濃さの維持
ブログ記事の内容の話だ。私は「記事の内容が濃い」という表現をよく使う。どうせ全ての記事がブラームスに関連しているのだが、そこで展開される話が「オタクで細かくて、他で読めない」くらいの意味である。確たる定義がある訳ではないがノリは理解いただけると思う。
私のブログ「ブラームスの辞書」は粛々と継続することを目標にしている。出来れば2033年5月7日のブラームス生誕200年までだ。あと6649本の記事が必要だ。もちろんこれが達成出来れば素晴らしいのだが、実は大事な自主規制がある。
「記事を積み上げることで、濃さが減じられてはならない」ということだ。私の心の中では、記事を積み上げることより優先順位が高い。この先年齢を重ねることにより脳味噌の働きが衰えて、「濃くない記事」を乱発するようになったら、潔く記事の更新を止めねばならない。
そのためには「濃い」「濃くない」の判断基準がしっかりと確立していることが大切だ。昨日まで積み上げた3602本の記事には、概ね満足できている。そのことは一つの基準になる。
ブラームスは、自作を出版するしないの基準を明確に持っていた。クララやヨアヒムのような見識ある第3者の存在も素晴らしい。私も同様な自主基準を自分の記事について是非とも確立させたい。私にとってクララやヨアヒムにあたるのは、ブログのアクセスだ。ブログのアクセスが伸びているうちはOKという判断基準だ。
自主基準とブログへのアクセスを併用して、濃さの維持向上に努めたい。
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