コーヒー禁令
18世紀中ごろ、当時の神聖ローマ帝国内の領邦において、コーヒー禁令が施行された。
- ハノーファー選帝侯国
- リッペ伯領
- バーダーボルン司教区
- ウエストファレン公国
- ナッサウ侯国
- ヴァルテック侯国
- ヘッセンカッセル方伯国
- ゴーダ公国
- ブラウンシュヴァイク公国
- ヒルデスハイム司教区
- ザクセン選帝侯国
- プロイセン王国
見ての通り北部諸国だ。北海経由オランダ依存でコーヒーの供給を受けている国々と見ていい。禁止の理由はまずもって「ぜいたく品」とみなされたことだ。社会秩序の破壊と恐れたとの説もある。
プロイセンのやり方を調べてみた。まずは1777年国民に対して「コーヒー飲まずにビールを飲め」という布告が出された。コーヒーの大量消費は資金の国外流出そのものだからだ。「ワイン」と言わずに「ビール」というところが巧妙だ。プロイセンにとっては「ワイン」だって外国産品になる。やがて1781年コーヒーの輸入と焙煎を国家独占とし許可制とした。コーヒーへの高い関税もかけられた。
そもそも関税をかけて税収をあてにしながら、焙煎許可制で消費を抑制するのだから辻褄が合うはずがない。1786年には焙煎の独占が撤回された。
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