オーストリア初の電車
1883年10月22日、ウィーンの南南西15kmにある街メートリンク(Modling)からクラウセン(Klausen)まで鉄道が開通した。やがてヒンターブリュール(Hinterbruhl)まで延長されることになるこの路線を、オーストリア初の電車が走った。世界初ドイツ初だったベルリンに遅れること2年だ。さらに、線路上に架線を張って、パンタグラフで集電する方式としては世界初の快挙だ。
ブログ「ブラームスの辞書」としては、この鉄道にブラームスが乗車したかどうかが気になる。あるいは知っていたかどうか。
起点になったメートリンクは、ブラームスが友人と連れ立ってしばしばハイキングに訪れた土地だ。そこに新しい鉄道が走っていたら、それに気づかぬはずはないと思う。終点のヒンターブリュールには、欧州最大の地底湖がある。石膏の採掘場に水がたまってできたもので、その発見は1912年だから、ブラームスは知る由も無い。
有力な情報が別にあった。同路線の建設にあたり車両を含む電気設備一式を請け負ったのが、ジーメンス社だった。ベルリンに世界初の電車を走らせた会社で、現代まで続く大企業だ。当時の社名をジーメンスウントハルスケ社という。当然工事を請け負ったのは同社のウィーン支社ということになるのだが、当時支社長はリヒャルト・フェリンガーという人物。1879年に着任し、1881年からブラームスと親交があった。いくつかの室内楽がフェリンガーの屋敷で私的に初演されている。1883年10月22日のオーストリア初の電車の開業をフェリンガーが話題にしたと睨んでいる。
さらにオタクな妄想を広げる。1883年10月4日深夜に、オリエント急行の一番列車がウィーンに着いた。同じ頃ドヴォルザークがウイーンを訪問し第3交響曲をピアノで聞かせたというのだが、このときにオーストリア初の電車についてドヴォルザークと話題になってはせぬかと勘繰っている。
残念なことに同線は1932年に廃止され、線路も撤去されている。
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