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2014年10月13日 (月)

フランツ・バルツァー

Franz Bartzer(1857-1927)は、ドレスデンに生まれたドイツの鉄道技術者、建築家。1898年日本に招かれたいわゆる「お雇い外国人」だ。彼の任務は東京の鉄道網の構築だ。

当時東京の鉄道は以下の通りだった。

  1. 北の玄関 上野駅 現在の東北本線の起点
  2. 西の玄関 飯田町駅 現在の中央線の起点
  3. 南の玄関 新橋駅 現在の東海道本線の起点
  4. 東の玄関 本所駅 現在の総武線の起点

このほか現在の山手線の西半分が市街の外周を走っていた。東京市の発展のための区割りを考える中から、ターミナル間の相互連絡の問題が浮上した。欧州のパリやロンドンでは、うまくいっていないとのレポートも出ていた一方で、ドイツのベルリンではターミナルの有機的な連絡に成功したとされていた。

バルツアーはそのベルリン市街線の立案建設に関与した経歴を買われて来日したということだ。程なくバルツァーは、東京鉄道網の未来図を提示する。

  1. 上野と新橋を結び、既に完成済みの西半分と合わせて環状線とする。
  2. 上野-新橋間に東京駅を新設する。
  3. 本所と飯田町を結び、中央線と総武線を繋ぎ、秋葉原で山手線と直交させる。
  4. 中央線と総武線から東京駅への短絡線を設ける。

現在の路線図を見る限り、バルツァーの提案が実現していることがわかる。1972年私が中学1年のときに夢中になった総武快速線の東京地下駅乗り入れは、バルツァー案の最後の仕上げだったということだ。

現代でこそ、これに地下鉄や私鉄が加わり、ほとんど網の目となった都心だが、基本となるJR各線の骨格を決めたのはこのドイツ人だった。「まあるい緑の山手線、真ん中通るは中央線」というCMは、バルツァーなくしては生まれなかった。

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コメント

<インテルメッツォ様

本当は、鉄道記念日のための記事だったのですが、訳あって一日前倒しでした。

鉄道特集も残り1ヶ月少々となりました。引き続きご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。

山手線関連の路線網?の生い立ちは、私もある程度は知っていましたが、これがドイツ人技術者が設計したものだったとは。そしてその完成が、私も知っている総武線の東京駅乗り入れだったとは。。。

貴方の情報量の多さには、感服いたしました。今後も楽しみにしております。

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