ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« コーヒーベルト | トップページ | 年末の風物詩 »

2014年12月30日 (火)

ドイツ領東アフリカ

植民地獲得競争に遅れて参入したドイツ。そのドイツの一つの目的がコーヒーの自給。元々アラビア産のコーヒーだったが、欧州列強はアラビア商人から買うよりも自ら作る方が儲かると知って、植民地でのプランテーションに乗り出す。オランダがジャワで、フランスが西インドでそれに成功したのを横目で見ていたドイツは、同じことの出来る植民地を求めた。

それがドイツ領東アフリカ。おおよそ現在のタンザニア。

コーヒー栽培の適地と見定めた東ウサンバラ。現在のタンザニアの首都ダルエスサラームの北およそ300kmのあたり。コーヒー輸送用の鉄道まで敷いたが、労働力不足に加えて、ブラジルの大豊作による価格の暴落でたちまち挫折する。

大陸封鎖のトラウマかそれでもコーヒー自給の夢をあきらめないのがドイツ人。プランテーションの経営者たちは東ウサンバラを見捨てて別の場所を探す。それがウサンバラから150kmほど北西のキリマンジャロ南麓だ。キリマンジャロブランドで名高い名産地に育って行く。

いまひとつがビクトリア湖西畔のブコバ。イエメンのアデンを介して欧州に供給される際に、「モカ」を名乗るという秀逸なマーケティングのせいで、シェアを伸ばした。

キリマンジャロの台頭も、アフリカ産モカのブレークも20世紀の出来事。ブラームスはあずかり知らぬ話。

« コーヒーベルト | トップページ | 年末の風物詩 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ドイツ領東アフリカ:

« コーヒーベルト | トップページ | 年末の風物詩 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ