橋崩落
音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻の39ページに興味深い記述がある。クララの4女オイゲーニエの証言だ。
1882年9月のこと。13日クララの誕生日を祝うためイタリア・コモ湖畔ベラジオに仲間が集まった。クララとその娘たち、ブラームスと友人のビルロートだ。15日にはヴェニスで、リーズル夫妻に会う手はずになっていた。段取りの全貌は下記の通りと推定される。全員で15日までにヴェニスに入る予定。
- 9月13日 全員でベラジオを船で出発。
- およそ1時間でコモに到着。
- コモから列車でミラノに移動して宿泊。
- 9月14日 朝ミラノを列車で出発。
- 同日中にヴェニスに到着。
現代の特急でミラノ-ヴェニス間は4時間まではかからない。当時としても朝出発なら、その日のうちにヴェニスに着くはずだ。
ところが、その年に限って9月13日から豪雨に見舞われた。あまりの豪雨にビルロートとブラームスは、翌日の合流を約束して出発を見合わせた。クララ母子は上記の予定通り出発し、無事ヴェニスに着いた。列車がヴェローナにさしかかる直前に、アディジェ川を橋で越える。ドイツ名エッチュ川というこの川が豪雨で増水していたものの何とか渡りきった。一行がヴェニスに入ると、たった今渡ってきた橋が、濁流に流されたというニュースが待っていた。
橋の崩落に巻き込まれた列車は無かったらしいが、クララたちを乗せた列車が巻き込まれる可能性だってあった。さらにブラームスたちが同じルートで後を追っていたら危なかった。
ブラームス一行は4日遅れてヴェニスに着く。橋の崩落による通行止めは何週間も続いたからだ。残念なことに迂回ルートは不明だ。
コメント