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2014年9月 5日 (金)

クララの旅路

ロベルト・シューマン没後最初のシーズン1854年秋のクララの演奏会スケジュールを以下に示す。

  1. 10月16日 ハノーファー 宮廷演奏会
  2. 10月19日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
  3. 10月23日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
  4. 10月25日 ワイマール リストと共演
  5. 11月03日 フランクフルト・アム・マイン
  6. 11月04日 フランクフルト・アム・マイン
  7. 11月13日 ハンブルク フィルハーモニーとの共演
  8. 11月15日 ハンブルク・アルトナ
  9. 11月16日 ハンブルク
  10. 11月18日 リューベック
  11. 11月21日 ブレーメン
  12. 11月23日 ベルリン
  13. 11月29日 ブレスラウ
  14. 12月01日 ブレスラウ
  15. 12月04日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
  16. 12月07日 フランクフルト・アム・オーデル
  17. 12月10日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
  18. 12月16日 ベルリン ヨアヒムとジョイント 
  19. 12月20日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
  20. 12月21日 ライプチヒ ヨアヒムとジョイント

手元に1850年のドイツ鉄道地図があるから、それを元に上記のツアーを検証する。

  • (1)ハノーファー→ライプチヒ リストの鉄道敷設計画案の中に、ハノーファー-ライプチヒ-ドレスデンの線が存在した。つまりそれほどの幹線。移動日1日で十分だから、中3日は余裕だ。ハノーファーの演奏会の翌日を移動にあてて、21日22日をリハーサルに出来る。
  • (2)ライプチヒ→ワイマール 1850年の段階でワイマールには鉄道が敷かれていない。ライプチヒからならエアフルトまで鉄道で、そこから馬車かもしれない。鉄道があれば半日で十分だ。ワイマールへの鉄道が1854年までに開通していればOKだ。万が一鉄道が無かったとなると23日にライプチヒで演奏会を開いて、中1日でワイマールというのは、リハーサルも考えると厳しい。逆にクララのこうした日程こそが、鉄道が開通済みだった証拠になるかもしれない。
  • (3)ワイマール→フランクフルト 上記(2)に示したとおり、ワイマールには鉄道が敷かれていない前提とすると、エアフルトまで馬車で戻って鉄道に乗って、ギーシェンまで行く。そこからまた馬車で行くしかない。2日かかるだろう。しかしながらここは中8日あるので余裕。
  • (4)フランクフルト→ハンブルク 1850年の鉄道網では意外と難しい。ケルンかボンまでライン川を船で下り、そこから鉄道だ。ハノーファーで乗り換えてハンブルクに、が現実的だと思う。乗り継ぎによっては2日でも厳しい。しかし演奏会も中8日空くので大丈夫。
  • (5)ハンブルク→アルトナ アルトナは現在ではハンブルク市。移動は余裕だ。宿泊場所をハンブルク市内に固定しておいて馬車移動で十分。
  • (6)ハンブルク→リューベック リューベックはハンブルクから近いが1850年当時鉄道は開通していない。馬車か運河を走る船ということになる。リハーサルを考えると中1日は厳しい。
  • (7)リューベック→ブレーメン 一旦ハンブルクまで戻るのは必須。そこから鉄道か馬車かは迷うところ。直線的に行くなら馬車だ。移動に丸々1日が必要。中3日はギリギリか。
  • (8)ブレーメン→ベルリン ハノーファーを経由してベルリンに一直線。距離はあるけれども特急なら1日で十分だが、演奏会が中1日だ。ブレーメンの演奏会の翌日を移動に当ててギリギリとなる。まさか当夜発の夜行ではあるまいな。
  • (9)ベルリン→ブレスラウ ブレスワウは現ポーランド領だけれど1850年の段階で鉄道が開通している。中5日空くので余裕だが、帰路は中2日なでの要注意。
  • (10)ベルリン→フランクフルト・アム・オーデル ここにも既に鉄道が開通していて往路複路とも中2日あるから大丈夫。
  • (11)ベルリン→ライプチヒ 当然既に鉄道は完成している。移動は半日あれば十分だが、ベルリンの翌日すぐにライプチヒ公演なので油断出来ない。

クララは与えられた鉄道網の機能の範囲内でギリギリのツアーをこなしている印象だ。それでも相当な苦行に違いあるまい。ただの旅行ではなく、行く先々で演奏せねばならぬのだ。

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