遠交近攻
中国の兵法「三十六計」の一つ。外交のコツを表す。遠くの国と同盟を結び近くの国を攻めることだ。
1669年まさに絶頂期にあったオスマン帝国メフメト4世は、これもまた絶対主義の頂点にあったフランスとの同盟を画策する。当時のフランス王はルイ14世だ。メフメト4世の意図は、シンプル。国境を接するハプスブルク家オーストリアを攻めたいのだ。隣のオーストリアを攻めるために、その向こうにいるフランスとあわよくば手を組もうと考えた。まさに「遠交近攻」である。オスマンとフランスは意外な組み合わせには違いないが、「反オーストリア」という一点で一致できる可能性が無くも無い。
オスマン帝国の使者がもたらしたトルコ風俗の中に、何とコーヒーがあったのだ。長い滞在の間にパリ社交界はコーヒーの味を覚えたのだ。使節団のメンバーの中には帰国しないで残り、パリ初のカフェをオープンした者もいた。17世紀末にはすっかりパリに定着することになった。
さてオーストリアも黙って見ていたわけではない。フランスの向こう側にあるスペインとの友好関係を模索していた。
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