カルロヴィヴァリ
欧州中にその名をとどろかすチェコの温泉地。ドイツ語ではカルルスバートという。1896年5月クララが没した後、体調を崩したブラームスは鉱泉療法を受けるためにこの地を訪れた。思ったほどの効果は無く、程なくウィーンに戻る。本日はその帰還ルートを検証する。
- カルロヴィヴァリ→ウスティ・ナド・ラベム→プラハ→ブルノ→ウィーン
- カルロヴィヴァリ→ウスティ・ナド・ラベム→ブジェヨヴィツェ→グミュンド→ウィーン
- カルロヴィヴァリ→ケブ→ピルゼン→ブジェヨヴィツェ→グミュンド→ウィーン
現代の旅行者なら1番を選ぶだろう。少々大回りだが時間的には最短だ。それでも8時間と少々かかる。特急列車の本数も多い。プラハ-ウィーン間はハプスブルク帝室鉄道のウィーン北部鉄道だ。
2番目のルートはプラハ-ウイーン間をカイザーフランツヨーゼフ鉄道を使うコースだ。今でこそローカル線の扱いだが、当時は大幹線だった。1番目のルートよりも距離が短くなる。
3番目はお宝だ。地図上でウィーンとカルロヴィヴァリに定規を当てて線を引くと、このルートがそれに一番近い。カルロヴィヴァリからケブまで一瞬西に向かって走るものの、ケブからウィーンはほぼ直線になる。途中にあるピルゼンとブジェヨヴィツェは世界に誇るビールの銘醸地だ。病身のブラームスがビールをたしなむとも思えないが私ならこれを勧めたい。
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