クララの旅路
ロベルト・シューマン没後最初のシーズン1854年秋のクララの演奏会スケジュールを以下に示す。
- 10月16日 ハノーファー 宮廷演奏会
- 10月19日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
- 10月23日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
- 10月25日 ワイマール リストと共演
- 11月03日 フランクフルト・アム・マイン
- 11月04日 フランクフルト・アム・マイン
- 11月13日 ハンブルク フィルハーモニーとの共演
- 11月15日 ハンブルク・アルトナ
- 11月16日 ハンブルク
- 11月18日 リューベック
- 11月21日 ブレーメン
- 11月23日 ベルリン
- 11月29日 ブレスラウ
- 12月01日 ブレスラウ
- 12月04日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月07日 フランクフルト・アム・オーデル
- 12月10日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月16日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月20日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月21日 ライプチヒ ヨアヒムとジョイント
手元に1850年のドイツ鉄道地図があるから、それを元に上記のツアーを検証する。
- (1)ハノーファー→ライプチヒ リストの鉄道敷設計画案の中に、ハノーファー-ライプチヒ-ドレスデンの線が存在した。つまりそれほどの幹線。移動日1日で十分だから、中3日は余裕だ。ハノーファーの演奏会の翌日を移動にあてて、21日22日をリハーサルに出来る。
- (2)ライプチヒ→ワイマール 1850年の段階でワイマールには鉄道が敷かれていない。ライプチヒからならエアフルトまで鉄道で、そこから馬車かもしれない。鉄道があれば半日で十分だ。ワイマールへの鉄道が1854年までに開通していればOKだ。万が一鉄道が無かったとなると23日にライプチヒで演奏会を開いて、中1日でワイマールというのは、リハーサルも考えると厳しい。逆にクララのこうした日程こそが、鉄道が開通済みだった証拠になるかもしれない。
- (3)ワイマール→フランクフルト 上記(2)に示したとおり、ワイマールには鉄道が敷かれていない前提とすると、エアフルトまで馬車で戻って鉄道に乗って、ギーシェンまで行く。そこからまた馬車で行くしかない。2日かかるだろう。しかしながらここは中8日あるので余裕。
- (4)フランクフルト→ハンブルク 1850年の鉄道網では意外と難しい。ケルンかボンまでライン川を船で下り、そこから鉄道だ。ハノーファーで乗り換えてハンブルクに、が現実的だと思う。乗り継ぎによっては2日でも厳しい。しかし演奏会も中8日空くので大丈夫。
- (5)ハンブルク→アルトナ アルトナは現在ではハンブルク市。移動は余裕だ。宿泊場所をハンブルク市内に固定しておいて馬車移動で十分。
- (6)ハンブルク→リューベック リューベックはハンブルクから近いが1850年当時鉄道は開通していない。馬車か運河を走る船ということになる。リハーサルを考えると中1日は厳しい。
- (7)リューベック→ブレーメン 一旦ハンブルクまで戻るのは必須。そこから鉄道か馬車かは迷うところ。直線的に行くなら馬車だ。移動に丸々1日が必要。中3日はギリギリか。
- (8)ブレーメン→ベルリン ハノーファーを経由してベルリンに一直線。距離はあるけれども特急なら1日で十分だが、演奏会が中1日だ。ブレーメンの演奏会の翌日を移動に当ててギリギリとなる。まさか当夜発の夜行ではあるまいな。
- (9)ベルリン→ブレスラウ ブレスワウは現ポーランド領だけれど1850年の段階で鉄道が開通している。中5日空くので余裕だが、帰路は中2日なでの要注意。
- (10)ベルリン→フランクフルト・アム・オーデル ここにも既に鉄道が開通していて往路複路とも中2日あるから大丈夫。
- (11)ベルリン→ライプチヒ 当然既に鉄道は完成している。移動は半日あれば十分だが、ベルリンの翌日すぐにライプチヒ公演なので油断出来ない。
クララは与えられた鉄道網の機能の範囲内でギリギリのツアーをこなしている印象だ。それでも相当な苦行に違いあるまい。ただの旅行ではなく、行く先々で演奏せねばならぬのだ。
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