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2014年8月20日 (水)

馬車鉄道大国

ブラームスが生まれた1833年の時点で、鉄道が敷かれていたのは英国だけなのだが、それは蒸気機関車が牽引するという条件に限っての話だ。馬に引かせる馬車鉄道は、オーストリアがおよそ300kmにも及ぶ鉄道網を持っていた。世界最長の馬車鉄道網はハプスブルク帝国にあった。

プラハの南にあるビールの名産地ブジェヨヴィツェから、オーストリアのリンツを経て、グムンデンに至るおよそ190kmに及ぶ堂々たる馬車鉄道だ。1872年馬車鉄道は蒸気機関車を擁する鉄道との競争に破れて廃止されてしまい現存しない。軌道幅はとても珍しい1106mm。ブジェヨヴィツェ市内に駅の遺構があるらしい。

何故現代では幹線とは呼びがたいこのルートに長大な馬車鉄道が敷かれていたのかというと、興味深い話にたどりつく。終点のグムンデンはブラームスの伝記にもしばしば現れる保養地なのだが、そこを含む南側一帯はザルツカンマーグートという景勝地であり、同時に塩の産地でもあった。問題の馬車鉄道は同地の塩をチェコ側に輸送する動脈の機能を持っていた。グムンデンに集積された塩は、リンツの北で国境を越えてボヘミアに入り、ブジェヨヴィツェまでやって来る。そこで待ち受けるのはモルダウ川で、やがてエルベ川となる。ドナウ水系とエルベ水系を馬車鉄道が繋いでいたということだ。

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