小咄
これで「こばなし」と読む。「短いお話」と定義しては言葉足らずもいいところだ。金がかからぬ娯楽として江戸時代に庶民層を席巻したという。数としては万単位の小咄が存在するという人もいるくらいだ。
「口偏」に「出る」という漢字の成り立ちがシャープだ。口伝えであることが基本で一度聴いたら覚えられる長さであることは必須。何よりも面白い話である必要がある。話の最後にオチがあるのも重要な要素だと思う。
- 一度聴いたら忘れないエピソード
- 出来るだけ簡潔な文章
- タイムリーな記事の発信
- 気の利いたオチ
これらは管理人の私が記事を書く際に心がけている事項だが、まさに小咄の定義にピタリとはまる。
1番「忘れられないエピソード」は、有限個だろう。情報ソースの丹念な探索しか打つ手がない。まめな情報集めと、アンテナ磨きだ。
2番「簡潔な文章」は、情報収集よりも難しい。きっと死ぬまで課題だろう。ブラームスの音楽が手本になるとカッコをつけるのが関の山だ。
3番「タイムリーな記事の発信」これは記事の備蓄である程度カバー出来る。この中では得意な分野だ。
4番「気の利いたオチ」も相当難しい。難しさでは2番「簡潔な文章」と双璧だ。苦心した挙げ句に寒いギャグという悪循環に陥り易い。小咄と違って諦めて省略するのも手だ。
ブログ「ブラームスの辞書」は、小咄の堆積であると言い換え得る。気の利いた小咄の堆積でありたいと心から願う。
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