ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« ヴェーセル鉄道橋 | トップページ | ブルガリア王ボリス三世 »

2014年10月 4日 (土)

オリエント急行

1883年10月4日ベルギーの青年実業家の構想が実現に至った。パリ-コンスタンチノープル間を結ぶオリエント急行の開通だ。パリからナント経てストラスブールでライン川を渡る。カールスルーエ、シュトゥットガルト、ミュンヘン、ジムバッハ、ウィーン、ブダペスト、ブカレスト、シュルジュ。ここで乗客は列車から降りてドナウ川を船で渡る。対岸のブルガリア領ルーセから、別列車に乗って黒海沿岸のヴァルナに向かう。ヴァルナからは船に乗り換えて18時間のクルーズでコンスタンティノープルに到着だ。80時間近くかかったらしい。

現在のドイツ領内は、当時バーデン公国、ヴュルテンブルク王国、バイエルン王国に分かれていたし、アルザス・ロレーヌ地方はドイツ帝国に割譲され、帝国直轄地になっていた。とりわけバーデン公国鉄道は軌道幅1600mmだったから、巨費を投じての標準軌への改装が無ければ直通列車は無理だった。その後ルーマニア領を通過しないベオグラード経由に改められて、コンスタンティノープルまで直通列車が走るのは1888年8月12日を待たねばならない。

とにもかくにもオリエント急行のステイタスは高く、時代の最先端の乗り物だった。欧州に鉄道が敷かれておよそ半世紀で登場した究極の交通手段だった。そしてそれは何よりもブラームスの生きた時代とかぶる。ブラームス自身はオリエント急行に乗っていないことは確実だが、オリエント急行を知っていたこともまた確実だと思われる。

« ヴェーセル鉄道橋 | トップページ | ブルガリア王ボリス三世 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オリエント急行:

« ヴェーセル鉄道橋 | トップページ | ブルガリア王ボリス三世 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
無料ブログはココログ