地雷鉄橋
欧州の地図を広げ、ベルリンとパリに定規をあてて直線を引く。その線がライン川を越えるところにレマゲン鉄橋があった。第二次大戦末期、ベルリンを目指して進撃する連合軍とドイツ軍の攻防の焦点となった戦略の要衝だ。
しからばとばかりに目を転じる。今度はウィーンとパリに定規を当てて直線を引く。それがライン川を越える場所に注目願いたい。フランス側にストラスブールがある。ドイツ名シュトラスブルクは、パリとウイーンを結ぶ交通の要衝だった。ここからドイツ側のケールに橋がかけられたのは1861年のこと。1883年にはこの橋をオリエント急行が渡ることになる。
架橋当時は物議を呼んだ。当時ケールはプロイセン領ではく、バーデン公国領だった。通行に益するということは、つまり戦時には敵軍の進軍ルートになるということだ。ドイツ側はこの架橋の承認にあたって、橋周辺への地雷の敷設という条件を持ち出した。いざというとき即座に爆破できるということだ。誤爆を思うと恐ろしい橋だ。
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