • 0-99 国際列車
  • 100-249 英国
  • 250-399 フランス
  • 400-449 ベルギー、ルクセンブルク
  • 450-499 オランダ
  • 500-578 スイス
  • 580-649 イタリア
  • 650-689 スペイン
  • 690-699 ポルトガル
  • 700-728 デンマーク
  • 730-769 スウェーデン
  • 770-787 ノルウェイ
  • 790-799 フィンランド
  • 800-949 ドイツ
  • 950-997 オーストリア
  • 1000-1099 ポーランド
  • 1100-1169 チェコ
  • 1170-1196 スロヴァキア
  • 1200-1299 ハンガリー

このうち580番にローマを含まないイタリアと、800番にベルリンを含まないドイツの2カ国を除いて、全て最小の番号は首都を通る路線になっている。この番号にない、スロヴェニア、マケドニア、クロアチア、ギリシャ、ブルガリア、ルーマニアなども最小の番号の路線は首都を通る。まさか第二次大戦の敗戦国だからというオチではあるまいな。

2014年8月25日 (月)

ヨハネス・ブラームス号

トーマスクックの時刻表を見ていてお宝を発見した。「Johannes Brahms」と名付けらた列車があった。「EC」だから「在来線特急」のイメージだ。本日は2011年秋号で列車番号177の「ヨハネス・ブラームス号」を追いかけてみる。

  • 12時48分 ベルリン中央駅発 何故ハンブルク発ではないのか。
  • 12時55分 ベルリン南
  • 14時15分 エルステルヴェルダ
  • 14時52分 ドレスデン中央駅着
  • 15時08分 ドレスデン中央駅発
  • 15時35分 バートシャンダウ
  • 15時52分 デーチン着 チェコとドイツの国境の駅
  • 15時54分 デーチン発
  • 16時09分 ウスティ・ナド・ラベム着
  • 16時13分 ウスティ・ナド・ラベム発
  • 17時16分 プラハ北
  • 17時28分 プラハ中央駅着
  • 17時39分 プラハ中央駅発
  • 18時17分 コーリン
  • 18時39分 パルドゥビチェ
  • 20時22分 ブルノ中央駅着 このあたりモラヴィア。
  • 20時24分 ブルノ中央駅発
  • 20時57分 ブレツラフ
  • 22時04分 ウィーン(マイトリンク)着

所要時間は9時間44分だ。

2014年8月24日 (日)

トーマスクック

英国の旅行代理店。「Thomas Cook」というスペルを見ていると気付きにくいのだが、どうも創業はドイツらしい。1840年頃巡礼の旅人たちに鉄道のキップや宿屋の手配をしたのがはじまりだ。おそらく世界最古の旅行代理店と目されている。1850年に開催されたロンドンにおける第一回万国博覧会への観光客を大量に裁いて軌道に乗ったとされている。

さらにおりしも欧州に巻き起こった鉄道敷設ブームに乗って、鉄道の時刻表を刊行する。1873年に創刊された「コンチネンタルタイムテーブル」というのがそれだ。同社の刊行する時刻表は現在も尚続くロングセラーで、「ヨーロッパ鉄道時刻表」として日本語版も出されている。

日本の時刻表に慣れている人なら、すぐに見方が判るようになる。

2014年8月23日 (土)

ラインゴルト

さまよえるオランダ人」で思い出した話。「Rheingold」と綴る。「ラインの黄金」という意味。ワーグナーの楽劇のタイトルと一致する。ライン川の底に沈められた黄金にまつわる伝説に由来する国際特急列車の名前だ。

営業開始は1928年5月15日だから、ブラームスには直接関係がないものの、ドイツの鉄道ネタとしては避けて通れぬ話。時代によって変遷するがほぼ、アムステルダムとバーゼルを結ぶと考えてよい。

激動の時代を走りぬけ1987年まで存続していた。

2014年8月22日 (金)

さまよえるオランダ人

名高いワーグナーのオペラのタイトル。ドイツ語では「Der Fliegende Hollander」綴る。英語では「Flying Dutchman」だ。元々は喜望峰がらみの幽霊船の話だったがワーグナーがそれを題材にとった。記事「空飛ぶハンブルク人」で取り上げたベルリン-ハンブルク間の特急列車の名前「Der Fliegender Hamburger」が、この話に由来するのは明らかだ。さすがにこれを「さまよえるハンブルク人」と訳すのは気がひけただけだ。

それにしても幽霊船にまつわる名前を列車名に採用するとは大胆な話であると、早合点してはいけない。1851年英国グレートウエスタン鉄道に登場した特急は、長らく世界最速の列車の座に君臨していた。もちろん蒸気機関車が牽引するのだが、何と300kmの距離を平均時速85kmで駆け抜けていた。その列車の名前が「Flying Dutchman」だった。しかしながら当時英国で無敵を誇った競走馬の名前という説もある。

つまりドイツの空飛ぶハンブルク人は、世界最速の列車を運行するにあたり、過去の世界最速の列車名の中の「ダッチマン」の部分を「ハンブルク人」に差し替えたものだ。幽霊船にちなんだのではなかった。むしろ並々ならぬ決意の表明であった。

和訳には注意が要る。幽霊船なら「さまよえる」で結構だが、列車名としては「空飛ぶ」あたりに落ち着かざるを得まい。

2014年8月21日 (木)

急行馬車

記事「空飛ぶハンブルク人」で、ベルリン-ハンブルク間の高速列車の話をした。ベルリンハンブルク間およそ300kmの所要時間が2時間18分であることを驚いた。現代のICEでも90分かかるからだ。

首都ベルリンと港湾都市ハンブルクを結ぶ鉄道は日本で言えば東海道本線のようなものだ。この所要時間はいつも人々の興味の対象だった。ブラームスが生まれた2年後に産声を上げた鉄道だったが、それ以前は長距離馬車が運行されていた。鉄道に交代する直前の馬車はベルリンとハンブルク間にどれほどの時間をかけていたのか調べていて興味深い話をみつけた。

それが急行馬車だ。ドイツ語では「Schnellpost」と綴る。1820年代まで通常の馬車便を使うとベルリン-ハンブルク間はおよそ90時間かかっていた。替馬や郵便作業、乗客の食事は入っていたが、宿泊に要する時間は除かれた値だ。1830年頃急行馬車が考案された。馬車の台車に金属製の板バネが用いられるようになって、乗り心地が向上したことが大きな理由らしい。ドイツらしくことこまかな運行ルールが定められた。替馬や郵便業務にかかる時間に制限を儲けたばかりか、客の食事時間にも干渉した。結果達成された所要時間が31時間30分だ。丸5日かかっていたのが3日短縮されたというイメージだ。

ブラームスが広く活動を始めた1850年代には鉄道にとって変わられていたから、ブラームスが急行馬車に乗った可能性は低いが、前期ロマン派の巨匠たちは乗っていたかもしれない。

2014年8月20日 (水)

馬車鉄道大国

ブラームスが生まれた1833年の時点で、鉄道が敷かれていたのは英国だけなのだが、それは蒸気機関車が牽引するという条件に限っての話だ。馬に引かせる馬車鉄道は、オーストリアがおよそ300kmにも及ぶ鉄道網を持っていた。世界最長の馬車鉄道網はハプスブルク帝国にあった。

プラハの南にあるビールの名産地ブジェヨヴィツェから、オーストリアのリンツを経て、グムンデンに至るおよそ190kmに及ぶ堂々たる馬車鉄道だ。1872年馬車鉄道は蒸気機関車を擁する鉄道との競争に破れて廃止されてしまい現存しない。軌道幅はとても珍しい1106mm。ブジェヨヴィツェ市内に駅の遺構があるらしい。

何故現代では幹線とは呼びがたいこのルートに長大な馬車鉄道が敷かれていたのかというと、興味深い話にたどりつく。終点のグムンデンはブラームスの伝記にもしばしば現れる保養地なのだが、そこを含む南側一帯はザルツカンマーグートという景勝地であり、同時に塩の産地でもあった。問題の馬車鉄道は同地の塩をチェコ側に輸送する動脈の機能を持っていた。グムンデンに集積された塩は、リンツの北で国境を越えてボヘミアに入り、ブジェヨヴィツェまでやって来る。そこで待ち受けるのはモルダウ川で、やがてエルベ川となる。ドナウ水系とエルベ水系を馬車鉄道が繋いでいたということだ。

2014年8月19日 (火)

鉄道馬車

レール上の客車を馬に引かせる鉄道。蒸気機関車や電気機関車が現れる前、欧州の主要都市で普通に見られた形態だ。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻82ページ。ブラームスが友人と連れ立ってウィーン郊外に散歩に出かけたとホイベルガーが証言する。鉄道馬車をつかってヒーツィンクまで行き、そこから徒歩でロダウン、さらにはカルテンロイトゲーベンに足を伸ばしたとある。カルテンロイトゲーベンから鉄道に乗って帰宅したとある。

ヒーツィンクはウィーンの西南西およそ8kmの街、シューンブルン宮殿の西に接する位置。ここまでは現在も路面電車が通じている。

ロダウンはヒーツィンクの南南西およそ5kmの集落。ここから西南西におよそ3kmでカルテンロイトゲーベンだ。

問題は帰路。カルテンロイトゲーベンからウィーン市街に向かう路面電車は現在は存在しない。ホイベルガーは鉄道で帰ったと断言しているから当時はおそらく路面電車が通じていたのだと思う。現在はバス路線が通じているばかりである。

ブラームスが鉄道馬車に乗ったという貴重な証言。

2014年8月18日 (月)

オムニバス

CDショップのジャンル分けで見られる。様々なジャンルや作曲家の作品が1枚のCDに収録されていた場合、そのCDが置かれるのは「オムニバス」という棚になることが多い。分類不能のCDが集められることになる。

「オムニバス」とはフランス語で「乗り合い馬車」のことだ。路面電車やバスあるいは地下鉄やタクシーが台頭するまでの間、都市内近距離交通の根幹であったとされている。ラテン語で「全てのために」を意味する「オムニス」の与格複数形だという。

鉄道が開業し始めた頃、客車に用いられていたのは乗り合い馬車オムニバスから転用した車両だった。既に都市では珍しくもなくなっていた馬車が、単にレールの上を走った馬車鉄道だから、馬に代わって機関車が牽引役になっても、軌道幅がそのまま維持されるのは自然なことである。

お気づきの通りこれが「バス」の語源だと唱える学者もいるらしい。

2014年8月17日 (日)

湯治場

ドイツで買い求めた鉄道地図の中に奇妙な一群を見つけた。ザクセン州の南部チェコとの国境に近い山中に「Kurort~」という地名が集中している。これが本日話題の「湯地場」くらいの意味になる。「Kur」は治療とか保養の意味。「クアハウス」という日本語にもなっている。「ort」は場所だから合わせて「湯治場」くらいがよい。

温泉を意味する地名には「Bad」がある。これはとても有名で、ドイツ語圏全体に広がっているのだが、「Kurort」はザクセンに集中している。などと思っていたが、手元の道路地図だと「kurort」が脱落した表記になっている。

さらに調べる。トーマスクックの時刻表では、「Kurort」の入った標記になる。

街の名前に「Kurort」を冠して駅名に採用したということに間違いあるまい。

そうした命名がなぜザクセン州南部にばかり出現するのか説明がつかない。「温泉」よりも「湯治場」の方がひなびた感じがしてしまう。ローカルな鉄道の終着駅になっていることが多く地図を眺めるだけで旅情を感じる。

2014年8月16日 (土)

温泉の決め手

産業革命の先陣をきった鉄道の位置づけからして、初期の鉄道が貨物輸送目的だったことは事実である。しかしながら蓋を開けてみると想定以上に旅客が集まった。鉄道会社にとって嬉しい誤算だ。

鉄道会社は荷物の獲得同様に、集客に工夫を凝らすようになる。ビジネス目的の都市間移動は今ほど見込めなかった時代ではあるのだが、保養地、リゾート地へ人々を輸送することを画策する。目をつけたのは温泉だ。数ある温泉地は先を争って鉄道駅を誘致するようになる。駅の無い温泉は衰退の憂き目にあった。自慢の「ドイツ鉄道地図」巻末の索引で「Bad~」という駅を数えた。213箇所あった。他に「Baden」がつく駅も6つある。

ドイツ語版のウイキペディアで調べると、ドイツ国内で「Bad」で始まる地名は181箇所とされている。全てに駅が最低1個ある計算だ。

2014年8月15日 (金)

中央突破

分水界の話が出たついでに。

ドイツ地勢は「南高北低」だ。南ほど土地が高い。だから基本的に川は北に向かって流れる。水源と河口、あるいは大河との合流点を比べると水源が南になる。ところが例外となる地域が一部ある。フランケンアルプスとシュヴァーベンアルプスの南側斜面でのみ、南に流れる川が存在する。ナアプ川、アルトミュール川、ブレンツ川などで、どれも最終的にはドナウ川に合流する。

北流系と南流系の川の水源が5kmも離れていない場所があり、その両者の傍を走る鉄道路線があると書いた。記事「ヨーロッパ分水界」だ。

今日の話はその変形。一昨年訪問したローテンブルクの東北およそ12kmにアルトミュール川の水源がある。この川はやがてドナウ川に注ぐから南流系だ。その水源の西北西わずか3kmlの位置にアイシュ川の水源がある。こちらはやがてマイン川に繋がる北流系だ。

そのわずか3kmの間隙をついて、ヴュルツブルクとアンスバッハを結ぶ幹線が走っている。「ヨーロッパ分水界」と違い、谷あいを登りつめての通過ではないから、目立たぬがこちらは分水嶺を尾根伝いに突破するから、むしろ豪快だ。ヴュルツブルクとミュンヘンを結ぶ幹線だから、ブラームスが通った可能性で申せばこちらが上だ。

2014年8月14日 (木)

ヨーロッパ分水界

ドイツ語で「Europasche Wasserscheid」と綴る。いかにも大袈裟だが、これがドイツの鉄道名所になっている。シュトゥットガルトの東およそ72kmに、アアレン(Aalen)という街がある。ここから南に非電化のローカル線ブレンツバーンは分岐する。コッヒャー川の谷あいを遡ることおよそ10km少々でオーベルコッヘン駅に着く。その南南西1kmにコッヒャー川の水源がある。

オーベルコッヘン駅の次の駅はケーニヒスブルン駅。同駅の北西2kmのところに、ブレンツ川の水源がある。両水源は5kmも離れていない。

前者コッヒャー川はやがてネッカー川に注ぐので、ライン川水系。一方のブレンツ川はドナウ川に注ぐからドナウ水系だ。つまりオーベルコッヘン駅とケーニヒスブルン駅の中間で分水界を越えるということだ。たしかにドナウとラインは欧州を代表する大河なのだが、これを「ヨーロッパ分水界」と名づけているというのがほほえましい。

バイエルン州を南と北に分けるのはシュヴァーベンアルプスとフランケンアルプスだが、本日話題のヨーロッパ分水界はシュヴァーベンアルプスの山中にある。シュヴァーベンアルプス自体がラインとドナウの分水嶺だから、これを越える鉄道路線は皆「分水界」を通過するのだが、水源同士がこれほど近い上に、その両水源のすぐそばを通過する路線は大変珍しいのだ。

ブラームスがここを通過したことがあるかどうかは、不明。

2014年8月13日 (水)

Vienenburg

ブラウンシュヴァイクの南40kmにある駅。魔女の宴会で名高いブロッケン山北麓だ。1840年開業の小さな駅なのだが、この駅は現役で使用されている駅舎としてドイツ最古である。現在でこそ幹線からはずれているのだが、普墺戦争まではドイツ東西交通の要衝でもあったからハンブルクからゲッティンゲンに向かう際には、通ったと思われる。

そもそも今でこそ、現役最古駅の座に君臨する同駅だが、ブラームス在世当時はもっと古い駅が現役だったハズなので、アガーテに会うために先を急ぐブラームスがスルーしていたとしても文句は言えまい。

2014年8月12日 (火)

首都のクラブ

欧州のサッカーを例に取る。各国の首都には強豪クラブが存在する。ロンドン、パリ、ローマ、マドリード、アムステルダム、リスボンみな優勝経験のあるクラブの本拠地になっている。例外はドイツだ。現在ドイツ・ブンデスリーガ1部にはヘルタベルリンというクラブがあるけれど、彼らの優勝は第二次世界大戦前に2度有るだけで、最近はからきし元気がない。2部落ちもちょくちょくある。ベルリンが旧東ドイツ地区にあったことも影響はしているもの思われる。

さて、鉄道特集真っ只中でこの話題というのは理由がある。ヘルタベルリンのメインスポンサーは、ドイツ最大の鉄道会社ディーバーンになっている。DBだ。

2014年8月11日 (月)

DB Schenker

朝の通勤電車から見える、どうにも気になる景色の話。大きな倉庫の壁面に大きく「DB Schenker」と書いてある。「Schenker」という綴りがどうにもドイツっぽいので気になっていたが、このほど意味がわかった。

「DB」は「Deutsche Bahn」または「Die Bahn」の略で「ドイツ鉄道」くらいの意味。これに「Schenker」が続くと「ドイツ国鉄の貨物運用会社」となる。JR貨物みたいなものだろう。

ドイツ国内での貨物輸送のみならず、国際貨物事業にも参入している。日本の大手運輸会社と業務提携しているそうだ。

2014年8月10日 (日)

電化方式

鉄道の電化の話はブラームスへのこじつけが絶望的に難しいから、ほどほどにせねばならない。山岳鉄道系の話が続く流れの中で無理やり言及する。

ドイツバーンの電化率は50%程度。交流1万5千ボルトで周波数は16.7Hzである。ドイツの電化方式はほとんどこれで事足りる。ケムニッツの郊外と、ケルンの郊外に例外が少々あるほか、国境付近において隣国の方式が若干ドイツ内に及んでいる程度だ。

魔女伝説で名高いブロッケン山の東方、ハルツの山懐深くにリューベラント鉄道がある。ブランケンブルクからホルンベルクまで28kmの貨物専用線だ。付近から産出する石膏の積み出し用である。ブランケンブルクから幹線の駅ハルベルシュタットまでを結ぶ路線は非電化。それどころかあたり一帯は非電化区間ばかりなのだが、このリューベラント鉄道だけはなぜか電化されている。しかもドイツで一般的な交流1万5千ボルト16.7Hzではなくて、交流2万5千ボルト50Hzだ。ドイツではここ一箇所だけの電化方式で、どこかで聞いたことがあると思ったら、日本の東北・上越新幹線と全く同じだった。軌道幅も標準軌なので、直線の場所なら新幹線の車両を走らせそうだ。よっぽどの事情があるはずだ。

ブロッケン登山で名高いハルツ狭軌鉄道の起点ヴェルニゲローデに近いが、貨物専用線だから観光ガイドブックからは無視されている。

2014年8月 9日 (土)

急勾配

急勾配は何と申しても鉄道の難所なのだが、実は名所にもなる。愛用の「鉄道地図」の巻末に急勾配ランキングでも掲載されていればいいのだが、そうも行かないので、目を皿にして捜してみた。

ドイツ最南端、オーストリア国境に近いガルミッシュパルテンキルヘンをまずは探し当てる。そこから「BZB」という登山電車が分岐している。ドイツ最高峰ツークシュピッツェ登山用の鉄道だ。ガルミッシュパルテンキルヘンから6つ目の駅アイプゼー(Eibsee)と7つめの駅Ausweiche3という貨物駅の間に存在する250‰という勾配が、ドイツ最高の急勾配だ。ドイツ最高峰ツークシュピッツェに登る途中にドイツ最高の急勾配があるというのはシンプルで覚えやすい。

ちなみにオーストリア最高の急勾配は、SKGBという登山電車。ヴォルフガング湖畔からシャフベルクシュピッツェに上る途中にある255‰だ。1893年の開業で、ブラームス晩年の避暑地イシュルに近いのであるいはと妄想が広がる。

高原の駅は何だか涼しそうだが、急勾配はあまり涼しくない。

2014年8月 8日 (金)

オーストリア最高駅

記事「ドイツ最高駅」でドイツで最も標高の高い駅に言及した。標高の高い駅の話は、何となく涼し気だからだ。

よって、しからばオーストリアはとなるのが自然だ。同じようにケーブルカーやロープウエイの駅を除きオーストリアで最も高いところにある駅は、「Brennersee Terminal駅」だと思われる。自動車を列車に乗せるためのターミナルだから正確な標高は不明。すぐ隣イタリア側のブレンナー駅が1371mなので、ほぼ同じか少し低いかもしれない。やや下がったオーストリア領内にブレンナーゼーという廃止された駅があり、これが1351mとなっている。位置的に見てここよりは高そうなので、1351mより高く、1371mより低い感じだ。便宜的に1361mと中を取っておく。日本最高駅の野辺山駅1346mと大変に近い。

ブラームスは、ブレンナー峠を越えたことがありそうなので、こちらも通過している。

純粋な旅客駅で現在営業中の駅で申せば「St Anton駅」(1303m)が最も高いと思われるが、トンネルの開通により新設された駅なので、ブラームスの時代には無かった可能性が高い。

2014年8月 7日 (木)

ドイツ最高駅

ドイツ国内で最も高いところにある駅はどこかという話題。ケーブルカーやロープウエイを除いてドイツで最も標高の高い駅は、バイエルン州の「Klais駅」で標高933m。ミュンヘンからシュタルンベルク湖の西畔を南下し、名高いスキーリゾート地ガルミッシュパルテンキルヘンに至る。そこから急カーブで東に向きを変えておよそ12kmの位置だ。

線路はやがて南に方向を変えやがてオーストリアに入る。インスブルックを過ぎてブレンナーからイタリアに抜ける、古来からのメインルートに当たる。

おそらくブラームスも一度や二度は通ったことがあるはずだ。イタリア旅行に同行する友人とはイタリアのどこかで落ち合うことが多かった。1888年はヴィトマンとヴェローナで待ち合わせている。ヴェローナはブレンナー峠を下ったところにあるから、ブラームスがウィーンから駆けつけるなら、ザルツブルクからインスブルックを経由してブレンナーを越えた公算大である。つまりドイツ最高駅を彼は通過している。

ちなみに日本最高駅は、小海線の野辺山駅で標高1346m。

2014年8月 6日 (水)

地図記号のシャープ

音楽の世界で「♯」と言えば、半音上げることを指示するメジャーな記号だ。愛用の鉄道地図にも時折「♯」が現れる。決まって線路の交点に添えられている。

鉄道地図における「♯」は、線路の平面交差を意味している。言われてみると交差部分の線路の形状が「♯」に見えなくも無い。分岐ではないから、その場所で進路を変えることは出来ない単なる線路の平面交差だ。路面電車では見かけることもあるが、通常の鉄道では数が少ない。

2014年8月 5日 (火)

ベルン行

音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品シリーズ」のブラームスは170ページに興味深い記述。スイス・トゥーンに滞在したブラームスがときどきベルンのヴィトマンを鉄道に乗って訪ねたと書かれている。

ベルンはスイスの首都で、トゥーンの北北西31kmの位置。東京と千葉くらいの距離。実はバーゼルからベルン、トゥ-ンを経て南下し、シンプロントンネルを抜けてミラノに至るルートは当時も今も大動脈だ。現在では30分ごとに特急が行き来する。その特急に乗ってしまうとトゥーンの次はもうベルンで、所要時間は18分でしかない。

トゥーン滞在時のブラームスの生活は規則正しくて、5時に起きて散歩とコーヒー。作曲は午前中に済ませて午後は知人を訪ねるというものだった。ベルン訪問は午後からでも十分に可能な距離、特急に乗らなくてもOKだったと思われる。

2014年8月 4日 (月)

デビュー戦の相手

14-15シーズンからスイス1部リーグ・バーゼルに移籍した日本代表MF柿谷曜一郎が、昨日リーグ戦デビューを果たした。昨今日本人選手の欧州移籍は、さほど珍しくもない。いちいちデビューのたびにブログで取り上げてはキリがないのだが、今回は例外。

デビュー戦の相手がトゥーンだった。ブラームスが1886年から1888年まで3度の夏を過ごしたあのトゥーンだ。だから思わず言及した。

柿谷曜一郎にブラームスのご加護を特盛で。

2014年8月 3日 (日)

ワイン本線

ライン右岸線の駅の話だ。ライン川東岸を北から南に遡るとしよう。ローレライを過ぎて3つ目の駅がロルヒだ。「Lorch」と綴る。そこから各駅停車に駅を列挙する。

  1. Lorch
  2. Assmanshausen
  3. Rudesheim
  4. Geisenheim
  5. Oestlich-Winkel
  6. Hattenheim
  7. Erbach
  8. Eltville

何と言うことはないドイツにありがちな地名の羅列なのだが、ドイツワイン愛好家はこれだけで頭に血がのぼるハズだ。モーゼルとともにドイツワインの頂点に君臨するラインガウの心臓部だ。これらの地名は同時に高級ドイツワインのブランド名にもなっている。

2番のアスマンスハウゼンの少し南でライン川が大きく曲がり、しばらく東西に横たわると、やがて3番のリューデスハイム。ここはブラームスゆかりの地。この地のワイン業者の妻がベッケラートといい、名高い肖像で有名だ。第三交響曲のために滞在したヴィースバーデンではブラームスを手厚くもてなした。食卓にはラインワインがあったに違いない。

4番は世界的に有名なワイン醸造大学がある。5番目のOestlich-Winkelは2つの地区の合成駅名で、どちらも名高い吟醸地だ。シュロスヨハニスベルクもこの近くだ。何やらフランスっぽ7番エルトヴィレから北上して谷あいに入るとブランド畑のオンパレードだ。

2014年8月 2日 (土)

ワイン列車

乗客にワインを振舞うお座敷列車の類ではない。

ハプスブルク家代々の皇帝は、ハンガリー・トカイ産の貴腐ワインを愛した。フランス・ソーテルヌ、ドイツ・モーゼルと並び3大貴腐ワインと賞される超高級ワインの産地がトカイだ。とりこになったのは皇帝ばかりではなく、シューベルト、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウスまでもがその味わいを激賞した。

秋も深まる頃ティサ川とボドルク川の合流点トカイでは、川の蒸気で霧が立ち込めることで、貴腐菌ボトリティス・シネレアがブドウに付着する。その収穫は早くても10月末で、年末にずれ込むこともある。トルコ軍の侵攻で収穫が出来なかった偶然が、貴腐の発見だったというまことしやかな起原譚も残っている。約136kgの仕込み樽に、150kgの貴腐ブドウが仕込まれるとトカイ・アスー・エッセンシアという最高級品になる。樽で2~3年の熟成の後、瓶詰めされてさらに1~2年でやっと飲み頃。

ハプスブルクの宮廷には飲み頃になったワインをチェックするための係官がいた。毎年秋に現地に派遣されて出来映えを確認し、規格適合品だけをウィーンに送るためだ。トカイ産貴腐ワインをウィーンに送るために19世紀の後半以降専用列車が仕立てられたという。

2014年8月 1日 (金)

一家の名前

1838年1月6日にフローリッツドルフとドイチュワグラム間に開通したオーストリア初の鉄道は、正式には「Kaiser Ferdinando Nordbahn」という。時の皇帝フェルディナンド1世に因む命名だ。オーストリア初期の鉄道は、そのときどきの皇帝など、王室の中心人物の名前が付けられた。

  1. 1838年 Kaiser Ferdinando Nordbahn オーストリア初の鉄道。プラハ、ドレスデンを経てベルリンにつながり、果てはハンブルクに抜ける。
  2. 1858年  Kaiserin Elisabeth Bahn リンツ、ザルツブルクを経てインスブルックに。現代のウエストバーン。バイエルン出身のエリザベート王妃の名前がつくのは自然。里帰りには利用したはずだ。第一次大戦後、領土が大きく目減りした今、オーストリアに残る最大の幹線だ。
  3. 1866年 Kaiser Franz Josef Bahn グミュンドからチェコ・ブジェヨビチェに抜ける。今は幹線とはいえない。
  4. 1868年 Kronprinz Rudolfs Bahn 1888年に自ら命を絶った皇太子の名前がここに残る。母后妃の名前にちなんだ「Kaiserin Elisabeth Bahn」から分岐して南に向かい、ヴィラハからイタリアに抜ける。後に建設されたイシュルに行くザルツカンマーグート線は、支線の一つだ。

ブラームスはどれにも乗っている。

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      はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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