ウィーン初のカフェ
オスマン帝国による第二次ウィーン包囲網は頓挫した。ポーランドからの援軍が間に合ったことでウィーンはすんでのところで陥落を免れた。このときオスマン帝国の包囲網を4度にわたり突破して貴重な情報をもたらした男がいた。フランツ・ゲオルク・コルシツキー。彼は包囲軍の重要な情報を得て城内に戻る途中で、包囲軍の兵士たちがたき火を囲んでコーヒーを飲んでいる場面に出くわした。会話の様子から兵士の士気が下がっていることを悟り、城内の司令官に反撃を進言した。
1683年9月12日、合流の援軍と呼応して城内から総攻撃をかけた。これにより包囲軍は敗走した。ウイーンを囲む陣地に残された物資をウィーン市民が分かち合ったのだが、その中にあったコーヒー200kgに気付く者はいなかった。
殊勲者コルシツキーは、そのコーヒーを引き取った。報奨金で買った土地にカフェを開いた。ブルーボトルコーヒーハウスという。ウィーン初のカフェにはいくつか説があって論争となっているが、彼はその候補者の一人である。
ウィーンへのコーヒー伝播が話題になると必ず取り沙汰されるこのエピソードは、どうも眉唾らしい。主人公コルシツキーの実在こそ確認されているが、エピソードはほぼ後世の脚色のようだ。
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