クララのゼメリンク
1866年4月8日にクララがブラームスに宛てた手紙がある。
「最愛のヨハネス」と始まるその手紙はグラーツから差し出されたものだ。前日にウィーンから到着したことが報告されているのだが、ウィーンからグラーツへの列車移動のことが書かれている。実ははっきりと「列車移動」とは書かれていないのだが、「ゼメリンク峠」の景色を褒めちぎっていることから、列車でゼメリンク峠を越えたことは確実である。
1854年に世界最初にアルプスを鉄道で越えた路線で、オーストリア景勝ルートにも11番目に取り上げられているばかりか、世界遺産にもなっている。
その手紙で、クララは14日にはウィーンに戻ると明記しているから、14日にまたゼメリンク峠を越えたと推定できる。
ブラームスは1862年にウィーンに進出した。1866年までは、ハンブルクかバーデンバーデンで夏を過ごしていた。ペルチャッハやミュルツツーシュラークに行くなら、あるいはイタリア旅行での経路によってはゼメリンク峠を越えることもあるが、クララのこの手紙の時点ではブラームス自身ゼメリンク峠を越えたことがない。
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