もう一つの大陸封鎖
ナポレオンが英国に対して仕掛けた制裁として名高いのだが、実はコーヒーに関して別に興味深い事例がある。ドイツ人のコーヒー好きに関係するのでブラームスの時代とははずれるが言及しておく。
第一次世界大戦の前年ドイツは16万トン強のコーヒーを消費し全てを輸入に頼っていた。そのうちの85%がハンブルク港を経由してドイツに入った。残り15%のほとんどがブレーメンだったらしいから、地中海経由はむしろまれだったと考えてよい。
第一次世界大戦が勃発すると、北海の制海権を握る英国がドイツへのコーヒー流入阻止を目論む。ドイツにとっての頼みの綱はオランダ。永世中立国ベルギーを蹂躙して始まった第一次世界大戦だから、ベルギー経由をアテに出来ない事情があった。オランダ領ジャワのロブスタ種をオランダ経由で受け入れる以外に方法はなかった。
1816年11月になって、オランダも英国の圧力に屈する形で対独コーヒー禁輸に踏み切る。国内で生産できないコーヒーの兵糧攻めだ。非常時とあって国民生活を犠牲にして軍隊へのコーヒー供給を優先してしのいできたが、これにも限界があった。
キールで発生した水兵たちの反乱は、発生直後に港の倉庫にあったコーヒーを略奪した。まさにドイツの息の根を止めた大陸封鎖だ。
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