鴎外とカフェ
19世紀後半のドイツでどれほどカフェが繁盛していたかの一端を示すために、森鴎外の「独逸日記」に出現するカフェを一覧にしておく。「骨喜」は「コーヒー」のことだ。
- 1885年05月29日 ベルリン バウエル茶店 Cafe Bauer
- 1885年11月28日 ドレスデン 中央骨喜堂 Cafe Zentral
- 1886年02月20日 ベルリン 国民骨喜店 Cafe National
- 1886年07月29日 ミュンヘン 英吉利骨喜店 Englisches Cafe
- 1886年08月05日 ミュンヘン フィンステルワルデルのコーヒー店
- 1886年08月11日 ベルリン バウエル骨喜店 Cafe Bauer 1と同じ店。
- 1886年08月15日 ミュンヘン ミネルワ骨喜店 Cafe Minerva 言及のみ。
- 1886年08月18日 ミュンヘン 東洋骨喜店 Cafe Orient
- 1886年08月30日 ミュンヘン 王国骨喜店 Cafe Royal
- 1886年12月20日 ミュンヘン カルル門骨喜店 Cafe Karlsthor
- 1877年01月01日 ミュンヘン 英骨喜店 Cafe l'Anglais
- 1887年04月20日 ベルリン 大陸骨喜店 Cafe Kontinental
- 1887年05月28日 ベルリン クレブス氏骨喜店 Cafe Krebs
- 1887年10月23日 ベルリン シルレル骨喜店 Cafe Schiller
- 1887年11月01日 ベルリン クレブス氏骨喜店 Cafe Krebs
- 1887年11月19日 ベルリン ヨスチイ骨喜店 Cafe Josty
- 1887年12月10日 ベルリン ヨスチイ菓子店 Conditrei Josty 16と同じか。
- 1888年01月29日 ベルリン シルレル骨喜店 Cafe Schiller 14と同じ。
日本初のカフェは1886年頃開業したらしいので、渡独中の鴎外は知る由もない。その代わりドイツでカフェに開眼したこと上記の通りである。困ったときの一覧ネタでもある。
鴎外の誕生日は2月17日だ。実はこのたびのコーヒー特集は、その前に終わってしまうから、本日の記事を誕生祝いに出来ない。2月17日は旧暦で申せば1月19日なので、苦し紛れに本日の公開とした。
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