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2014年11月30日 (日)

カフェザッハー

ウイーン名物ザッハトルテで有名なカフェ。カフェというよりコンディトライ。1832年時の宰相メッテルニヒの命で考案されたケーキが評判を呼び、当時まだ見習いだったフランツ・ザッハーが世に出た。その後修行を積んだザッハーが革命後の1848年にシュテファン教会裏に店を持った。彼の次男エドワルド・ザッハーが1876年国立劇場裏の現在地に移転して現在に至る。ブラームスの伝記には現れないが、甘いモン好きのブラームスが素通りとは考えにくい。

ほぼ世界一有名なケーキだと思われる。

1990年11月30日、今から24年前の今日、新婚旅行でウイーンを訪れた私は、今は亡き妻とともにカフェ・ザッハーにいた。お目当てはもちろんザッハトルテだ。写真によると飲み物はアインシュペナーだと思われるが、メニューを指でさして注文したから完全におのぼりさん状態だった。

ナプキンとメニューを記念に持ち帰った。初老のボーイさんが写真を撮ってくれた。

2014年11月29日 (土)

立ち寄った可能性

ブラームスが立ち寄った可能性のあるウィーン以外のカフェを列挙する。

  1. カフェ・フローリアン ヴェネチアのサンマルコ広場のほとりにある名物カフェ。1720年創業の老舗。リヒャルト・ワーグナーの訪問は確認されている。ブラームスはイタリア旅行をしばしばヴェネチアから始めた。同行者とヴェネチアで落ち合ったのだ。カフェ・フローリアンを素通りは考えにくい。
  2. カフェ・グレコ これもイタリア。ローマの超有名カフェ。コドッティ通りに1750年創業。「ギリシャのカフェ」の意味だ。南国イタリアにあこがれるドイツの名士たちが次から次へと訪れた。ゲーテ、メンデルスゾーン、バイエルン王ルートヴィヒ、リスト、ワーグナーなどのほか、ロッシーニやベルリオーズが立ち寄ったことも確認されている。イタリアを訪れたブラームスが素通りとはこれまた考えにくい。
  3. カフェ・ピルヴァックス これはハンガリーのブダペスト。今日も存続するカフェ・ニューヨークは1894年創業だからブラームスが訪れていない。
  4. カフェ・ジェルボー ブダペストに1858年創業のコンディトライ。
  5. カフェ・ルスヴルム ブダペスト最古のカフェという触れ込み。ハンガリー王妃シシィがここのケーキを贔屓にしたというから、ブラームス存命中に存在したことは確実。

2014年11月28日 (金)

デーメル

公式には「Konditorei Demel」と綴る。ハプスブルク家専属のベーカリーだった関係で双頭の鷲が紋章になっている。フランツヨーゼフ1世の皇后エリザベートは、姑のゾフィーと折り合いが悪く、孤独な宮廷生活を強いられたが、デーメルは彼女の楽しみの一つだった。彼女のお好みは「すみれのシャーベット」だったという。もちろん皇帝本人もしばしば訪れたので「フランツヨーゼフの間」が用意されていた。王宮前のミヒャエル広場から少しコールマルクトを歩いたところにある。もちろんブラームスの生きた時代と完全に重なっているから、一度くらいは行ったかもしれない。

第二次大戦後カフェザッハーとの間に「ザッハトルテ」の販売に関して訴訟沙汰になったこともある。

亡き妻と私はその味の違いを確かめたくて新婚旅行の時に両方の店でザッハトルテを食べた。1990年11月28日にデーメル、その2日後にカフェザッハーに出向いた。つまり24年前の今日我々はデーメルにいた。

妻はデーメルの方が口に合うと言ったが、私はザッハーの方が良かった。

2014年11月27日 (木)

カフェと作曲家

音楽史に名を残すような作曲家がカフェに通っていた話は割と耳にする。

まずはバッハ。1694年ライプチヒで開業した「レーマン夫人のカフェ」だ。この店はやがて名前を変えて「カフェバウム」となり、シューマンやメンデルスゾーンも通ったというから凄い。ブラームスが通ったという証言は見当たらないが、たびたびライプチヒを訪れたブラームスが、由緒あるカフェを素通りとは考えにくい。バッハの当時ライプチヒには8軒あったらしい。天気のよい日には屋外で演奏会も開かれた。名高いコーヒーカンタータはそういう会場で演奏された。

続いてモーツアルト。ヨーゼフシュタット、レルヒェンフェルダー通り38番地のカフェラングだ。モーツアルトの死後1803年に経営者が亡くなったが建物は1893年まであったらしい。

ベートーヴェン。最初はロプコヴィッツ広場にあって、後にシュピーゲルガッセとプランケンガッセの交差点に移転した「カフェノイナー」後の「白銀館」、あるはラントシュトラーセ「カフェアンゼルム」、シュロッサーガッセの「カフェクラーマー」、ハプスブルガー通り角の「カフェタローニ」、プラーターの「第一カフェ館」。引越し魔ベートーヴェンは引越しごとに近所のカフェを開拓したものと思われる。

シューベルト。シュテファン教会そばの「カフェボークナー」だ。飲み代の付けが利いたというのが理由らしい。同店は1850年で閉店しているからブラームスは行けなかった。

2014年11月26日 (水)

アラビカ種

現在コーヒーの8割を占める主力品種。高級品として取引されるが、高温多湿に弱く、霜や乾燥にも弱い上に病気にも弱いという繊細さが特徴。

病気に強くてカフェイン含有量が多いロブスタ種が発見された。品質ではアラビカに一歩譲るものの価格が安い。

はてさてブラームスが賞味していたのはどちらかという疑問には簡単に答えられる。モカはアラビカに決まっていると言えば言えるのだが、ロブスタ種は1895年に発見されたからブラームスはおそらく賞味していない。

2014年11月25日 (火)

コーヒーの起源

植物としてのコーヒーの起源はエチピオピアということで一致している。その一方飲用の起源については謎も多い。ビールの醸造飲用は紀元前6000年のエジプトという証拠が複数の物証によって確認されている。ワインはもっと古くてコーカサス地方で紀元前7000年という起源が確実視されている。最後の氷河期が終わった頃には飲まれていたとする学者もいるくらいだ。

コーヒーの飲用に確実な物証が伴うのは16世紀を待たねばならない。古文書に記載された今は無い飲み物のうちのどれかが、実はコーヒーだったという話が無いとは言えないが、証拠不十分である。聖書、エジプト、メソポタミアの考古学的成果に照らしてもコーヒーの痕跡を見つけられないという。とりわけエジプトだ。エチオピアからナイルを下った隣人のエジプト人が気付かぬハズはない。

明代の探検家鄭和は7回もインド洋を探検し、そのうちの最後1432年には紅海を訪れている。中国人らしく現地の風物を克明に記録しているが、その中にコーヒーが無い。15世紀の初頭までに紅海地方でコーヒーが飲まれていないということだ。エチオピアやイエメンのお膝元の地区でこの有様だから他の地域には望むべくもない。

16世紀始めまでにイエメンに入植したイスラム教スーフィー派の人々がコーヒーを飲用したのが記録上最古のコーヒーだ。この地から紅海の対岸のエチオピアに布教に出かけた伝道師がコーヒーを持ち帰ったのが最初と目される。

エチオピアは人類発祥の地とも目されている上にコーヒーの原産地でもある。奇遇だ。だからこそ16世紀初頭までコーヒーの飲用が確認できないことが謎になっている。不自然とも映る。

2014年11月24日 (月)

モカ

ブラームスが愛飲したコーヒー豆のブランド。避暑地での朝は自らコーヒーを立てることで始まったという。マルセイユ在住の熱心なファン、フリッチェ・エストランジャン夫人から提供されるモカがお気に入りだったとされている。どうもこの夫人はクララの弟子だったらしい。人脈果てしない感じだ。

モカは「Mocha」と綴られる。紅海に面したイエメンの港町だ。ここから出荷されるイエメン産の豆が珍重され、いつしかモカはブランド名になった。豆の積み出し港の名前がブランド名になるのはブラジルのサントスと同じパターンである。

ブラームスが楽壇での地位を盤石にしたドイツレクイエムの成功が1868年。ハンガリア舞曲のブレークが1869年だ。そしてなんとスエズ運河の完成は1869年のことである。ブラームスが愛飲したモカはスエズ運河経由でフランス・マルセイユにもたらされたものだと推定される。地中海沿岸のマルセイユは、スエズ運河開通前ジブラルタル経由でもぴったりの立地だ。

ところが、このモカという港は砂の堆積により1839年には使用不能に陥ったらしい。つまりスエズ運河開通の時点で、貴重なコーヒー豆は近隣の別の港から積み出されたことになる。にもかかわらず、ブラームスのお気に入りはモカだと伝えられていることは貴重な情報だ。積み出し港がモカではなくなってもブランド名としての通称はモカであり続けたということに他ならない。

という具合に一旦落としておくこととする。

2014年11月23日 (日)

ブラームスとコーヒー

ブラームスがコーヒー好きで、カフェにも出没した話には頻繁に遭遇する一方、ブラームスがどんなコーヒーを飲んでいたかは明らかでない。唯一クララの伝手で知り合ったエストランジャン伯爵夫人から提供されるマルセイユのモカがお気に入りだったとされるくらいだ。

このエピソード悩ましい。ブラームスが「マルセイユのモカ」を好きだったことは確実なのだが、いつもそれだけを飲んでいたのかが判らない。いろいろな種類のコーヒーを飲んでいたが、とりわけ「マルセイユのモカ」が好きだったという解釈も成り立つ。

ブラームスが生きた19世紀後半は、世界中でコーヒーの需要が膨らんだ時代。既に世界最大のコーヒー生産地はブラジルになっていた。あるいは1820年代に相次いで独立した中南米各国においては、コーヒーの生産こそが国の経済を支えていた。

コーヒーの流通を牛耳る5大ディーラーの筆頭はテオドール・ヴィラ商会といい、ブラジル産コーヒーの20%の流通に関与していた。彼らの本拠地は何とハンブルクだった。このルートを通じてブラジル産コーヒーがドイツに流入していたことはほぼ間違いない。

ブラジルは大農園、コスト優先の機械摘み、乾燥選別で、安価で大量のコーヒーを供給したのに対し、コロンビア、コスタリカ、エルサルバドル、ホンジュラスあたりは品質志向だった。欧州にも販路を伸ばしていたから、ブラームスがたしなんでいたとしても不思議は無い。

2014年11月22日 (土)

コーヒー

コーヒーはエチオピア原産のコーヒーの木の種を焙煎して挽いたものにお湯を注いで抽出する液体。欧州ではコーヒーの大流行があったが、現在の最大の消費国はアメリカだ。

地味に大切なことは、ビールやワインは昔も今もドイツ特産であるのに対して、コーヒーはドイツでは採れない。コーヒーはドイツあるいはオーストリアにとって外国からの移入品だった。

記事「ビールの牙城」で、ドイツにおける嗜好飲料の浸透度を話題にした。年間一人あたりの消費量で申せば、コーヒーはワインの上を行き、ビールに次ぐ第二位になる。ブログ「ブラームスの辞書」では、既に「ワイン」も「ビール」も取り上げてきた。だからコーヒーに話が飛び火するのは当然の展開である。

さらに、今でこそコーヒーの取引市場は最大の消費国アメリカ・ニューヨークに存在するが、世界中にコーヒーが広まった19世紀後半には、その中心地はハンブルクだった。第一次大戦でその位置をニューヨークに譲るまで、世界のコーヒー取引の中心はドイツだった。

2014年11月21日 (金)

ドヴォルザーク超え

2009年9月8日から2010年9月8日までを会期として「ドヴォルザーク特集」を開催した。366日間に262本のドヴォルザークネタを発信した。その本数はMLBイチロー外野手の持つメジャーリーグの年間最多安打にちなんだとも書いた。

ブログ「ブラームスの辞書」初の年間企画であったばかりか、単一企画の発信記事数としての最多本数だった。当時「今後この本数はなかなか抜けない」と自己分析しておいた。

このほど終了した「鉄道特集」は1月12日の開幕から1年も経たぬ11月20日にゴールにたどり着いたのだが、本数は268本に達したから、少なくとも記事発信の濃度の上では、「ドヴォルザーク」特集を超えている。ドヴォルザークは名高い作曲家であり、ブラームス本人が彼を愛していたから、それを大きく取り上げるのにためらいは無かった。これに対して「鉄道」は、どう屁理屈をこねても「音楽系」とは言えない。期間中はこうした気まずさとをいつも感じていた。

でもやってよかった。

2014年11月20日 (木)

ドイツ鉄道総集編

ドイツ鉄道の総集編だ。

  1. 2013年12月07日 最初の積荷 ビール樽2個。
  2. 2014年01月02日 アイゼンバーンケルシュ ブラジルのケルシュ。
  3. 2014年01月05日 Warsteiner 鉄道地図唯一の醸造所駅。
  4. 2014年01月07日 ビールと鉄道 輸送の革新。
  5. 2014年01月08日 鉄道輸送の証拠 ミュンヘン-ライプチヒ間の輸送。
  6. 2014年01月10日  ブラームスと鉄道 鉄道の興隆と重なる人生。
  7. 2014年01月11日 Eisenbahnatlas 最強の参考文献。
  8. 2014年01月13日 ビールから鉄道へ 話の展開。
  9. 2014年01月14日 先に言い訳 ブラームスとの接点は多くない。
  10. 2014年01月16日 鉄道網の発達 ブラームスの伝記の記述。
  11. 2014年01月17日 6044kmの明細 1850年現在の鉄道網。
  12. 2014年01月18日  ドイツ鉄道の父 フリードリヒ・リスト。
  13. 2014年01月19日 確認が必要 「NeueBahn」は「新線」か。
  14. 2014年01月20日 鉄道関連の楽曲 ポルカやワルツに現れた鉄道。
  15. 2014年01月21日 Rail travel map Deutschland  ドイツのお土産。
  16. 2014年01月22日 取材旅行 鉄道ネタの収集。
  17. 2014年01月23日 実地査察 ブラームスの通った線。
  18. 2014年01月26日  産業革命と鉄道 鉄道が牽引した産業革命。
  19. 2014年01月27日 国産機関車 ドイツ初の国産機関車。
  20. 2014年01月28日 機関車の愛称 それっぽい名前。
  21. 2014年01月29日 鉄道敷設ラッシュ 鉄道敷設の勢い。
  22. 2014年01月30日 ハンブルクの出遅れ 鉄道と水運の競合について。
  23. 2014年01月31日  兵器としての鉄道網 普仏戦争の勝因。
  24. 2014年02月01日 鉄道は国家なり ドイツ帝国の鉄道。
  25. 2014年02月02日  鉄道の弱点 戦争なんぞに使うから。
  26. 2014年02月03日 鉄道条項 ドイツ憲法の中の鉄道。
  27. 2014年02月04日 鉄道連隊 軍隊の遺構群。
  28. 2014年02月05日  鉄道論 明治天皇への上奏。
  29. 2014年02月06日 ドイツ鉄道経営者連盟 相互乗り入れのルール。
  30. 2014年02月07日 鉄道郵便 郵便事業を鉄道が吸収。
  31. 2014年02月08日  プロイセン国有鉄道 世界最大の企業。
  32. 2014年02月09日 歴史を語りたい 毎度毎度の切り口。
  33. 2014年02月10日 ゼメリンク鉄道 初のアルプス越えで世界遺産。
  34. 2014年02月11日 命拾い ビスマルクの現地視察。
  35. 2014年02月12日 トンネルの噂 ゼメリンクを掘る。
  36. 2014年02月13日 ゴットハルトトンネル イタリアに抜ける。
  37. 2014年02月14日 モンスニトンネル 最短インドルート。
  38. 2014年02月15日 シンプロントンネル アルプス最長。
  39. 2014年02月16日  トランブリュ リゾート行き夜行列車。
  40. 2014年02月17日 トンネルは夢 海峡をくぐる。
  41. 2014年02月18日 国境のトンネル トンネルで国境をクリアできるか。ドイツ編。
  42. 2014年02月19日 オーストリアの国境 同オーストリア編。
  43. 2014年02月20日 ループトンネル ヴタハタール鉄道の絶景。
  44. 2014年02月21日 最長老トンネル オーストリア最古の鉄道トンネル。
  45. 2014年02月22日 ドイツ最古のトンネル 178mで名前も不明。
  46. 2014年02月23日 アウディトンネル インゴルシュタットの工場をくぐる。
  47. 2014年02月24日 シュロースベルク 御殿山トンネル。
  48. 2014年02月25日 皇帝の名の下に 当時ドイツ最長トンネル。
  49. 2014年02月27日 トンネルの長短 ドイツ一短いトンネル。
  50. 2014年02月28日 駅の機能 大きな駅は便利。
  51. 2014年03月01日 ハノーファー王国 反プロイセンの鉄道網。
  52. 2014年03月02日 ハノーファーの位置 どこに出るにも便利。
  53. 2014年03月03日 いざ鎌倉の訂正 急を聞いて駆けつけた。
  54. 2014年03月04日 馬車の行く先 エンデニヒへの経路。
  55. 2014年03月05日 シューマンの初乗車 シューマンの鉄道利用。
  56. 2014年03月06日 メルクリン 世界最大の鉄道模型メーカー。
  57. 2014年03月07日 トリックス 兵隊人形のメーカー。
  58. 2014年03月09日  おもちゃの都 ニュルンベルク派。
  59. 2014年03月10日 模型作り ドヴォルザークの余暇。
  60. 2014年03月11日 心の駅 ニュルンベルク中央駅。
  61. 2014年03月13日 スパチウス エニシダの群落。
  62. 2014年03月14日 所要時間 鴎外の証言。
  63. 2014年03月15日  機関車トーマス 長男の誕生日。
  64. 2014年03月16日 汽動街車 ミュンヘン光景。
  65. 2014年03月17日 演習場と鉄道 鴎外の演習従軍時には鉄道はなかった。
  66. 2014年03月18日 パリのドイツ人 ディーゼルエンジンの発明。
  67. 2014年03月19日 アンハルターバーンホフ ベルリンの表玄関。
  68. 2014年03月20日 鴎外の迂回 一人で遠回り。
  69. 2014年03月21日 魯境の鉄路 シベリア鉄道の噂。
  70. 2014年03月23日 鉄道通勤 鴎外の朝。
  71. 2014年03月25日 鴎外のチェコ 鴎外とドヴォルザークの無理目な接点。
  72. 2014年03月26日 鴎外のドナウ 独逸日記の中のドナウ川。
  73. 2014年03月27日 西洋事情 福沢諭吉の鉄道旅行。
  74. 2014年03月28日 定時運行 記事公開時刻の統一。
  75. 2014年03月29日 Dampferbahn Leverkusen 遊覧鉄道の廃墟。
  76. 2014年03月30日 急行テンポ 大急ぎを表す言い回し。
  77. 2014年03月31日 列車の序列 複雑な派生。
  78. 2014年04月01日 DB Museum ニュルンベルク鉄道博物館。
  79. 2014年04月03日 後で知った事 地下鉄とルートヴィヒ鉄道。
  80. 2014年04月04日 ドイツ初のD-zug 1892年は遅すぎる。
  81. 2014年04月05日 鉄道楽団 従業員のオケ。
  82. 2014年04月06日 鉄道員 葬儀の花環。
  83. 2014年04月07日 楽しい一致 ウィーン進出と急行の開通。
  84. 2014年04月09日 世界を変えた50の鉄道 鉄道から見た世界史。
  85. 2014年04月10日 全曲初演 ドイツレクイエム初演と鉄道。
  86. 2014年04月11日 初演行脚 ピアノ協奏曲第一番初演と鉄道。
  87. 2014年04月12日 シュヴァルツヴァルト紀行 ウルムへの旅。
  88. 2014年04月14日 伝記鉄道学 伝記の中の鉄道の痕跡。
  89. 2014年04月15日 遠距離恋愛 アガーテと破局の一因か。
  90. 2014年04月16日 ボルジッヒ プロイセン最大のメーカー。
  91. 2014年04月17日 ヘンシェルヴェークマンツーク ベルリンドレスデン間。
  92. 2014年04月18日 推定シェア 蒸気機関車のメーカーたち。
  93. 2014年04月19日 マイニンゲン蒸気機関車工場 歩所の拠点。
  94. 2014年04月20日 もう一人のワーグナー 除煙板の考案者。
  95. 2014年04月21日 宇佐のクラウス 日本に4両。
  96. 2014年04月22日 望み薄 ブラームスが乗った機関車の特定は困難。
  97. 2014年04月23日  機関車ヨハネス ニュルンベルクの機関車たち。
  98. 2014年04月24日 独逸国蒸気機関車運行総覧 ドイツSLの観光運転。
  99. 2014年04月25日 蒸気機関車運行総覧国外編 国外の観光運転。
  100. 2014年04月26日 みんなSLが好き ドイツの保存状況。
  101. 2014年04月27日 鉄道と自動車 自動車は無理。
  102. 2014年04月29日 ミカド 昭和天皇のお名前か。
  103. 2014年04月30日 さようなら蒸気機関車 渾身の自由研究。
  104. 2014年05月01日 ヴィンゼン考 リースヒェンの思い出と。
  105. 2014年05月02日  怒涛の1853年 鉄道という観点から。 
  106. 2014年05月03日 説得の材料 どうせ帰り道。
  107. 2014年05月04日 地下鉄は無理 ブラームスは間に合っていない。 
  108. 2014年05月05日  初ベルリン ブラームス25歳の春。
  109. 2014年05月06日  ベルリンハンブルク鉄道 モルトケ理事。
  110. 2014年05月07日 開通式 中止された開通式。
  111. 2014年05月08日 謎の迂回 ベルゲドルフの急カーブ。 
  112. 2014年05月09日 郊外電車 ウィーン地下鉄の前身。
  113. 2014年05月10日 イタリアンエキスプレス ナポリからの帰還。
  114. 2014年05月14日 ジーメンス 電気王。
  115. 2014年05月15日  空飛ぶハンブルク人 ドイツ初の世界記録保持。
  116. 2014年05月16日 世界初の市電 18881年ベルリン。
  117. 2014年05月17日 路面電車 ブラームスが乗ってそうなリスト。
  118. 2014年05月18日 市電への道 ウィーンの事情。
  119. 2014年05月19日 ミニチュアワールド ハンブルク名所。
  120. 2014年05月20日 Drachenfelsbahn クララの命日に。
  121. 2014年05月21日  四六軌道 1372mm。
  122. 2014年05月22日  軌道幅戦略 ロシアとイベリア。
  123. 2014年05月23日 三軌間併存 イェンバッハの光景。
  124. 2014年05月24日 狭軌電化区間 狭軌は希少。
  125. 2014年05月25日 軌道幅リスト ドイツの軌道幅一覧。
  126. 2014年05月26日 軌道幅リストその2 オーストリアの軌道幅一覧。
  127. 2014年05月27日 産業革命の痕跡 ルール工業地帯。
  128. 2014年05月28日 編集方針 ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア。
  129. 2014年05月30日 省略っぷり 道路、名所も認めない。
  130. 2014年05月31日 ビスマルク操車場 ゲルゼンキルヘン北郊。
  131. 2014年06月01日 説明不能 ニュルブルクリンクの衝撃。
  132. 2014年06月02日 グリュックアウフ駅 鉱山の名残。
  133. 2014年06月03日 エシェデ 17回忌。
  134. 2014年06月04日 事故の重複 12月22日のこと。
  135. 2014年06月05日 事故の特異日 22日は怪しい。 
  136. 2014年06月06日 駅名で見る国境 アルザスはドイツ語圏か。
  137. 2014年06月07日 国境を縫う 行きつ戻りつ。
  138. 2014年06月08日 難解なパズル 5連続違う州。
  139. 2014年06月09日  コリドール 領外不停車。
  140. 2014年06月10日 鴎外の駅コン 1885年6月10日ライプチヒ。
  141. 2014年06月11日 エキナカ ミュルツツーシュラークの鉄道亭。
  142. 2014年06月13日  イシュル行き各駅停車 ワールドカップ開幕企画。
  143. 2014年06月14日 ペルチャッハ行き各駅停車 ワールドカップ開幕企画第2弾。
  144. 2014年06月16日  もしかして鉄オタ 教皇ピウス9世。
  145. 2014年06月21日 避暑地の系譜 ブラームス夏の居場所。
  146. 2014年06月22日 避暑地への足 ザルツカンマーグート線。
  147. 2014年06月23日 ポーター スイスのつまらぬルール。
  148. 2014年06月25日 国破れて鉄路あり 第一次大戦の戦後処理。
  149. 2014年06月26日 食堂車 絶対に利用している。
  150. 2014年06月27日 食堂車2419D 史上最も有名な食堂車。
  151. 2014年06月30日 Nerobergbahn 世界唯一の水力ケーブルカー。 
  152. 2014年07月01日 ウィーンのケーブルカー レオポルドベルク。
  153. 2014年07月02日 プラハのケーブルカー ドヴォルザークなら知っていた。
  154. 2014年07月03日 鴎外とケーブルカー ロトマンの丘。
  155. 2014年07月04日 Standseilbahn 生前に開業したケーブルカー。 
  156. 2014年07月05日 Luftseilbahn ドイツ最古のロープウエイ。
  157. 2014年07月06日 廃線マニア SKGLBの痕。
  158. 2014年07月07日 七夕の願い事 プラレールしたい。
  159. 2014年07月08日 カルテンバッハ考 鮮やかな解。 
  160. 2014年07月09日 フェン鉄道 細長いベルギー領。
  161. 2014年07月10日 Kanonnenbahn  大砲鉄道。
  162. 2014年07月11日 廃線網 ブラームス存命中は現役だった。
  163. 2014年07月12日 都市間移動 だから鉄道地図。
  164. 2014年07月15日 お盆のファンタジー19 メルクリンのカタログ。
  165. 2014年07月18日 マイルに注意 19世紀ドイツは7.5km。 
  166. 2014年07月19日 ランケン ザスニッツの隣だった。
  167. 2014年07月20日 鉄道博物館のリスト。
  168. 2014年07月21日 オーストリアの実情 オーストリアの鉄道博物館。
  169. 2014年07月22日 博物館好き ドイツ人の癖。
  170. 2014年07月23日 3線の記憶 レヴァークーゼンの3線区間。
  171. 2014年07月25日 ICE専用線 300km/hが可能。
  172. 2014年07月26日  インゴルシュタット経由 プランニングの失敗。
  173. 2014年07月28日 ウィーンの鉄道事情 放射状に延びる鉄道。
  174. 2014年07月29日 リリプットバーン プラーター公園のSL。
  175. 2014年07月30日  カーレンベルクバーン ウィーンのラック鉄道。
  176. 2014年08月01日  一家の名前 路線のネーミング。
  177. 2014年08月02日 ワイン列車 トカイ発ウィーン行き。
  178. 2014年08月03日 ワイン本線 ラインガウの心臓部。
  179. 2014年08月05日 ベルン行き トゥーンからベルンへ。
  180. 2014年08月06日 鉄道地図のシャープ 線路の平面交差。
  181. 2014年08月07日  ドイツ最高駅 バイエルン州Klais駅。
  182. 2014年08月08日 オーストリア最高駅 単なる貨物駅でつまらない。
  183. 2014年08月09日  急勾配 ドイツでもっともきつい傾斜。
  184. 2014年08月10日 電化方式 レアな方式。
  185. 2014年08月11日  DB Schenker  ドイツ貨物。
  186. 2014年08月12日 首都のクラブ ヘルタベルリンのスポンサー。
  187. 2014年08月13日 Vienenburg ドイツ最古の駅。
  188. 2014年08月14日 ヨーロッパ分水界 鉄道名所化する水源。
  189. 2014年08月15日 中央突破  分水嶺を縦走する幹線。
  190. 2014年08月16日  温泉の決め手 「Bad」の付く駅名。
  191. 2014年08月17日 湯治場 Badの別種。
  192. 2014年08月18日 オムニバス 乗合馬車の意味。
  193. 2014年08月19日 鉄道馬車 ブラームスが乗った証言。
  194. 2014年08月20日 馬車鉄道大国 ハプスブルク帝国のこと。
  195. 2014年08月21日 急行馬車 鉄道出現前夜の乗り物。
  196. 2014年08月22日 さまよえるオランダ人 最速列車の称号。
  197. 2014年08月23日  ラインゴルト ラインの黄金にちなむ国際列車。
  198. 2014年08月24日 トーマスクック 世界初の旅行代理店。
  199. 2014年08月25日 ヨハネス・ブラームス号 ベルリン発ウィーン行き。
  200. 2014年08月26日 テーブルナンバー 敗戦国への仕打ち。
  201. 2014年08月27日 まさかの200本 鉄道特集200本達成。
  202. 2014年08月29日 ドイツ景勝ルート トマスクックのおすすめ路線。
  203. 2014年08月30日  オーストリア景勝ルート さすがによく乗っている。
  204. 2014年08月31日 クララのゼメリンク 世界遺産を褒めるクララ。
  205. 2014年09月01日 ブラームスのゼメリンク 1867年2月グラーツ公演。
  206. 2014年09月03日 投資家クララ 株式の購入。
  207. 2014年09月04日 株主ブラームス ラインバーンの株主。
  208. 2014年09月05日 クララの旅路 演奏旅行と鉄道。
  209. 2014年09月06日  さすがの伝記 ドボルザークの鉄道ネタ。
  210. 2014年09月07日  プラハ発ウィーン行き グスタフ・クリムト号。
  211. 2014年09月08日 ネラホセヴェス ドヴォウザークの生家。
  212. 2014年09月10日 ドヴォルザークの初乗車 伝記から類推する。
  213. 2014年09月11日  三等の客 ブラームスのわがまま。
  214. 2014年09月12日  我が家の初乗車 家族の鉄道初乗車。
  215. 2014年09月13日 橋崩落 ヴェローナの危機
  216. 2014年09月15日 世界初の定義 ストックトン-ダーリントン間の開通。
  217. 2014年09月16日 手前 街の手前に橋はない。
  218. 2014年09月17日 歴史的水害 ヴェローナ市街への浸水。
  219. 2014年09月24日 Ehrenrunde キール運河を跨ぐループ橋。
  220. 2014年09月25日 ゲルチュタールブリュッケ 世界最大のレンガ鉄道橋。
  221. 2014年09月26日 高橋考 キール運河を跨ぐ場所。
  222. 2014年09月27日 世界初の鉄道 英国ストックトン-ダーリントン。
  223. 2014年09月28日 鴎外とオリエント急行 鴎外の乗車記録。
  224. 2014年09月29日 地雷鉄橋 開戦なら爆破も。
  225. 2014年09月30日 ミュンクステナー橋 高さ107m。
  226. 2014年10月01日 カルロヴィヴァリ ブラームスの療養先。
  227. 2014年10月02日 暖房車 病身のブラームスへの配慮。
  228. 2014年10月03日  ヴェーゼル鉄道橋 ライン最下流の橋。
  229. 2014年10月04日 オリエント急行 最先端の乗り物。
  230. 2014年10月05日 ブルガリア王ボリス三世 機関車を運転する国王。
  231. 2014年10月06日 鉄オタの考えそうなこと オリエント急行の見物。
  232. 2014年10月07日  作曲家名の駅 シェーンベルクだけが豊作。
  233. 2014年10月09日 カール・オイゲン・ランゲン モノレールの考案者。
  234. 2014年10月10日 寝台車 ドイツ初の寝台列車。
  235. 2014年10月11日 リニア実験線 2027年開業予定。
  236. 2014年10月12日 広告付き切符 新機軸への評価。
  237. 2014年10月13日 フランツ・バルツァー 東京鉄道網の父。
  238. 2014年10月15日 中央停車場 「Hauptbahnhof」の訳語。
  239. 2014年10月16日 中央駅 都市の表玄関。
  240. 2014年10月17日 証拠のリスト 中央駅一覧表。
  241. 2014年10月18日 駅の序列 7つのカテゴリー。
  242. 2014年10月19日 東西南北 ブラームスの行動範囲。
  243. 2014年10月22日 オーストリア初の電車 世界初の架線集電。
  244. 2014年10月23日 四隅の駅 ドイツの限界。
  245. 2014年10月24日  Deutsche ossig  ドイツ東端の街。
  246. 2014年10月25日 演奏旅行と鉄道 第4交響曲初演月間。
  247. 2014年10月26日  長距離列車 鉄道時代の芸術家の日程。
  248. 2014年10月28日 当日移動 演奏会後、その日のうちの移動。
  249. 2014年10月29日 ある旅行 ハードな日程の証言。
  250. 2014年10月30日 最短の駅名 AUの話。
  251. 2014月11月01日 独奏者の旅路 ピアノ協奏曲第2番初演ツアー。
  252. 2014年11月02日 駅の向き 開設当時の情勢の反映。
  253. 2014年11月03日 カール・ベデカー 旅行ガイドブックの創始者。
  254. 2014年11月04日 静寂車両 携帯電話禁止車両。
  255. 2014年11月05日 お召し列車 王族を運ぶ列車。
  256. 2014年11月06日 ブライトシュプールバーン 第三帝国の遺産。
  257. 2014年11月07日 Niederlasung ドイツ旅客鉄道会社の支店網。
  258. 2014年11月08日 ジーネンツェッペリン プロペラ推進の列車。
  259. 2014年11月09日  居ても立っても ポイントの名前。
  260. 2014年11月10日 「X」で始まる駅 唯一Xanten
  261. 2014年11月12日 旅客運賃 ブラームス在世当時の運賃。
  262. 2014年11月13日 鉄道のための独和辞典 ブラームスだって使った。
  263. 2014年11月14日 無い物ねだり 鉄道地図に望む物。
  264. 2014年11月15日 窓側の席 リウマチによくない。
  265. 2014年11月16日 アジアンエキスプレス シベリア鉄道の脅威。
  266. 2014年11月17日 世界一周の所要時間 スエズ運河の開業日に。
  267. 2014年11月19日 よくいるタイプ 乗り継ぎマニア。
  268. 2014年11月20日 本日のこの記事。

壮観。

2014年11月19日 (水)

よくいるタイプ

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」3巻137ページに興味深い記述がある。友人のヴィトマンの証言だ。

ブラームスは鉄道案内を巧みに利用する術を身に付けていたと証言している。

イタリア横断旅行において鉄道をどう乗り継げばいいのかたちどころに結論を導き出し、大抵はそれが正解だったと回想する。大作曲家でありながら、その手の日常に疎くない点を絶賛している。さらに鉄道の利用に対する鋭敏な決断力に比べて、街中に出ると方向音痴になってしまうことが対照的に記述されている。

間違いない。機関車そのものに興味をもったドヴォルザークとは別種の鉄道マニアだ。初めての場所に行っても乗り換えや乗り継ぎに戸惑ったことが無い奴は割と見かける。私自身がそうだからよくわかる。

2014年11月18日 (火)

慰霊祭

一昨日11月16日、千葉県船橋市の習志野霊園で、第一次大戦時に中国・青島で日本軍の捕虜になったドイツ兵の慰霊祭があった。

およそ1000人が習志野俘虜収容所で暮らしていたのだが、帰国直前に流行したスペイン風邪で30名が命を落とした。そのための慰霊祭が毎年行われているのだが、今年は第一次大戦からちょうど100年にあたるのでドイツ公使も参列するとのことで、私も参列してきた。

今では閑静な住宅街の一角にその墓地はある。絵に描いたような好天の下、慰霊祭は粛々と進行した。開式の挨拶の後、黙祷。ドイツ国家が歌われた。いいなあ。皇帝賛歌としておなじみの、ハイドンのあれだ。キリリと引き締まった冷たい空気の中、凛として心にしみてくる。

感動したのは、落命した将兵ひとりひとりの名前を読み上げたときだ。亡くなった当時の階級まで紹介された。その後ドイツ軍伝統の葬送の歌がしめやかに斉唱された。これがまたクライマックス。同席した空軍大佐と公使はこれに当然のような顔つきで唱和した。墓碑に備えられた黒赤金がやけに誇らしかった。

何とも言えない敬虔な気持ちにさせられた。

20141116_114930

2014年11月17日 (月)

世界一周の所要時間

ブラームスが生まれた頃、世界一周の所要時間はおよそ150日だったという。英国ロンドンをスタート&ゴールに固定して考えると、明細は以下の通りである。

<1830年代初期> 合計150日

  1. ロンドン→横浜 80日 いわゆる極東航路。当然ながら喜望峰経由の蒸気船だ。
  2. 横浜→サンフランシスコ 30日 太平洋航路。
  3. サンフランシスコ→ニューヨーク 25日。大陸横断鉄道はまだ無かった。
  4. ニューヨーク→ロンドン 15日。北大西洋航路。

それでも蒸気船だからこの程度で済む。帆船だったらもっとかかる。

<1869年> 合計80日
  1. ロンドン→横浜 45日。スエズ運河の開通で劇的短縮。
  2. 横浜→サンフランシスコ 20日 ひとえに船の性能アップ。
  3. サンフランシスコ→ニューヨーク 8日。大陸横断鉄道による劇的な短縮。
  4. ニューヨーク→ロンドン 8日。これも船の性能アップ。

スエズ運河と大陸横断鉄道の開通が同じ年だというのが地味に凄い。これだけで52日の短縮である。ジュールベルヌが名高い「80日間世界一周」を書いたのが1872年なのは偶然ではない。1869年に起きたこの大短縮の結果としての80日が忠実に反映しているのは明らかだ。

<1901年> 合計40日

  1. ロンドン→横浜 16日。シベリア鉄道の開通で劇的短縮。
  2. 横浜→サンフランシスコ 14日 ひとえに船の性能アップ。
  3. サンフランシスコ→ニューヨーク 5日。
  4. ニューヨーク→ロンドン 5日。ドヴォルザークの記録よりは若干短い感じ。

いやはやシベリア鉄道は凄い。日本陸軍が恐れただけのことはある。カナディアンパシフィック鉄道が1887年にヴァンクーバーとモントリオールを結ぶと時間的には早まった。

<1939年> 合計30日

  1. ロンドン→横浜 15日。
  2. 横浜→サンフランシスコ 8日 
  3. サンフランシスコ→ニューヨーク 4日。
  4. ニューヨーク→ロンドン 4日。

戦前のピーク時の所要時間。ブラームスの晩年は80日と40日の中間くらいだ。実は記事「モンスニトンネル」で述べたように、ロンドンからベルギーのオステンデに渡って、モンスニトンンルを抜けてイタリアのかかとからスエズに入るルートが成立していた。これによりロンドン横浜45日が5日から10日程度短縮されたものと思われるから、70日程度で世界一周出来たと思われる。

今日は地味にスエズ運河の開業日である。

2014年11月16日 (日)

アジアエキスプレス

欧州からアジアに向かうルートの確保は、列強にとって死活問題だった。その確保もさることながら、所要時間と輸送量も由々しき問題。喜望峰経由のいわゆるインド航路と、シルクロードの一騎討ちだった平和な時代が長く続いた。コストでは水運が圧倒的有利。スエズ運河の開通でさらに便利になる。筆頭株主英国の優位は、彼らのインド経営の根幹でさえある。

海軍力で劣るドイツは、ウィルヘルム2世の治世になって、公然とこれに挑戦する。3B政策だ。バッハやベートーヴェンやブラームスとは関係がない受験知識の基本でもある。ベルリンからイラクのバクダットまで鉄道を敷設しようというプロジェクト。これが実現すればインドまでの所要時間は大幅に短縮される。英国は面白いハズがないが、敷設地域の情勢が不穏で計画は思うようには進まない。

英国にとってずっと脅威なのはシベリア鉄道だ。長さはかなり厄介だが、ロシア領内を単に進むだけだから、現実味がある。スエズ運河の先にある極東航路の終点に鉄道で先回りしようという位置づけは、アジア戦略全体に影響を及ぼす。

スエズ運河vsシベリア鉄道の競争は、とりもなおさず英露のアジア政策衝突の場になった。その到達点で日露戦争が起きるのはもはや必然であった。英国がシベリア鉄道の終点に蓋をするように横たわる日本との同盟に及ぶのは自然な成り行き。英国支配のスエズ運河を通れないバルチック艦隊は、喜望峰回りで長駆たどり着いた日本海で敗れた。

2014年11月15日 (土)

窓側の席

1862年1月25日、デュッセルドルフからクララがブラームス宛に差し出した手紙の中に興味深い記述がある。

「右手がひどいリューマチになり、数日おさまらなかった」と報告している。クララは「きっと汽車で右腕を窓側にして座ったからでしょう」と原因を分析している。

これは何を意味しているのだろう。

  1. 右手が窓側になったことがリューマチの原因であるというクララの認識がある。
  2. 窓側になった右手と、ならなかった左手では明らかな環境の差があった。

窓側になった右手が寒風にさらされたのだろうか。窓ガラスはなかったのだろうか。窓を閉めることは出来なかったのだろうか。客車は吹きさらしのオープンカーではなかったと推定できる。もし吹きさらしなら、窓側でない左手だって同様な環境になる。1月という冬の最中に、窓の閉まらぬ客車に乗って、寒風に右手をさらしたことが、リューマチの原因になったと、少なくともクララは感じていたのではあるまいか。

2014年11月14日 (金)

無いものねだり

Schweers+Wall社の「ドイツ鉄道地図」にはとことん感心している。なんだか凄い。驚くことだらけだ。だからという訳ではないが、「あったらいいな」的なわがままも噴き出してきた。この際列挙する。

  1. 駅が全部載っていて嬉しいのだが、ついでにそれら駅の開業年月日を載せて欲しかった。
  2. 閉鎖された駅まで載っているのは、大変重宝するのだが、ついでに閉鎖日を乗せて欲しかった。
  3. 駅の改名があったに決まっているが、改名の履歴を載せて欲しかった。
  4. 駅同様に路線の開業年月日が欲しかった。
  5. 巻末のトンネル索引と同じ要領で、鉄橋索引が欲しかった。
  6. 鉱山や工場がマメに載っているのは素晴らしい。欲を言えば索引にしてほしかった。
  7. 主要な駅の配線図が欲しいところだ。
  8. 一般の鉄道、Sバーンの充実っぷりに比べて市電の記載には改善の余地がある。全駅の記載は必須だろう。
  9. 刊行の対象が、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリアの4カ国に限られているのが残念だ。チェコ、ポーランド、ハンガリー、オランダ、ベルギー、デンマーク欲を言えばフランスくらいにまで広げて欲しい。とりわけチェコだ。現代でもチェコの鉄道の密度はものすごいし、ブラームスやドヴォルザークの旅路を検証するために必須だ。
  10. 同じノリで日本版も欲しい。少なくとも凡例の部分が日本語で読めるようになるからだ。

誉め言葉は、とうていこの程度では収まらない。この10倍のスペースが要る。だからこそ、「あったらいいな」を列挙する意味がある。

2014年11月13日 (木)

鉄道のための独和辞典

大事なことは鉄道の開通年。1835年だ。つまりドイツ語における鉄道用語はそれ以降整備されていったということだ。ブラームスはこれらのいくつかを知っていたし、実際に使用していたことは確実だ。本日は時刻表や鉄道を地図を眺めるのに便利な最低限のドイツ語を列挙する。毎度毎度の約束でウムラウトは赤文字とする。

  1. ab 発車時刻を示す。
  2. Abfahrt 発車。
  3. Abteil 個室、コンパートメント。
  4. an 到着時刻。
  5. Ankunft 到着。anと略記される。
  6. Anschluss 接続。日本ほど良くないことが多い。
  7. Bahnhof 駅。
  8. Bau 工事。
  9. Buchung 予約。
  10. Damenabteil 女性専用個室。
  11. Dauer 所要時間。
  12. Einfach 片道。
  13. Eingleis 単線。
  14. Fahrkarte 乗車券。
  15. Fahrpreis 運賃。
  16. Fahrt 旅程。乗車。
  17. Fenseteplatz 窓際の席。旅の基本。
  18. Gangplatz 通路側の席。
  19. Gleis 軌道。
  20. Grossraum オープンサロン車両。
  21. Halt 停車
  22. Hauptbahn 幹線。
  23. Hin-und Zuruck 往復。
  24. Hinfahrt 往路。
  25. Klasse 等級。英語でいう「Class」だから単純。
  26. Nebenbahn ローカル線。
  27. Nichtraucher 禁煙。
  28. Platz 座席。
  29. Preis 料金。
  30. Raucher 喫煙。
  31. Richtung 行き先。
  32. Ruckfahrt 復路。
  33. Ruhezone 静寂ゾーン。携帯通話禁止。
  34. Schmalspur 狭軌。
  35. Steigung 勾配。
  36. Strecke 線。
  37. von ~から。始発駅を指し示す機能がある。
  38. Zug 車両。
  39. Zweigleis 複線。

2014年11月12日 (水)

旅客運賃

ブラームスの時代、鉄道の運賃がどうなっていたかを調べていたら興味あるデータに出会った。河出書房刊行の「世界鉄道史」の381ページに、英国の運賃が「1等1マイルで2ペンス」と出ている。さらに続けてプロイセンの運賃がこれに似ていると書いてある。

  • 240ペンス=1ポンド
  • 1ポンド=4.5円 米欧回覧実記1873年頃
  • 1円=4マルク 森鴎外「独逸日記」1884年
これらから強引に換算すると2ペンスはおよそ0.15マルクになる。プロイセンの鉄道1等車で1マイル行くとおよそ0.15マルクかかる。3等でよければこの半額になるという。フランスやイタリアにおけるマイルあたりの運賃はプロイセンより25%安かったらしい。
  1. ハンブルク-ベルリン 178マイル およそ27マルク。現代通貨では13500円。
  2. ハンブルク-ウィーン 690マイル 104マルク。現代通貨では52000円。

下級労働者の月収がおよそ84マルクだから、なるほど高い。ちなみに1900年の時点で東京神戸間600km357マイルの運賃が3円83銭。無理やり現代の感覚に置き換えるとおよそ15000円。

  • 2014年11月11日 (火)

    多忙非反映

    ブログ「ブラームスの辞書」の記事公開のペースは、管理人である私の日常の多忙さを反映しない。少なくともブログの訪問者には解らない。

    野暮用で忙しくてパソコンを立ち上げられない日があっても、先付け公開機能のおかげで記事の新規更新が滞ることはない。逆にヒマな日は、パソコンに向かってせっせと記事の備蓄に励む。1日に5本の記事がかける日だってある。

    日常生活のヒマの波動も、記事を書く波動も、記事公開のペースには全く反映しない。

    我ながら理想的なシステムだ。訪問者にとって無風に見えることは好都合だ。問われるべきは記事の内容。こちらのお留守ぶりが際だっては恥ずかしい。作曲工房を知られることを良しとしなかったブラームスに少しはあやかりたい。

    本日のこの記事、ブログ「ブラームスの辞書」開設以来3500本目。

    2014年11月10日 (月)

    「X」で始まる駅

    日本の駅名は漢字標記が多い。ひらがなやカタカナの駅名もあるにはあるが、主流とは言えない。漢字駅名がもたらす楽しみが「難読駅名」だ。地元の人にしか読めない。北海道ほどではないものの千葉県にも少なからず存在する。

    ところがドイツには「難読駅名」はない。ドイツ語の発音ルールに慣れてしまえば難しくない。比較的難しいのが「Xanten」だ。「クサンテン」と読んでおけばいい。同時に貴重なのは「X」で始まる駅名はこの「Xanten」だけしかない。デュイスブルクから少しだけライン川を下ったあたり。オランダとの国境は目前だ。以前は近隣に「Xanten West」があったが今は廃止されてしまっているので大変貴重。

    次に少ないのが「Q」で始まる駅で21個だから、「X」の少なさが飛びぬけている。

    1. B 1744
    2. G    788
    3. D    565
    4. E    557
    5. F    467
    6. A    463
    7. C    160

    2014年11月 9日 (日)

    居ても立っても

    いやはや退屈しない。「ドイツ鉄道地図」のことだ。線路の分岐点の名前もキチンと載っている。駅以外で路線が分岐する場合には、分岐点横にその名前が律儀に記されている。それら全部に言及することなんぞ出来はしないのだが、一つだけ是非とも触れておきたい。

    ハンブルクとエルベ川をはさんだ対岸、少々下流寄りに「Stade」という街がある。ハンブルクよりは小さいけれど港町。駅からエルベ河岸に向かって貨物線が敷かれている。その貨物線が、駅の北東3kmのところで分岐している。その分岐点につけられた名前が本日の話題。

    「Stade Symphonie」

    なんだという感じ。鉄道地図に音楽を思わせる文言は大変珍しい。由来を調べようにも、手掛かりがほとんどない。旅客列車は通らぬ貨物線の分岐点など、ネット上で話題にもならない。伊達や酔狂でつく名前とも思えず、よっぽどのいわれがあるに決まっている。

    2014年11月 8日 (土)

    ジーネンツェッペリン

    鉄道が国の威信だった時代。ドイツ帝国鉄道もまた絶頂期にあった。そうした中1931年、航空機のエンジンを用いたプロペラ推進という独創的な列車で当時の鉄道最高速度記録を樹立したのがシーネンツェペリン号だ。記録は時速230km。このときから1954年まで世界記録を維持し続けた。

    飛行機から翼を取り除いたという感じ。むき出しのプロペラとは、危なっかしい。安全よりスピードという思想が見え隠れする。

    2014年11月 7日 (金)

    Niederlassung

    「Niederlassung」はドイツ語で「営業所」「支店」くらいの意味。ドイツ鉄道の営業を担うドイツ鉄道網株式会社の本社と営業所は以下の通りに配置されている。

    1. 本社 フランクフルト
    2. 北営業所 ハノーファー
    3. 西営業所 デュイスブルク
    4. 中営業所 フランクフルト
    5. 東営業所 ベルリン
    6. 南東営業所 ライプチヒ
    7. 南西営業所 カールスルーエ
    8. 南営業所 ミュンヘン

    ドイツ鉄道株式会社の本社は、ベルリンだが子会社の本社はフランクフルトになっている。

    • 北営業所がハンブルクではなくてハノーファーなのが気になる。
    • 南西支店がシュトゥットガルトではなくカールルスルーエだというのが目立つ。
    • ライプチヒが「南東」というのも微妙。

    2014年11月 6日 (木)

    ブライトシュプールバーン

    もはやブラームス作品の鑑賞や演奏には何の関係も無い鉄道ネタが止まらない。本日のネタもその路線上にある。

    ナチスが夢想した大ドイツ計画。域内の主要都市を結ぶ鉄道網の整備計画があった。それが「ブライトシュプールバーン」だ。「ブライト」は「Breit」と綴って「広い」の意味で、「シュプール」は軌道で「バーン」は「鉄道」だから、直訳すれば「広い軌道の鉄道」だ。ドイツ鉄道の主流は軌道幅「1435mm」の標準軌に対して、倍以上も広い「3000mm」だったことによる呼び名。

    軌道幅「3000mm」の線路の上を幅6m、高さ7.5mの車両を大出力ディーゼル機関車で牽引するモンスターな計画だ。ベルリンを中心に放射状の路線が計画された、第三帝国の大動脈となるハズだったが第二次大戦によって幻となった。

    2014年11月 5日 (水)

    お召し列車

    国王や皇帝を乗せる列車のことだ。もちろん天皇も含まれる。ブラームスの生きた時代には、これらの人々の長距離の移動に鉄道が用いられ始めた時代だから、各国王室でお召し列車が仕立てられた。

    バイエルン王ルートヴィヒ2世は、何かと煩雑なミュンヘンを嫌い、シュタルンベルク湖畔のベルクで過ごす時間が多かったし、公式非公式を取り混ぜあちこちを旅行したから、お召し列車には大きなニーズがあった。彼のイメージカラーであるところのロイヤルブルーを基調にした華麗なお召し列車が仕立てられた。

    ニュルンベルクの鉄道博物館には、ルートヴィヒ2世のお召し列車が収蔵されているのだ。そしてそれは、皮肉なことにビスマルクの専用列車と並んで展示されていた。

    2014年11月 4日 (火)

    静寂車両

    ドイツの鉄道は携帯電話が使用可能な車両と、そうでない車両に分かれている。使用可能の車両は「Handyverstarker」(aはウムラウト)という一方で、禁止の車両つまり静寂車両は「Ruhebereich」と呼ばれている。

    ここにも出てきた。第一交響曲初演の地カールスルーエの語尾が「ruhe」で「休息」の意味だった。携帯電話使用禁止を意味する言葉が「Ruhe」とは驚いた。「Ruhe」の語感がより深く認識できた。

    2年前次女たちの欧州公演をおいかけてドイツに行った際、自由時間を利用してICEに乗車した。これはその時に撮影した写真。つまり2年前にこの記事の構想がすでにあったということ。その時にすでに2014年11月4日第一交響曲初演記念日の記事と決めていた。我ながら周到。

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    2014年11月 3日 (月)

    カール・ベデカー

    Karl Badeker(aはウムラウト)は1801年11月3日ドイツはエッセンで生まれた実業家。1827年にコブレンツで出版社を立ち上げた。そしてドイツ初の鉄道がニュルンベルクで開業したその1835年に、世界初の旅行ガイドを刊行する。

    各地の名物、レストラン、ホテル、地理、歴史をコンパクトな判型に収めた本。まさに現代のガイドブックのコンセプトそのままだ。ガイドブックの刊行は現代まで続き、初期のものには骨董的価値はおろか歴史的価値まで生じている。

    ブラームスがベデカーのガイドブックを購入していやせんかマジで調べているのだが尻尾がつかめない。ウィーン楽友協会に収蔵されている彼の遺品の中にあるのではないかとにらんでいる。

    2014年11月 2日 (日)

    駅の向き

    ドイツで鉄道が発達し始めた頃、首都ベルリンからは放射状に路線が伸びていた。どの方面に向かうかによって、駅が別になり向かう方面の地名が駅名にされていた。北に向かう線の駅なら、ホームは南北に伸びるし、西や東に向かう線の駅なら、ホームは東西に走る。ホームの向きは駅が設営された当時の事情を反映しているということだ。

    東京駅はほぼ南北だ。北の玄関上野と、南の玄関新橋を線路で結び、その中間に東京中央駅を作るという構想の反映だからだ。

    ライプチヒ中央駅は貫禄ある頭端型で、線路は南西に向かって行き止まりになっている。当初の鉄道はザクセン王国の首都ドレスデンと結ぶ鉄道だったから、ホームは北西から南東に向かって伸びているのが自然だ。ドレスデンからの線路なら南東から来るに決まっているからだ。

    実際にそうなっていない。線路の向きからして北東からの線路を受け入れやすいようにと配慮している。これは想像だが、ドレスデンからの路線が先に開業したものの、いずれ路線はベルリンに向けて延びてゆくという計画が既に存在したのだと思う。ライプチヒ駅のあの向きは、ドレスデンにもベルリンにも線路を伸ばしやすい角度だ。その代わり、ミュンヘンやニュルンベルクに向かうには大きく線路を反転させる必要があった。

    一方のミュンヘン。バイエルン王国首都の中央駅は東西に走り。東に向かって行き止まりになっている。ウィーンやベルリンからの路線が想定されていないということだ。西からの線を受け入れやすい構造になっている。カールスルーエやシュトゥットガルトを想像してはスケールが小さ過ぎる。おそらくパリが考慮されたと見るべきだ。

    2014年11月 1日 (土)

    独奏者の旅路

    第4交響曲初演後の11月が事実上の初演ツアー月間だったことは既に述べた。マイニンゲン宮廷楽団やビューローを帯同してのグランドツアーだ。次はピアノ協奏曲第2番で同様の考察を試みる。初演からそのシーズン内での演奏の記録を掲載する。

    1. 1881年11月01日 ブダペスト
    2. 1881年11月22日 シュトゥットガルト
    3. 1881年11月27日 マイニンゲン
    4. 1881年12月06日 チューリヒ
    5. 1881年12月11日 バーゼル
    6. 1881年12月14日 ストラスブール
    7. 1881年12月16日 バーデンバーデン
    8. 1881年12月20日 ブレスラウ
    9. 1881年12月26日 ウィーン
    10. 1882年01月01日 ライプチヒ
    11. 1882年01月08日 ベルリン
    12. 1882年01月13日 キール
    13. 1882年01月14日 ハンブルク
    14. 1882年01月18日 ミュンスター
    15. 1882年01月21日 ユトレヒト
    16. 1882年01月25日 デンハーグ
    17. 1882年01月26日 ロッテルダム
    18. 1882年01月27日 アムステルダム
    19. 1882年01月30日 アルンハイム
    20. 1882年02月17日 フランクフルト
    21. 1882年02月22日 ドレスデン

    当時はまだ楽譜が出版されていない。手書き譜での演奏だ。オケはマイニンゲン管弦楽団が有力だが、上記全部がマイニンゲンかどうか一部不明。おそらくビューロー指揮で独奏ブラームスか、その逆だった可能性が高い。

    • ブダペストの初演はエルケル指揮のブラームス独奏だったが、その後マイニンゲンでトレーニングを行ったと見る。11月27日のマイニンゲンの前にシュトゥットガルトがあるのは強行軍もいいところだ。マイニンゲンから見ればシュトゥットガルトはスイスに行く途中になるから、シュトットガルトとマイニンゲンの順序が逆の方が効率がいい。シュトットガルトでの公演の後またマイニンゲンに戻り、12月6日にチューリヒ入りするのは大変だ。
    • それに引き換え、チューリヒから12月16日のバーデンバーデンまでは鉄道で戻りながらの場所なので効率的と言える。
    • 問題はその次のブレスラウ。ここは現代ポーランド領だ。直線距離で見てもおよそ600kmはある。中3日取られているけれど、下手をすると移動に2日かかる。
    • その後のブレスラウ→ウィーン→ライプチヒ→キールまでは、おのおの丸1日の移動ですむのに対し、長めの時間が取られているから割と楽。
    • キール→ハンブルクはおよそ60kmで、鉄道なら苦も無くと言いたいが、2日連日の公演となるとけして油断できまい。
    • ハンブルク→ミュンスター→ユトレヒトは、それぞれ丸一日の移動で事足りる。3日、2日の間隔であれば、時間的にはあり得る。
    • 最大の難関はデンハーグ→ロッテルダム→アムステルダム。それぞれの都市は30km程度の移動で到達出来るが、25日26日27日の3連続公演を独奏を一人でこなすのは大変だろう。
    • アルンハイムはオランダ名アルンヘムで、ユトレヒトからすぐそばなので中2日もらって一段落かもしれない。
    • 2月17日のフランクフルトの前に一度マイニンゲンに帰ったかもしれない。
    • 最後のドレスデンはフランクフルトから遠いと言えば遠いが、それまでの強行軍に比べれば中4日なら数段マシと言える。

    これらの移動は全て鉄道が用いられたと見るのが妥当だが、先日話題にした第4交響曲の初演ツアーに比べると心配も増える。行く先々で現地の会場備え付けのピアノを使ったとすれば、ゲネプロは必須だと思われる。鉄道を利用して移動したとしても赤文字の公演では前日ゲネプロは難しそうだ。

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