鉄オタの考えそうなこと
鉄オタ。「鉄道オタク」の短縮形だ。作曲家アントニン・ドヴォルザークはほぼ「鉄オタ」の域にあった。運行ダイヤの暗記は当然で、機関車を運転したいとまで思っていた。
ドヴォルザークが1883年10月にウィーンを訪問して、初演間近だったブラームスの第3交響曲を、作曲者本人のピアノ演奏で聴いたことは、少し詳しい伝記にはよく載っている。→こちら
この出来事が「10月上旬」あるいは「10月初旬」とされているばかりで、日付が不明になっていることが多い。調べを進めていて、愛すべき仮説にたどりついた。
記事「オリエント急行」を見て欲しい。オリエント急行の開通は1883年10月4日だと書いた。補足するとこれは始発駅パリを出発した日付である。一番列車のウイーン着は10月6日の23時15分だった。ウイーン西駅着だ。ここから現在のウイーン南駅に回送されて1時間後の零時15分に発車した。
深夜の出来事ではあるのだが、鉄道オタクのドヴォルザークがこれを見物したとは考えられまいか。ドヴォルザークの住まいがあったプラハは、オリエント急行のルートからはずれている。プラハからもっとも近い停車駅はウィーンだ。当時オリエント急行は時代の最先端の乗り物であり、マスコミもきそって取り上げたから、市民の関心は高かった。ましてや鉄道好きのドヴォルザークが無関心でいられるハズがない。少なくとも交響曲第3番の私演の合間に、オリエント急行がブラームスとの話題になった可能性は相当高いとにらんでいる。
もちろん両者の伝記はこのことには沈黙しているが、このときのドヴォルザークのウィーン滞在が10月6日と7日を含む日程だったのではあるまいか。第三交響曲の私演は、むしろ付け足しで、メインはオリエント急行一番列車の見物だという読み。
この仮説、おそらく世界初(当社調べ)
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